第5話『密着』
カガリがそちらを向くと、艶やかな黒髪ボブの女性が立っていた。
彼女は無言で椅子を引いて腰かける。
「……シャイアさん」
「ハロー」
サイラスが小さく頭を下げると、シャイアと呼ばれたその女性は、ひらりと手を上げて返す。
「ウイスキー。薄めないで」
そう言って、彼女はカガリの隣にふわりと腰を落ち着けた。
「……知ってる? 魔法ってのは、生き物なら誰でも扱える可能性がある。
適性さえあれば、モンスターだろうが植物だろうが詠唱できる――でも」
それは、かつて貴族の教育課程で学んだことがある知識だ。
カガリは言外の続きを感じ取り、静かに呟いた。
「……でも、スキルは違う」
シャイアは満足そうに口元をゆるめる。
「そのとおり。スキルは“人間だけが持つ力”。
つまり、様々な状態異常を振りまいている薔薇が、スキルで生み出されてるなら――森の中にそれを発現させている“人間”がいるってことになる」
サイラスが静かにグラスを差し出すと、シャイアはそれを受け取り、一口。
「……ちょっと前に、このギルドであった救出劇。あれ、あんたが治したんだ」
「やるじゃん」と言ってウインクを放つシャイア。
突然の誉め言葉に、カガリは少し照れるような仕草を見せる。
「《解除》なんて珍しいスキル持ちだっていうから、どんな奴なのかと思ったけど……まさかこんな可憐なお嬢ちゃんだったとはねえ。
旅慣れしてる風でもないし、平民にしてはやけに育ちが良さそうだし……、
あんたみたいな子が、こんな辺境の街で一人、何やってんの? いったい何者?」
「……。」
不意に沈黙するカガリ。その横で、サイラスが控えめに口を挟んだ。
「……シャイアさん」
「ああ、違う違う。いじめてるわけじゃない」
手をひらひらと振ると、シャイアはいたずらっぽく笑って言った。
「気になったことは口に出ちゃうタチなんだ。悪く思わないで。私はシャイア。あなたは?」
「カガリです。……シャイアさんも、スキル所有者なんですか?」
「ん、そうさ。どんな能力か、見てみたい?」
からかうように笑って、シャイアは手を差し出した。
「右手、貸して」
戸惑いつつも、カガリは素直に差し出す。
すると次の瞬間――
「わっ」
シャイアはにっと笑いながら、カガリの手を掴んだ。
その勢いで、反対の手を素早く伸ばし、カウンターの向こうにいたサイラスの手を掴む。
そのまま、二人の手のひらをぴたりと重ね合わせた。
「シャイアさん、ちょっと……!」
サイラスが困ったように声を上げる。
「わ、わ、わ、ごめんなさい!」
驚いて慌てたカガリが腕を引こうとするが――
「え……? 離れない……?」
二人の手はピッタリとくっついたまま、離れなかった。
シャイアは腹を抱えて笑い出した。
「あっはははは! 私のスキルはね、《密着》(ツイン・ノット)》。いったんくっつけたら、一定時間、離れられないのさ。」
「え、ええ~~っ……」
「いや~お似合いだね、あんたたち。ほら、こうしてるとまるで――」
彼女は親指と人差し指で四角を作り、からかうようにその枠越しに二人を覗き込んだ。
「シャイアさん、いい加減にしてください……!」
顔を赤くしたサイラスが、困惑気味に苦い声を漏らす。
「なによサイラス。赤くなって怒ったって、まったく怖くないよ?」
シャイアは肩をすくめ、グラスを口に運んだ。
サイラスは自由な方の手で顔を覆い、はぁ、とため息をつく。
カガリは――
視線を落としながら、くっついた手の感触に戸惑っていた。
指先から伝わるぬくもりに、どうしてだろう、少しだけ胸がざわめいた。
「あ、あの、早くこれ解いてください!」
声が上ずる。恥ずかしさと困惑が混ざったような声音だった。
「あらら、照れちゃって可愛いじゃん。別に、私が解かなくたって、あんたの力で《解除》すればいいじゃない?」
ウイスキーを一口あおりながら、シャイアは平然と返した。
「……わたしの、力で……」
カガリはほんの一瞬、視線を伏せたあと、小さなポーチに手を伸ばす。
取り出したのは、あの小さな装置。
(できる……かな)
そっと装着すると、ずしりとした視覚の圧とともに、脳に鋭い痛みが突き抜ける。
世界がぐにゃりと歪む感覚。
眉をひそめ、頭を押さえると、すぐ横で声があがった。
「カガリさん!?」
サイラスが心配そうに覗き込んでくる。
「だ、大丈夫です……」
揺れる視界の中で、彼女はレンズ越しに自分とサイラスの手を見つめた。
重なった手のひらの中心に、波紋が浮かんでいた。
(……見える)
その中心に、意識を集中する。
静かに手を添えて――
「……解除」
ぱんっ、と小さな光がはじけた。
波紋が砕け、次の瞬間、ぴたりとくっついていた手が、すっと離れた。
「……!」
(……できた!)
その事実に、心の奥がほんのり温かくなる。
ちゃんと解除できた。
ちゃんと、コントロールできた――。
ほっと胸をなでおろし、装置を外す。
その瞬間、ふらりと意識が揺れた。
「顔色が……。水を、飲んでください」
気づいたサイラスが、急いで水の入ったグラスを差し出してくれた。
「……ありがとうございます」
彼女はそれを両手で持ち、ごくごくと喉を潤す。
──そして。
シャイアの方を見ると、先ほどまでふざけていた表情が、変わっていた。
ウイスキーのグラスを置いた彼女は、じっとカガリを見つめていた。
そこには、茶化すような色は、もうなかった。
※こちらの作品は、『カクヨム』でも連載しています。
https://kakuyomu.jp/works/16818622177469889409
カクヨムの近況ノートにて、キャラクターのラフスケッチを描いていくので、
もしビジュアルのイメージに興味がある方は覗いていってください。