第61話『決勝戦』
──決勝戦・第一試合
歓声と喧噪の渦のなか、即席パーティ対抗・腕ずもう大会の決勝が始まろうとしていた。
「一回戦は、流離の剣士……セラフィ! 対するは、旅の貴公子フェリオ!」
司会の声が響いた瞬間、周囲から「きゃー!」と黄色い声があがる。
(……え、なんで今ので悲鳴が……)
カガリが振り向くと、観客席の女性たちが、前のめりになってセラフィとフェリオを双眼鏡で覗いていた。
(……二人とも……絵になるというか、並ぶと破壊力がすごい)
一人は、無表情で冷たい美貌の金髪貴公子。
もう一人は、軽薄に見えて実は頭の切れる、甘いマスクの色男。
対照的なイケメン二人が、土台に肘をついて向き合うだけで、会場の空気は熱気を帯びる。
「……いい目してるじゃん、金髪くん。――ま。負ける気しないけどね?」
フェリオが口角を上げる。
「始まってから言ってくれ」
セラフィの返しは短い。だが、声に宿る鋭さに、フェリオの頬がぴくりと動く。
そして、開始の合図が響く。
「――始めッ!」
バンッ、と両者の手が激しくぶつかり合う。
「うおっ……っかた……」
フェリオが思わず唸った。
一瞬、余裕の笑みが消える。
セラフィの腕から伝わるのは、硬質な鉄のような力。
細身に見えて、その腕はまるで鍛え抜かれた刃のようだった。
だが、フェリオも引かない。
肘を組んだまま、じりじりと押し返していくその腕には、見た目からは想像できないほどの力が込められていた。
「へぇ……なるほど。綺麗な顔して、やっぱり強いんだ」」
軽く息を吐きながら、フェリオが挑発するように笑う。
「……口が多いな」
「黙ってたら退屈だろ?」
余裕の笑みを崩さないフェリオ。そのたびに観客席が湧き、彼の発言に合わせて「キャー!」と黄色い声が上がる。
フェリオはちゃんと“見せ方”をわかっている。真面目な試合の中に、ユーモアや駆け引きを混ぜて空気を操っていた。
「カガリとは、どこで会ったの……?」
急にこちらへ向けられた言葉に、カガリの胸が一瞬だけ跳ねる。
けれど、問いを投げかけられたのは、隣に座っている自分ではなく――土台の向こうにいるセラフィだった。
「一回目は森の中。二回目は狩猟祭のパーティーだよ」
「へえ。じゃあまだ、知り合ったばっかりか」
「まあね。でも、劇的な再会でビビッと痺れちゃってさ」
ピクリ――
セラフィの眉が、わずかに吊り上がる。
「……パーティーで、彼女をエスコートしたんだ。姫のピンチに駆けつける王子様としてね」
その言葉の中に、明らかな意図を感じ取ったのだろう。
「…………」
セラフィの口元がわずかに固くなる。
ここまでずっと無表情だった彼が、明確な反応を見せたのは、これが初めてだった。
カガリは、呼吸を詰めて見守っていた。
手に汗がにじむ。息を呑んで、二人の間に流れる張りつめた空気を感じる。
「……君も結構頑張ったけど、ここまでだね」
次の瞬間――
ぐぐっ……と、セラフィの手が反転を始めた。
「……ちょっ、はあ!? ……どっから出てくるのその力!」
フェリオが慌てて反撃を試みるも、遅かった。
セラフィの腕力はまるで鋼のごとく、ゆっくりと、確実に彼の手を土台に沈めていく。
ガンッ、と鈍い音が響いた。
「勝者、セラフィ!」
審判の声が上がると同時に、観客のどよめきが爆発した。
「はぁああ……負けた……」
フェリオが両手を前に出し、台の上に突っ伏す。
その様子を見下ろしながら、セラフィは涼しい顔で立ち上がり――
「ふふ、悪いね。……俺、まだ余裕だったよ」
その静かな勝利宣言に、会場から再び「キャーッ!」という歓声が上がる。
「この上なく腹立たしいけど、何か言うほど、ただの雑魚キャラみたいになりそうでムカつく……」
フェリオが突っ伏したまま、天を仰いでぼやくと、すぐそばで見ていたレオルドが腹を抱えて笑っていた。
「笑いすぎ!……くっそー……挑発はダメだったかー。めちゃくちゃ悔しい……」
「お前があっさり負けるなんてな。あいつ、本当に何者だ?」
レオルドの問いに、フェリオはただ肩をすくめる。
そのころ、セラフィは静かにカガリのほうへと歩み寄ってきていた。
「……勝ったよ」
「うん、お疲れ様! セラフィ!」
カガリは、ぱっと明るく笑いながら右手を掲げた。
一瞬、セラフィはその意味をつかみかねたように目を瞬かせたが――すぐに「ああ」と頷き、静かに手を持ち上げる。
パチン。と、二人の手が軽やかな音を立てて打ち合わされた。
それだけのことなのに、カガリは楽しそうに笑っている。
拍手の音、観客の歓声、会場のざわめき――そんな周囲の騒がしさも、セラフィにはもう耳に入っていなかった。
ただ、その笑顔だけを見つめ、口元をほころばせた。
◇ ◇ ◇
第二回戦――
「さあて、次は俺の番だな」
レオルドが腕をぐるぐると回しながら一歩前に出ようとする。だが――
「第二回戦、出場者リュカ&――ユエル!」
呼ばれた名前に、レオルドが思わず足を止める。
「……は?」
「え……?」
リュカも、目を瞬かせて振り返った。
「……俺じゃ、ないのか?」
「そのとおり! というわけで、急きょ選手入れ替え~!」
目を丸くするレオリオの横で、フェリオが勝ち誇ったような顔で手を挙げる。
「ふふふ。対戦順を変えちゃいけないなんて、ルールには書いてないからね!」
「お前……また何か企んでんな……」
レオルドが眉をひそめる。
「ちょ、ちょっと待ってください! ……えっ、僕、無理ですよ、リュカさん相手なんて……!」
「大丈夫。大丈夫」
「ええぇ……」
ユエルは大慌てで首を振るが、フェリオはにっこりと口角を吊り上げた。
「ところで君、手が荒れてるね。ささくれひび割れパックリじゃん」
フェリオがそう言って、ユエルの手のひらをひょいと持ち上げる。
「え? ああ……水仕事をするので……」
「使用人らしい悩みだね。よし、よし、ちょっと待ってね――」
フェリオはそう言ってユエルの手を取り、
腰のポーチから小さな小瓶を取り出した。
「さあさあ! 第二試合、はじめーっ!」
土俵に並んだ二人。
緊張した面持ちのユエルと、慎重に構えるリュカ。
(まさかユエルとやることになるとはな……)
「構えて!」
審判の合図で両者の手が組まれる。
ユエルの手は細くて軽く、力はほとんど感じない。
(これは……さすがに悪いか? 手加減するべきか……)
リュカが少し迷っていた、そのとき――ふと違和感を覚える。
(なんだ……少しぬるぬるする……?)
不審に思いつつも構えを取るが、その違和感の正体に気づく前に、試合が始まる。
「始めッ!」
ぐっ、とリュカが力を入れたその瞬間――
「ん!?」
「えっ……!」
リュカの手が、つるっと滑った。
握っていたはずの手が、つるんと抜けてしまう。
「!?」
開始とともに力を入れた勢いで、リュカの体がバランスを崩す。
そのまま腕が――
ガンッ!と台に沈んだ。
「しょ、勝者――ユエル!」
一瞬の出来事だった。
場内が、数秒の沈黙ののち、どよめきに包まれる。
「はあっ!? おい、今の、絶対なんかおかしかっただろ!?」
リュカが立ち上がり、手を見つめる。
ぬるぬるした感触が残っていた。
「なんだ……これ……」
「はっはー! どうだ赤毛君、参ったかー!」
フェリオが肩をすくめながら、堂々とした顔で立ち上がる。
手にはハンドクリームの瓶。
それを見て、リュカはからくりを理解する。
「お前、それ反則だろ!」
「何を言う! 武器の使用は禁止。魔法も禁止。でも、“手に保湿剤を塗るのは禁止”とはどこにも書いてない!」
「な……!?」
「これはあくまで、肌荒れ防止の保湿対策! 使用人のユエルの手があまりに荒れていたから、た~~~~っぷり塗ってあげたのさ。たまたま手が滑っても、それは事故だよ。なあ?」
「お前……最低だな……」
レオルドがぼそりと呟いた。
「策略家って言って?」
フェリオは悪びれもせず、得意げに鼻を鳴らす。
一方その頃、勝ってしまったユエルは、完全にパニック状態だった。
「す、すみません、リュカさん……! 僕、そんなつもりじゃ……!」
リュカは手のひらを見下ろしたあと、そっと深呼吸してから、ユエルに向かって首を振る。
「……いや。違う、わかってる。お前は悪くない。悪いのは全部、あいつだ」
その視線が、すうっとフェリオへと向けられる。
「やーいやーい、イケメンが負けて悔しがってるー!」
ステージの端で、勝ち誇ったようにフェリオが踊っていた。
「…………」
リュカの頬がぴくりと引きつる。
ぐぐっと拳を握りしめるが――
それでも、隣で小さくなっているユエルの顔を見て、リュカは静かに怒りを飲み込んだ。
そして、特大の溜息を吐いた。




