第22話『耳と、しっぽと、オッドアイ』
「静謐の神殿までは、徒歩だと二日はかかる。……馬を借りよう」
街道沿いの広場――
簡素な腰掛に並んで座り、買い足した物資を袋ごと足元に置いたまま、リュカがぽつりと告げた。
「え、馬……?」
カガリは、思わず顔を上げる。
馬に乗ったことなど、一度もなかった。貴族の家に生まれたとはいえ、乗馬の訓練など受けさせてもらえる立場ではなかったからだ。
「そっか……リュカは騎士だもんね。……私、乗ったことないんだけど、大丈夫かな」
「一緒に乗るから心配しなくていい。俺が後ろから支える」
「え? あ、うん……」
言葉を返したものの、カガリの思考はそこから先へと飛んでいた。
(それって……かなり、密着するよね……)
想像してしまった。
背中にリュカの胸が触れる。両腕で自分を支える――その距離。
急に、頬がかっと熱くなる。
「どうした?」
リュカが、何気なくこちらを見る。
「う、ううん! なんでもない!」
(リュカと行動を共にするようになってから、よく思うんだけど……)
――私は、今まで、あまり人と触れ合ったことがなかったんだよね。
優しく手を取られることも、頭を撫でられることもなかった日々。
家族の誰も、心を寄せるような言葉をくれなかった。
スキンシップなんて、遠い世界のものだった。
(リュカは……たぶん、違う。心は開かなくても、人と交わって生きてきた人だ)
騎士として、人々とともに戦い、背を預け合うような関係の中にいたはずだ。
(なんだか、私ばかり気にしてて……余計に恥ずかしい)
そんなふうに思った途端、胸の奥がそわそわと騒ぎ出す。
――リュカはどう思っているんだろう。
平然としている彼の横顔を見るたび、余計に自分の反応が浮いているような気がして、顔が熱くなる。
そんなカガリを見ていたリュカが、ふと心配そうに眉をひそめた。
「……本当に大丈夫か?」
「全然大丈夫! 気にしないで!」
リュカの心配そうな声に、明るく返そうとした――そのときだった。
彼の指が、すっと伸びてきて、頬にひんやりと触れた。
「……少し、熱っぽい気もするが……」
「!?!?!?!?!?!?」
心臓が飛び出るかと思った。
反射的に、椅子から跳ね上がってしまう。
「だ! だ、だ……大丈夫だから! 本当に!!」
慌てて立ち上がり、足をもつれさせながら、反対側へと下がった。
そして――背中に、何かがぶつかる。
「わっ、ごめんなさい!」
あわてて振り向く。
そこにあったのは、しっかりとした胸板。勢いよくぶつかった自分に、微動だにしない体。
――見上げると、そこには、一人の青年が立っていた。
筋肉質だが、すらりとした体格に、整った顔立ち。
けれど、それよりも先に目を奪われたのは――
彼の髪のあいだから、ぴょこん、と立ち上がった“それ”だった。
(……耳?)
人間のものとは思えない、獣のような柔らかそうな耳。
まるで犬のように、ぴん、と立ち、カガリの視線に反応するようにぴくりと動く。
驚いて声も出せずにいると、彼がふわりと微笑んだ。
「はぁーーーっ、やっっっと会えたぁ!」
「!?!?」
その青年が、いきなり体ごと――覆いかぶさってきた。
「はぁー、そうそう、このにおい。うん、あんたに間違いない」
「え? え? え? え???」
わけも分からず、青年に抱きしめられたまま硬直する。
「カガリ!」
リュカが即座に間合いを詰め、青年の腕からカガリを引き剥がすようにして、彼女をぐっと抱き寄せる。
突然のことで、気がつけばカガリは、今度はリュカの胸元にいた。
「……何者だ、お前」
リュカの声は、低く鋭かった。
腕の中にいるカガリを守るように、その視線が、青年を真っ直ぐに射抜く。
青年はと言えば、腕を広げたまま、悪びれもせずニコニコと笑っていた。
「俺? ――俺はナミル! よろしくな!」
ピン、と犬耳が元気に揺れる。
無邪気な笑顔を浮かべながら、青年は当然のように名乗ってみせた。
◇ ◇ ◇
「え! ギルドに運ばれてきた……あの時の?」
思わず声が上ずる。
「そうそう!」
ナミルは得意げに鼻を鳴らした。
――“あの時”
繚乱のスキルによって重傷を負い、ギルドに運ばれてきた青年。
その場に居合わせたカガリが、腐食の状態異常を解除したことで、命をとりとめた。
……それが、目の前の彼だったというのか。
「顔、まったく覚えてくれてなかったのかぁ〜」
シュン、と音がしそうなくらいに、ナミルの頭の上の耳が垂れた。
感情と耳の動きが連動しているらしく、しょんぼり具合がダイレクトに伝わってくる。
「……あの時は、とにかく必死で……。ご、ごめんなさい」
カガリが申し訳なさそうに頭を下げると、ナミルはすぐにぱっと顔を上げた。
「いやいや、いいんだ! 助けてくれたってことが、何より大事なんだからさ!」
彼は眩しいくらいに笑ってみせる。
その笑顔に、カガリの表情もほっと緩んだ。
「……あの後、心配してたんです。完全に回復するまで、病院で治療を受けられてたって、ギルドの人から聞いて……」
「そうそう! 治った後もさ、調査だなんだってギルドの連中に付き合わされてさー……いやー、大変だったんだぜ?」
ナミルが笑いながら言うと、隣で聞いていたリュカが、ほんの少しだけ視線を逸らした。
カガリは気づく。
――それが、彼なりの罪悪感の表れだということに。
あの事件の“張本人”は、他でもないリュカだったのだから。
もちろん、本人の意思ではなかったとわかっていても、胸に残るものはあるのだろう。
リュカを心配そうに見ていると、ナミルもふと視線を移し、にやっと笑った。
「ま、終わったことだ。誰も責めたりなんかしねえよ、薔薇男」
「――!」
思わず目を見開いたリュカに、ナミルは肩をすくめた。
「連中の調査に付き合ったって言ったろ? お前のことも、それで聞いてさ」
「……そうか」
リュカの声は低く沈んでいた。
「俺の意思ではなかったとはいえ……すまなかったな」
「んー、まあ……あの時は、俺も油断してたんだ。自業自得ってことで!」
あっけらかんと笑うナミルの言葉に、少しだけ空気が和らぐ。
ナミルはもう一度、カガリに向き直る。
「――あんたに、ずっと会いたかったんだ。俺の命の恩人に。ちゃんと礼を言いたくてさ」
「そんな……! 私、できることをしただけで……でも、気になっていたので。会えてよかったです」
カガリがほっとしたように微笑むと、ナミルの背後でふわりと何かが揺れた。
(……尻尾?)
見れば、ナミルの腰のあたりから生えた犬のような尻尾が、ぱたぱたと嬉しそうに揺れている。
どうやら、感情が隠しきれないタイプらしい。
そんな彼の様子を見ていたリュカが、ふと思い出したように呟いた。
「……それにしても、獣人族に出会うのは久しぶりだな。ここは、お前たちの故郷からは、かなり遠いはずだが……」
リュカの記憶の中にある獣人族の集落は、この地域からはかなり離れた土地にあった。
この辺りでは、獣人の姿を見かける機会など滅多にない。
彼の目が、ナミルを観察するように細められる。
ぴんと立った獣耳に、揺れる尻尾。
それ以外は――限りなく人間に近い。
(――ウルフ種……そして、オッドアイか)
獣人族の瞳は本来、金色の虹彩を持つ。
だが、ナミルの右目は、まるでアメジスト石のような、鮮やかな紫だった。
「育ての親が人間だったんだ。それに、俺自身もハーフでさ」
さらりとした一言。
けれど、その意味は決して軽くはないことを、リュカは知っている。
獣人族は種の純血を重んじる。
ネコ科、犬科といった、彼らの中での分類すら明確に分けられており、種族をまたぐ交配は忌避されることが多い。
ましてや――人間との混血など、珍しいどころの話ではなかった。
「……時代は変わったのか?」
リュカが思わず口にした。
「ん? なにがだ?」
「……いや、こっちの話だ。気にしないでくれ」
わずかに目を伏せて、リュカは言葉を濁す。
そのとき、ふとカガリが問いかける。
「ナミルさんは……お礼を伝えるために、ここまで追ってきてくれたんですか?」
「ああ。あんたの匂いを辿ってきたんだ。俺、鼻が利くからさ」
ナミルは鼻先を指差して、得意げに胸を張った。
だがその後、ふと目を伏せ、声のトーンが変わる。
「――でも、それだけじゃなくて。
ギルドの緊急要請を耳にした。……静謐の神殿の調査だろ?」
その名が出た瞬間、カガリの呼吸が浅くなる。
「……本気か?」
リュカが低く問いかける。
「もちろん。恩返しするには、ちょうどいい舞台だと思ってさ。飛んで来たんだ!」
ナミルは笑ってみせた。
その笑顔に、どこまでもまっすぐな意志が宿っていた。
「獣人族は、義理堅いんだ。恩は、恩で返す!」
「ナミルさん……」
「ナミルでいいよ。――それより、俺もあんたの名前が知りたい」
気負わない口ぶりだったが、その目はどこか期待しているようだった。
そういえば名乗っていなかったことに気づく。
「あ……私は、カガリ。よろしくね」
ナミルは、彼女の言葉を繰り返すように口の中で転がした。
「カガリ、か……。カガリ……うん……うん、いい名前だな」
そして、にっこり笑って、さらりと言葉を添える。
「名前もかわいい」
「か、かわ……」
思わず言葉を詰まらせる。
あまりにも自然で、あっけらかんとした口調。
不意打ちのようなその一言に、心臓が跳ねる。
「俺はリュカだ。――リュカ・ヴァレト」
リュカがわざとらしく咳をして、言った。
「なんだよ、怖い顔すんなって。取って食わねえよ」
頭の後ろで手を組みながら、ナミルが言う。
尻尾がぱたぱたと嬉しそうに揺れていた。
――こうして、思いがけない仲間がひとり、旅路に加わったのだった。
※こちらの作品は、『カクヨム』でも連載しています。
https://kakuyomu.jp/works/16818622177469889409
カクヨムの近況ノートにて、キャラクターのラフスケッチを描いていくので、
もしビジュアルのイメージに興味がある方は覗いていってください。




