第6話『迷いの森調査①』★
「はあ……どうして、こんなことに……」
カガリは今、薄暗い森の中にいた。
木々の間から差し込む陽光は薄く、湿った土と薫り立つ緑が、周囲を沈黙の帳で包んでいる。
「ビビらなぁぁーーーーい! 弱音はかない! ほら、進む、進む!」
先頭を歩くのは、ギルドで知り合った女性冒険者、シャイアだった。
陽気で飄々としているが、妙に行動が早くてペースがつかみにくい。
カガリの横を、一人の男性が追い抜いていく。
「シャイア! もっとしっかり草踏んでけよ!」
文句を言ったのは、頭にバンダナを巻いた細身の男だ。腰には短剣が何本も下がっている。
「うっっさいな! 文句あるなら先頭代われっての!」
「こちとら、お前の荷物も背負ってんだぞ! 自分で持つか!? ああ!?」
ぎゃあぎゃあと言い争いながら、二人はどんどんと前へ進んでいく。
荒い口調だが、どこか気の置けないやり取りにも見える。
(……ずっとあんな調子で叫びながら歩いてるけど、疲れないのかなあ……。
私、ただ歩いてるだけでも、けっこう大変なのに)
草が鬱蒼と生い茂る、道なき道を進むのは初めての経験だった。
長靴の中は蒸れ、背中にはじんわりと汗が滲んでいる。
カガリは少し足を止めて水筒を取り出し、水を一口含む。
ふう、とひと息ついたそのとき――
目の前に、無言で差し出された手があった。
その手は大きく、日焼けと傷跡に覆われている。
掌の中心には、小さな飴玉がひとつ。
顔を上げると、斧を担いだ大柄な男がじっとこちらを見ていた。
「……糖分」
低く、単語だけを絞り出すような声。
今までの道中、ほとんど口を開かなかった彼の、初めての言葉だった。
「ありがとうございます……」
カガリは飴を受け取り、そっと口に含む。
優しいいちごの甘さが、乾いた喉と疲れた身体にじんわりと染み込んでいく。
そのわずかな優しさに、カガリはほっと息をついた。
視線を森の奥へ向けながら、カガリは思い返す。
話は――二日前に遡る。
◇ ◇ ◇
「私は、迷いの森の調査クエストを受注する。……カガリ、あんたも同行してほしい」
「えっ……!?」
シャイアがまっすぐカガリを見つめていた。
《密着》スキルを解除するまで、どこか茶化した態度を崩さなかった彼女が、初めて見せた真剣な目。
その言葉に、カガリもサイラスも驚いたように目を見開いた。
「それは無茶です。カガリさんの冒険者ランクはまだE。クエストの適正ランクではありません」
サイラスは、カガリをかばうように言う。
「ディルとガロも一緒に潜る。いつもの三人だ。フォローはできる」
「あなた方の腕を疑っているわけではありませんが……カガリさんはついこの間、冒険者になったばかりなんです」
サイラスの忠告にも、シャイアは静かにウイスキーを傾けた。
「見ればわかるさ。どう見たってまだまだ“冒険者見習い”ってなりだけどさ」
その目は揺れていなかった。
「でも――あの《解除》スキルは、かなり強烈だ」
シャイアの声が、低く抑えられる。
「謎の薔薇の発生は、ダンジョンのボスが原因か、あるいは自然の魔力変異だと思っていた。
でも、この子が言うように、薔薇の花が“スキルによるもの”なら、この件はいっきにきな臭いものになってくる……」
彼女は一拍置いて、カガリに目を向ける。
「さっきも言ったが、それを操ってる“誰か”が、森の中にいることになる。
――人間が、だ」
「……」
「魔法で対処できないような状態異常をばら撒くスキル持ちなんて、厄介この上ない。あんたが持つ、その《解除》スキルは、かなり、助けになるとみてる」
シャイアの声には、理屈だけではない“確信”の色があった。
「……っていうわけなんだけど。どう? 私と一緒に、ダンジョンデビューしてみない?」
一転、いつもの調子に戻った軽口に、サイラスが再び口をはさんだ。
「カガリさん、無理はしなくて大丈夫です。シャイアさんたちの冒険者ランクはA。あまりにもレベル差があります」
けれど、カガリはゆっくりと口を開いた。
「でも……ということは、逆に、シャイアさんたちがついていてくれるなら――大丈夫、ってことですよね」
少しだけ、笑った。
そして思い出す。
あの家で、何をしても評価されなかったこと。
力を持っているのに、それをどう使えばいいかさえわからず、役立たずと罵られた日々。
「私……ずっと、“無能”って言われてきました。
でも、それでも誰かの役に立ちたくて。――こんなふうに、必要としてもらえたことなんて、なかったから」
手を、ぎゅっと握る。
「だから、私……シャイアさんの期待に、応えてみせたいです。……頑張らせてください!」
力強い意志に満ちた言葉だった。
シャイアはしばらく黙って見つめていたが、やがて目を細めて笑った。
「……ああ、いい返事だ。よろしく頼むよ、カガリ」
――こうして、“迷いの森”への挑戦が決まった。
◇ ◇ ◇
そして、今。
カガリの斜め後ろには、大柄な男――ガロの姿。
彼はしんがりとして、周囲に鋭い視線を走らせながら、ぴたりと彼女に付き従っていた。
シャイアと言い合いをしている細身の男は――ディルと名乗っていた。
彼ら二人と、シャイア、そしてカガリの四人編成で、クエストを進行している。
(私が早く動かなきゃ……ガロさんが歩き出せない)
水筒の蓋を閉じ、意を決して一歩を踏み出した。