第4話『緊急クエスト』
冒険者登録を終えて数日。
カガリはまだ“駆け出し”にも満たない新人として、ギルドの掲示板に並ぶ小さな依頼を、ひとつひとつ着実にこなしていた。
初めて請け負ったのは「迷子の猫探し」。
次は「仕込み中にこぼした小麦粉の後始末」、
「井戸の修繕の手伝い」、
果ては「郵便物の届け先確認」まで。
貴族の娘として育ったカガリにとっては、すべてが初めての体験だった。
慣れない長靴に靴擦れをつくり、道具の持ち方もぎこちない。
それでも、彼女は一つひとつの仕事に真剣に向き合い、少しずつ“街の人間”としての足場を築いていった。
――その姿勢は、街の人々の心にも、少しずつ届いていた。
「カガリちゃん。昨日は手伝いありがとうね。お礼に、リンゴ持ってきな」
「あらムース、またこの子に抱っこしてもらいたいの? もう、すっかり懐いちゃって」
市場を歩けば、そんな声が自然と彼女に向けられるようになった。
小さな笑顔で何度も頭を下げるカガリの姿に、ギルドの受付官・サイラスもこっそりと頬をゆるめていた。
彼女自身はまだ、自分がこの街に馴染めているという実感を持てずにいたが、
けれど確かに、目に映る街の景色は、少しずつ柔らかくなっていた。
「人気者ですね」
道端で荷物の整理をしていたサイラスは、静かに声をかけた。
「あっ、サイラスさん! こんにちは。……買い出しですか?」
「ええ、ちょうど戻るところです。カガリさんは?」
「クエストの完了報告に。……一緒に行ってもいいですか? あ、それ、私にも少し持たせてください」
「お気遣いありがとうございます。では……これだけ」
サイラスは一番軽そうな包みをカガリに渡した。
石畳の道を並んで歩きながら、自然と会話が生まれる。
「……ここでの生活には慣れましたか?」
「はい。少しずつ……。この街の人たち、皆さん親切で……。前に住んでいた場所とは、ぜんぜん違って……」
ふと、その声音が沈む。
目を伏せたカガリの表情に、かすかに過去の影が差した。
サイラスはその気配を敏感に察しながらも、あえて深くは踏み込まなかった。
代わりに、ふと荷物のひとつを手に取り、微笑みを浮かべる。
「……ちょっとこの袋、鼻を近づけてみてください」
「え……?」
促されるままに、カガリは紙袋に顔を近づける。
「……わ、いい匂い。これは……」
「クッキーです。荷物を持っていただいたお礼に、ギルドに着いたら紅茶と一緒に出しますね」
「……わあ。……ありがとうございます」
ぱっと、カガリの表情が明るくなる。
その笑みを見て、サイラスも安心したように、目を細めた。
◇ ◇ ◇
ギルドに戻ると、カガリはクエストの完了報告を提出し、報酬を受け取った。
そのあと、サイラスが淹れてくれた紅茶と、さっきのクッキーを囲みながら、バーカウンターの角席で一息つく。
カガリはクッキーをそっと口に運び、
同時に掲示板に並ぶクエストの一覧に視線を移した。
「……働き者ですね」
「じっとしてるより、動いてる方が気が紛れるんです。……それに、お金もそんなに余裕があるわけじゃないので」
カガリは少し照れたように笑う。
サイラスはそれを見て、ふと表情を改めた。
「でしたら、いつまでも★1の依頼ばかりでは、もったいないかもしれませんね。今のカガリさんの冒険者ランクなら、★3まで受けられます」
「……え? でも、私まだ全然……」
「いくつも依頼をこなしているじゃないですか。手際や判断力も、最初の頃よりずっと良くなっている。──自信を持ってください」
驚いたような顔でサイラスを見るカガリに、彼は変わらず柔らかく微笑んでみせた。
「無理にとは言いません。ですが、もし『次の一歩』を踏み出してみたいと思えたときは、いつでも相談してください。……力になりますよ」
カガリは、手元のカップをそっと見つめる。
その言葉は、今の自分にとって何より温かかった。
ここに来て、ようやく見つけた“居場所”の感触。
それは、過去にどれほど求めても得られなかったものだった。
頑張ってみようかな、と前向きな気持ちが働いたときだった。
――彼女の目が、一枚の依頼書に留まる。
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『迷いの森の異常調査』
依頼ランク:★★★(緊急)
場所:迷いの森ダンジョン(D)
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あれだけ、他の依頼とは紙の色が違っていた。
他のクエストが白い紙で記されているなか、それだけがひときわ目を引く赤色をしている。
「……サイラスさん、この赤い紙の依頼って、なんですか?」
「ああ、それは“緊急クエスト”ですね。
ギルドが特に重要性、あるいは危険性が高いと判断した案件には、赤紙が使われます。」
「……“迷いの森”って、ギルドから近いんですか?」
「ええ。森自体は街の外れから半日ほどの距離にあります。ダンジョンランクはD。
内部には植物のトラップや幻覚を誘発する蔦などが多く、道に迷いやすい構造をしています。
ただ、モンスターの出現率は低く、比較的“初心者向け”とされてきたダンジョンなんですよ」
「そのダンジョンの調査が……どうしてこんな緊急扱いに?」
サイラスは少しだけ眉を寄せ、クエスト表の横に添えられた報告書を指差す。
「実は、カガリさんがスキルで助けた、あの青年のパーティー……
彼らが直前に請けていたのが、この“迷いの森”での調査依頼なんです。」
「……!」
「本来、ダンジョンの“深層”にしか現れないはずのボスと、彼らは“中層”で遭遇したと報告しています。
長年、行動範囲が狭いとされていたその存在が、活性化して広がり始めた――
つまり、“想定外の危険性”が生じているということですね」
サイラスはさらに補足する。
「ギルドでは、ダンジョンの危険度を“SS〜E”の6段階で定めています。
そして、冒険者ランクもまた“SS〜E”。
基本的には、自分のランクと同格、あるいは一段階下のダンジョンが適正とされているんです」
カガリはうなずいた。
今の自分は、登録したばかりの“Eランク”。
本来、★1〜2までの依頼が無難とされる身だ。
「このクエストも本来は★2でした。
もともとの目的は『森に異常発生している謎の花の調査』だったんですが、
事態の変化により、ランクが引き上げられる予定です。
……ですので、現時点でも、Eランクのカガリさんには、正直なところ……難しい内容かと思います。」
サイラスは遠慮がちに言った。
「“謎の花”って……どんなものなんですか?」
カガリの問いに、サイラスは少しだけ表情を曇らせる。
「報告によると、薔薇に似た花が森の中に異常繁殖しており、
それが原因と思われる状態異常――幻覚、麻痺、毒などが、すでにいくつもの事例で確認されています」
「……!」
カガリの脳裏に、数日前の光景がよみがえった。
苦しげに喘いでいた、あの青年の姿。
肌を溶かし、肉を腐らせるような毒――彼の身体にまとわりついていた、見えない“何か”。
「サイラスさん、あの時の人の症状が、もし、その薔薇によるものだったとしたら……それは……」
彼女はぽつりと呟いた。
「……その薔薇の花は、スキルで、発生している可能性があります」
サイラスの瞳がわずかに見開かれる。
「私の解除のスキルは、あくまでスキルにだけ作用するスキルです。
あの日、私が青年に《解除》を使って症状が改善しました――
あれは魔法や呪いではなく、“スキル”によって引き起こされた異常だったということです」
そう――あの青年の毒の侵攻は、《解除》でしか止められなかった。
つまり、あの症状を引き起こす原因となったものは、スキルが関与している可能性が高い。
サイラスは顎に手をあて、考え込む仕草を見せた。
と、そのとき。
「面白い考えだけど――それだと、妙な話になってくるんだよねぇ」
カウンターの横から、涼やかな女の声が割り込んできた。
※こちらの作品は、『カクヨム』でも連載しています。
https://kakuyomu.jp/works/16818622177469889409
カクヨムの近況ノートにて、キャラクターのラフスケッチを描いていくので、
もしビジュアルのイメージに興味がある方は覗いていってください。