第60話『腕相撲』
彼の指差した先――
色鮮やかな横断幕が、夏の風にたなびいていた。
《狩猟祭記念! 即席パーティ対抗・腕ずもう大会》
「……あれ、みんなで出てみない?」
唐突な提案に、空気がふわりと弾む。
フェリオのいたずらっぽい笑みに、カガリは思わず目を瞬かせた。
「えっ、腕ずもう……?」
聞き返すように言ったカガリの視線の先では、広場の一角に特設の白い台と土俵が組まれていた。
観客席まで用意されていて、街の祭にしてはやけに本格的だ。
「個人戦じゃなくて、三人一組のチーム戦。勝ち抜き式で、優勝チームには――」
そう言って、フェリオが人差し指を立てる。
「なんと! 狩猟祭限定ワインセット&幻の銀羊の極上毛布の豪華賞品が贈られます!」
「おおっ、ワイン……!」
その言葉に、レオルドが目を輝かせた。
「今年の狩猟祭ワイン、入手困難って聞きました」
ユエルも、珍しく声を弾ませる。
「そうなんだよ! かなりの当たり年らしくてさ。俺もちょっと欲しいな~って思ってたんだよね。でもエントリー三人からだか人数足りなくてさ」
フェリオがニッと笑って、肩をすくめた。
「……もう一つの商品は、毛布? 幻の銀羊って、あの……?」
カガリがそっと問いかけると、フェリオが軽やかに説明を引き取る。
「そう! “幻の銀羊”っていう、北の高原にしか棲息しない魔獣だよ。
毛はふわふわ、手触りは雲。防寒性も抜群で、希少価値が高いから、貴族でもなかなか手に入らない逸品らしいよ」
横で聞いていたリュカとレオルドも「ほお……」と、思わず感心の声を漏らす。
「しかも、今回の賞品はその毛で編まれた特大サイズの大判毛布。完全限定生産、非売品!」
フェリオが指を差してにやりと笑う。
「どうする? 欲しくなってきたでしょ?」
カガリの胸に、ちくりと物欲が芽を出す。
「……ちょっと……ほしい……かも……」
照れくさそうにそう呟いた瞬間、隣にいたリュカがふっと目元を和らげた。
「カガリが欲しいなら、全力で取りに行こう」
「ああ。絶対に取ろう」
セラフィが横で静かに、けれど強く宣言する。
「お前ら……やる気が一瞬でMAXかよ……」
レオルドが呆れたように言いながらも、口元は楽しそうにほころんでいた。
「と、いうわけで!」
ぱん、とフェリオが手を打ち鳴らす。
「せっかくだし、二チームに分かれてエントリーしようよ。優勝賞品、狙いにいこう?」
「え? 二チーム……?」
カガリが不思議そうに首をかしげた。
「ほら、ちょうど6人いるじゃない? カガリちゃんも入れて」
「え、私も……?」
「もちろん!」
フェリオは満面の笑みで断言する。
「でも、男女混合だよね……? わたし、戦える自信ないんだけど……」
カガリが不安げに声を落とすと、セラフィが当然のように口を開いた。
「大丈夫。カガリの番が回る前に、俺とリュカが二勝するから。問題ない」
そして、当然のようにリュカを見る。
「ね、リュカ」
「ああ」
ふたりの視線が静かに交差する。
――なんというか、妙な安心感がある。頼もしすぎて、逆に不安になるくらいに。
「ふーん、随分な自信だね?」
フェリオがやや不満げに声を上げた。
「まったく同じ作戦で、カガリちゃんは、俺のチームに入ってもらおうと思ってたんだけど」
「いや、カガリは絶対に俺のチーム」
セラフィがさらりと返す。にこやかだが、譲る気はゼロだ。
バチバチ、と、美形ふたりの間に静電気のような火花が走る。
「……じゃあ、人数的にユエルはこっちでいいか?」
レオルドがユエルに視線を向ける。
「えっと……あまり腕力には自信ありませんが、それでもよければ」
「だいじょーぶだいじょーぶ! 俺もレオも強いから!」
フェリオが軽くウィンクを飛ばしてくる。
ユエルは少し戸惑ったようだったが、すぐに小さくうなずいた。
「一回戦で当たったらごめんね?」
「いや、それはこっちの台詞だよ、綺麗顔くん」
「力勝負で負けるわけにはいかねぇな」
「正々堂々、勝負といこう」
軽口が交わされ、男たちの目は次第にギラついていく。
「わあ……なんか皆さん、すごくやる気ですね……」
「……ほ、本当に大丈夫かなあ……」
カガリは不安げに視線を泳がせたが、
彼らの背中からは、どこか無邪気な、少年のような熱気が立ちのぼっていた。
(……でもまあ、なんだかんだで、ちょっと楽しそうかも)
ふっと、そんなことを思ってしまった自分に、カガリは小さく笑みをこぼすのだった。
受付で参加を申し込むと、チームごとにアルファベットの紙が配られた。
「僕たちのチームはDですね」
ユエルが掲げる紙には、しっかりと「D」の印。
「私たちは……Eチームだって」
カガリも、自分たちのチーム番号を確認する。
張り出された大きなトーナメント表を見に行くと、両チームの位置は見事に離れていた。
「おー、いい感じにバラけたな」
レオルドが腕を組んでにやりと笑う。
「俺たちが当たるとしたら決勝戦か」
リュカが真面目な顔でトーナメントを見つめる。
「ばっちりの演出じゃん。ちゃんと勝ち上がってきてよ?」
フェリオがウィンク混じりに言い、軽く指を指す。
「そっちこそ」
セラフィが淡々と返すと、二人の視線が空中で交差した。
──男たちは、すでに燃えていた。
◇ ◇ ◇
リュカとセラフィの実力は、やはり群を抜いていた。
剣を握っていなくとも、二人は十分に強かった。
二百年前のエリート騎士と、最強の剣聖の名を持つ男。
どちらも一静かに、そして圧倒的に勝ち進んでいく。
「次の相手、なんかすごく強そう……」
カガリが心配そうに言ったとき、すでにリュカは相手の腕を押し倒していた。
セラフィに至っては、相手の巨漢の腕を受け止めたあと、表情一つ変えずに押し切り、勝利を収めている。
(……あのふたりがいたら、ほんとうに私の出番なんて来ないかも)
緊張していたカガリは、ホッとするような、でもどこか寂しいような気持ちでベンチに座っていた。
一方――フェリオとレオルドのチームも、まったく引けを取らなかった。
優雅な生活を送る貴族とは思えないパワーで、街の力自慢たちをばったばったと倒していく。
さすが、森の巨大な熊を素手で弾き飛ばした男は違う。
しかし意外だったのは――フェリオだ。
(まさか……フェリオさんも、あんなに力が強かったなんて……)
カガリは思わず目を見張った。
武器職人、鍛冶屋、大工、巨漢冒険者――
どんな相手でも怯むことなく挑み、力でねじ伏せるフェリオの姿は、まさに「イケメンパワー系」。
しかも、彼は勝負の最中でも軽口を忘れず、観客を盛り上げる術まで心得ていた。
「はーい、勝っちゃいましたー! 次の相手さん、優しくしてねー?」
「キャー! フェリオさまー!」
観客席は、いつの間にか女性であふれていた。
一回戦、二回戦、三回戦。
どちらのチームも、順調に駒を進めていく。
──そして、舞台はついに整った。
張り出された決勝戦の対戦カードに、会場がざわめく。
《Dチーム vs Eチーム》
「よっしゃ! きたな……!」
レオルドが腕を鳴らし、隣ではフェリオが「ふふふ、完璧じゃん」と笑っている。
「ようやくだな」
リュカは淡々と呟き、セラフィはほんの少しだけ口元を緩めた。
そして、ベンチの端でこっそり水を飲んでいたカガリのところに、ユエルがふと近づく。
「お嬢様、いよいよですね」
「まさか両方とも決勝までこれちゃうなんて!」
「ふふ、どっちが勝つか楽しみですね」
カガリは、うなずく。完全に二人は観戦モードだった。
万が一、一勝一敗で自分たちの出番が来るとしても、ユエルはカガリに勝ちを譲るつもりでいたし、カガリもユエル相手なら、変なことにはならないだろうと安心していた。
どっちが勝っても優勝賞品は手に入る。
もう勝ちにこだわる必要もない。
けれどこのあと、まさかあんな展開になるなんて――
そのときの二人は、まだ思ってもいなかったのだった。




