第37話『影の靴音』★
ギルドでの会議を終えた帰り道、街の夕暮れはやわらかく空を染めていた。
ほのかに湿った石畳の道を、カガリとセラフィが並んで歩いている。
カイロスは「もう少しだけ残る」と言って、ティラとともにボス化の原因について話し込んでいた。
リュカは「夕飯の買い出しをして帰る」と軽く言って、街の賑わいへと消えていった。
少しひんやりとした風が、焼けた空気を撫でてゆく。
無言のまま歩く道すがら、二人の影が、細長く夕日にのびていた。
ふと隣から小さな吐息がもれた。
カガリは歩みを緩めて、そっと顔を横に向ける。
セラフィが、少しだけうつむいていた。風に前髪が揺れ、彼の瞳がその陰に隠れる。
「……セラフィ、大丈夫?」
そっと顔をのぞき込む。
さっきの会議で、言葉に詰まりながらも、過去をたぐり寄せるように語っていた彼の姿を思い出す。
心配になって、自然と足が止まる。
セラフィも歩みを止めて、少し遅れて顔を上げた。
「平気だよ。……ごめん。君には、心配ばかりかけてる気がする」
そう言って、彼はいつものように優しく笑った。
けれど、その笑みはどこか無理をしているようで、胸がきゅっと痛んだ。
「そんなこと……」
否定しようとしたカガリの言葉に、かぶせるようにセラフィが続けた。
「リュカも、カイロスも、君の力になれてる。
なのに、俺はまだ……君に対して、何も返せていない」
その声には、ほんの少しだけ、苦さが滲んでいた。
自分を責めているような響きに、カガリは思わず首を横に振った。
「そ、そんなの、気にしないでよ。恩返しとか……考えなくていい。
こうやって一緒にいてくれるだけで、じゅうぶんだもん……」
言いながら、自分の言葉が少し気恥ずかしくなって、視線を足元に落とす。
でも、それでもちゃんと伝えたかった。
セラフィが驚いたように目を見開き、それから静かに微笑んでくれたことで、胸の奥がじんわりと温かくなる。
帰り道の石畳を、二人の足音が静かに刻んでいく。
「……ねえ、セラフィ」
「ん?」
「最近、屋敷の中が……にぎやかになってきて、嬉しいの」
セラフィがこちらを振り向く。
その目には、穏やかな疑問の色が浮かんでいた。カガリは、照れたように微笑んだ。
「今までずっと、家の中が静かで。誰かと話すこともほとんどなくて……食事の音や、誰かの足音がするだけで、安心できるのが不思議で」
少し恥ずかしくて視線を逸らしながら、でも言葉は止まらなかった。
「昔はね、家の中が牢屋みたいに感じてたの。だから、こんな気持ちになれたことなくて……今の毎日が、本当にありがたくて。……こうして誰かと並んで歩けることも」
セラフィは、何も言わずに聞いていた。
その静けさが心地よく感じた。
「君がそう言ってくれるなら、俺も少し、救われる気がするよ」
低く、けれど優しく落ちるその声に、カガリはまた顔を上げた。
どこかほっとしたような微笑が、セラフィの口元に浮かんでいる。
セラフィがふと、空を見上げるようにして言った。
「……ほんとうに――」
言葉の続きを待つように、カガリが小さく瞬きをする。
セラフィは少しだけ視線を落とし、淡く笑う。
「俺を呼んでくれたのが……君でよかった」
言葉は、風に混じってふわりとほどけていった。
二人の歩調が、自然と重なる。
言葉は交わさなくても、静かな満足がそこにあった。
街の喧騒も少し遠のいて、鳥のさえずりと風の音だけが耳に残る。
そんな穏やかな空気の中。
屋敷まであとわずかというところで、セラフィが不意に足を止めた。
その横顔に気づいて、カガリも立ち止まる。
「……誰かいる」
指さす先――屋敷の門の脇、石垣の影に、小さな人影がぽつんと佇んでいた。
腰をかけるでもなく、立ったまま、何かを抱えるように胸元にかかえている。
目を伏せたまま、ただじっとしているその姿に、カガリの胸がざわめいた。
(あれ?……まさか……)
近づくにつれて、その顔立ちがはっきりと見えてきた。
ぼんやりとうつむいた横顔。風に揺れるアッシュカラーの髪。
「……ユエル!?」
思わず声を上げると、少年がはっとして顔を上げた。
一瞬、驚いたように目を見開いたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。
「……お久しぶりです、カガリお嬢様」
小さく頭を下げた仕草には、昔と変わらない礼儀正しさがあった。
「知り合い……?」
後ろから歩いてきたセラフィが、少し首をかしげて問いかける。
「うん。うちの家で働いてた子なの。……でも、どうしてこんなところに……?」
カガリの問いかけに、ユエルはおずおずと手元の包みを持ち直した。
丁寧に布でくるまれたそれを、両手で差し出す。
「……カガリお嬢様に、こちらをお渡しするようにと、言われまして」
布の中から姿を見せた封筒。その紋章を見た瞬間、カガリの表情が強ばる。
金で縁どられた封蝋――エルグレア家の紋章が、そこには刻まれていた。
カガリは言葉を失ったまま、それを受け取る。
沈黙を破ったのは、隣から聞こえたセラフィの声だった。
「……ずいぶん遠くから、歩いてきたんだね」
そのひとことに、カガリはふと我に返る。
そして、ユエルの足元へと視線を落とした。
――ボロボロの靴。
つま先は擦り切れ、靴底はほとんど剥がれかけている。
「まさか……エルグリアの屋敷から、ここまで歩いてきたの?」
驚きのあまり目を見開いた。
「えっと……いろいろ、ありまして……」
ユエルはかすかに微笑んだが、その笑みはどこか固く、疲れが滲んでいる。
「……とにかく、うちに上がって。体を休ませよう」
カガリは強くそう言って、門を押し開ける。
「い、いえ、僕はこれで――」
「だめ! たくさん歩いて疲れてるでしょ……」
「ですが……」
「……ユエル、お願い」
カガリの真剣なまなざしに、ユエルは迷うようにまばたきし、戸惑いがちに頷いた。
その応答に、ようやくカガリの表情が和らぐ。
少年の表情にも、ほっとしたような安堵がにじんだ。




