第2話 『この力は、無能ではない』
目を覚ましたのは、窓の向こうに朝の光が差し込む頃だった。
「……う、ん……?」
頭が重い。喉も乾いていた。
床の上には、昨夜のまま転がった小さな装置。
銀のブローチは手の中にあった。波紋の気配は、もうない。
夢ではなかった。
確かに、《解除》は発動していた。
それを思い返した途端、胸の奥に小さな火が灯った気がした。
(……ちゃんと、使えた)
小さな希望。それは、これまでずっと渇いていた心に、初めてしみ込む“光”だった。
◇ ◇ ◇
支度を整え、簡素な旅装の裾を直すと、カガリは街の中心部を目指して歩き出す。
目指すのは、この街の中心部にある、冒険者ギルド。
貴族であった自分が、あえてその門を叩く日が来るとは――かつては想像もしなかった。
(でも、もう……身分なんて、関係ない)
働いて、生きなければ。
辺境の街は、朝から活気づいていた。
露店では果物が売られ、道端では鍛冶屋の少年が火を焚いている。
雑多で不揃い、けれどどこか温かい人々の姿が、カガリの心を少しずつほぐしていった。
やがて、ギルドの看板が見えてきた。
二階建ての石造り。建物の前には、既に何人もの冒険者が出入りしている。
(大丈夫、大丈夫……私はもう、“お嬢様”じゃない)
緊張を胸に押し込め、カガリは扉に手をかけようとした――その時。
「誰か! 治療士を──!!」
背後から、誰かが叫び声とともに走ってきた。
カガリが慌てて身を引くと、現れた男は、勢いよくギルドの扉を開き、中に入っていった。
そのすぐ横を、血まみれの青年を抱えた別の男が駆け抜けていく。
彼の腕の中にある青年――その肌は赤黒く変色し、喉からは弱々しい呻き声しか漏れていなかった。
ギルド内は騒然とした。
駆け寄る冒険者たち。居合わせた治療士らしき男が、即座に治療魔法を試みる。
「診せてみろ!」
運び込まれた青年を床に寝かせる。
すでに意識がなく、顔色は青黒く、唇もかすかに震えている。
その皮膚には、黒い斑点とただれが広がっていた。それはまるで、肉が腐っているようだった。
「なんだこの反応、毒じゃねえぞ!?」
治療魔法の光が青年の体を包むが、まったく効果が現れていないようだった。
「効かねぇ! 魔法が通らない……!」
一人が叫ぶたびに、誰かの声が重なる。
治療魔法の光がいくら重ねられても、青年の容態は回復の兆しを見せなかった。
(何これ……何が起きてるの?)
胸が苦しい。
怖い。目をそらしたい。
けれど視線は離せなかった。
彼の呼吸は、どんどん浅くなっていく。
「呪い?いや、スキルか? でも、判別もできねぇ……っ」
スキル、という言葉に体がビクリ、と反応した。
スキルによるものなら、≪解除≫で対処できる。
「あ、あの……」
声をかけようとしたが、続けようとした言葉が喉の奥で引っかかった。
目の前の光景が、ある記憶を呼び起こす。
――貴族派遣任務での、護送隊襲撃。
あの時、私は何もできなかった。
誰かが目の前で傷つき、叫び、血を流しても――私はただ、震えていた。
(あのとき、何度も願ったのに。スキルは発動しなかった。使えなかった。役に立たなかった……)
喧騒から少し離れた場所で、立ち尽くす。
また、発動しないかもしれない、と思うと怖くて、怖くてしかたがなかった。
「無能」という、誰かの声が、頭の中で繰り返される。
俯くと、胸元に付けたブローチが視界に映った。
瞬間、昨日の夜の不思議な出来事が思い出される。
初めて発動した《解除》のスキル。
あれは絶対、幻ではなかったはずだ。
腰に下げた小さなポーチから、小さな装置を取り出す。
屋敷で見つけた不思議な装置。
いまだ、なんだか分からないそれの、銀のフレームを指でなぞった。
「くそっ、もうだめだ!」
絶望の声が響いたときだった。
横たわる青年が、ゲホ、ゴホ、と血を吐きだした。
命の限界が近いことを悟る。
ほぼ無意識だった。
何かしなきゃ、どうにかきゃ。――反射的な動きで、眼鏡状の装置を装着する。
途端に、ひどい頭痛が走った。
そして、視界が二重に揺れる。
(……ある)
奥行きのない世界が、奥底から“なにか”を浮かび上がらせる――
青年の胸部、その中心に。
明らかにおかしい、光の波紋が見えた。
脈動するように揺れながら、身体の深部に根を張るそれは、まるで――
(歪み……)
きっと、間違いない。
《発動中のスキル》の痕跡だ。
魔法ではなく、毒でもなく。
これは、スキルによる干渉だと直感する。
「下がってください!」
声が震えていた。
けれど、今だけは、もう迷わない。
青年の肩に、そっと手を添える。
光の波紋に意識を合わせ、奥深くへ。
脳裏に浮かぶのは――
昨夜、初めて《解除》が発動したときの感覚。
あのときのように、ただ強く、ただひたすらに、願う。
「……お願い、消えて」
静かに、けれど確かな言葉とともに。
視界の中で、波紋が光のように“弾けた”。
──パァンッ……!
音もなく、何かが剥がれ落ちるような気配。
空気が、わずかに澄んだ気がした。
青年の身体から、ゆっくりと黒い靄のようなものが抜けていく。
荒れていた皮膚のただれが引き、呼吸が落ち着き始める。
「……うそ……だろ」
周囲の誰かがそう呟いた。
静まり返るギルド内。
けれど、カガリにはもう、周囲の声が聞こえていなかった。
肩が揺れる。視界がにじむ。
脳を突き刺すような頭痛が、意識を切り離そうとしている。
(やっと……助けられた……)
その思いと同時に、意識がふっと、暗闇に沈んでいった。
◇ ◇ ◇
「……ぅ、……っ」
ゆっくりと、まぶたが開く。
差し込む光に瞳が滲み、頭がふらりと揺れた。
(……ここは……)
白い天井。見慣れない天蓋付きの簡素なベッド。
薄く薬草の匂いが漂っていて、どこか安心できる空気があった。
「……気がつきましたか?」
穏やかな声が、すぐ傍から降りてくる。
カガリがそちらを向くと、柔らかな色合いの制服に身を包んだ青年が、そっと椅子から立ち上がるところだった。
落ち着いた焦げ茶の髪。整った顔立ち。歳は、カガリより少し年上に見える。
「ここは、ギルドの医務室です。スキルの反動か、気を失われていたようで……念のため、休んでいただいていました。気分は、悪くないですか?」
言葉は丁寧で、柔らかく、カガリの様子を気遣う。
カガリは、咄嗟に身体を起こしかけて――すぐに、頭に走る鈍い痛みに顔をしかめた。
「無理をなさらず。落ち着くまで、ゆっくりしていて大丈夫ですよ」
青年がそっと、グラスに注がれた水を差し出す。
「ありがとうございます……」
口にした水が喉を潤すと、ようやく脳が回転しはじめた。
(そうだ……あの人……)
「……あの……!」
思わず、声を上げていた。
青年が少し目を見開く。
「……あのとき、倒れていた人。私は……ちゃんと、彼を助けることができたんでしょうか……!?」
言いながら、自分でも手が震えているのがわかった。
足がすくむような現場だった。
でも、それでも、願って、手を伸ばして……
《解除》を放った。
彼の命が、ちゃんと繋がっているだろうか。
……繋がっていてほしい。
水の入ったグラスを握る手に力が入る。
受付官の青年は、柔らかく、微笑んだ。
「ええ。彼は、今はもう落ち着いて眠っています。容態も安定していて、命に別状はありません」
「……っ……!」
カガリの瞳に、ぱっと光が灯る。
肩の力が抜け、胸がいっぱいになった。
(……よかった……)
言葉にならない想いが、心の奥であふれる。
誰も頼らず、誰にも期待されず、無力だと疎まれてきた《解除》のスキル。
それでも――初めて、誰かを救えた。
確かに、自分の手が命をつなぐことに役立った。
(……この力が……ちゃんと、人の役に立った……)
それが、どんなに静かでも、どれほどささやかでも。
彼女の中で、確かな“始まり”の音が鳴った。
カガリは、息を整えながら微笑む。
その頬には、目覚めたばかりの熱と、ほっとした安堵の色が混じっていた。
サイラスも、どこか柔らかくうなずきながら、小さな声で口を開く。
「……あなたは、この街には、来たばかり……ですか?」
「……え? あ……はい。昨日、この街に着いたばかりで。……もともと住んでいた場所を離れて……」
言葉を選びながら、カガリは視線を少しだけ落とした。
すべてを語るには、まだ心の整理が追いつかない。
それに、会ったばかりの彼に言うべき話ではないような気がする。
サイラスは、カガリの言葉がそこで止まったことを確認してから、静かに頷いた。
「なるほど。……それなら、きっと、戸惑うことも多いかもしれませんね」
それだけを言って、深く詮索するような素振りはまったく見せなかった。
「僕は、この街のギルドの受付を担当している、サイラスと申します。――困ったときや頼れる人が必要なときは、いつでも声をかけてください」
サイラスは少しだけ、微笑んで答えた。
「受付……」
「はい」
サイラスは、胸元に手を当てて見せる。そこには、“受付官”の証である銅のバッジがあった。
「あなたが使ったあのスキル……とても、珍しいものですね。職業柄、色々なスキルを目にしてきましたが、あなたのあれは、初めて見ました」
「……《解除》という力です。スキルを……無効化する能力、なんですけど……でも、うまく扱えたのは、つい最近で」
カガリは、素直にそう打ち明けた。
嘘をついても仕方がないし、なにより彼は――信頼してもよさそうな雰囲気を纏っていた。
サイラスは、ゆっくりと立ち上がり、机の上から小さな銀のバッジを手に取った。
「よろしければ……冒険者登録をなさいませんか? ギルドとして、あなたの力を正式に迎え入れたい」
「……!」
思わず、目を見開く。
「わ、私なんかが……役に立ちますか?」
「ええ、もちろん。ギルドには、毎日様々な内容の依頼が届きます。戦闘はもちろん、街の住民のお手伝いとかも。草むしりや、探し物の捜索、書類の整理……実は、力仕事ばかりじゃないんですよ。」
サイラスの話を聞いて、それなら、自分にもできるかもしれないと思った。
「今日、あなたがいてくれて、助かった人がいます。また、誰かをが困っていたら、あなたの力で助けてあげてほしいんです。――冒険者とは、自分にできることで、誰かを助けてあげるお仕事です。」
「自分にできることで……誰かを」
サイラスの手のひらの上にある銀色の小さなバッジ――冒険者の証をみつめる。
サルディアスの声も、ルシェリアの冷笑も、エルネストの呆れるようなの視線も
もう、ここにはない。
“使えない”と蔑まれた力が、今――“歓迎されている”。
これは、扉だ。
新しい人生のはじまりに繋がる、小さな鍵。
カガリは、力強く、うなずいた。
「……はい。お願いします」
ベッドの上に射し込む朝の光が、銀のバッジを柔らかく照らしていた。
※こちらの作品は、『カクヨム』でも連載しています。
https://kakuyomu.jp/works/16818622177469889409
カクヨムの近況ノートにて、キャラクターのラフスケッチを描いていくので、
もしビジュアルのイメージに興味がある方は覗いていってください。