表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/120

第21話『曙光』


東の空が、かすかに色づき始めていた。

屋敷の窓からは、まだ眠る森の輪郭がぼんやりと浮かんで見えている。


(少し、早く起きすぎたかな)


廊下を歩いて応接室へと向かう。

まだ誰も起きてはいないだろうと思いながら扉を開く。


中から、ほのかに香ばしい香りが漂ってきた。


「おはよう。よく眠れたかい?」


応接室に入ると、柔らかなコーヒーの香りが迎えてくれた。

キッチンスペースの奥で、白衣の青年――カイロスがカップを片手に立っていた。


「はい。お部屋、ありがとうございました」

「久々の来客だったからね。……埃っぽかったんじゃない?」

「あはは……でも、リュカが、全部きれいにしてくれました……」


本当に驚いた。

何十年も閉じられていた空き部屋は、家具も寝具もほこりをかぶっていたはずなのに。

中庭から戻ってきた直後、リュカは無言でシーツを剥ぎ取り、洗濯を済ませ、手際よく寝床を整えていた。それは、あっという間だった。


「へぇ……あいつ、そんな甲斐甲斐しい奴だったんだな」


カイロスは意外そうに笑いながら、湯気の立つカップをもう一つ差し出す。

その表情は柔らかく、久々の人との会話をどこか楽しんでいるようにも見えた。


「昔はもっと堅物な印象だったんだけどな。話してみると、けっこう面倒見がいいのかもな」


冗談めかした口ぶりとは裏腹に、どこか懐かしさを滲ませた言葉。

カイロスはふと視線を落とし、カップの中を覗き込んだ。


そして、ほんの一瞬の間を置いてから――

その声の色が、静かに変わった。


「……静謐の神殿は、本当に危険なんだ。……俺が話しておいて、なんだけどさ」


言葉を切って、カップを口に運ぶ。


「リュカは確かに強い。……どこまで君に話してるかは知らないけど、

 二百年前、あいつはまさに“英雄”だった。王国の剣――“繚乱の騎士”として名を馳せた男だ。

 腕が鈍っていなければ……普通の相手なら、まず負けることはない」


そこまで言って、カイロスの表情がわずかに陰る。


「……でも、あそこは……静謐の神殿は、

 最強の剣聖も……俺の師匠も……帰ってこれなかった場所なんだよ。

 ――それでも、行く?」


静かに置かれた言葉には、長い歳月を重ねてきた重みがあった。


「……正直、怖いですけど……でも、行かなきゃいけないような気がして……」


俯きがちに、けれどしっかりと口にされたその言葉に、

カイロスはカップを傾けたまま、しばし黙っていた。


そして、静かに言葉を返す。


「……行っても、スキルシアーは見つからないかもしれないし、

 仮定していた状況とは違って、君のスキルで打開できる状況ではないかもしれない。


 確かなことは、なに一つもないんだよ」


静かだが、重い現実だった。

どれだけ想いがあっても、踏み込む先には、予測もできない危険が待っている。

それでも行くのか――その問いは、言葉にしなくとも、はっきりと伝わっていた。


(カイロスさんが言うのは、その通りだと思う……。何一つ、根拠はない……)

(……でも)


カガリは、わずかに迷うように息を吸い、それでも小さく、頷いた。


「昨日……リュカと、カイロスさんが……こうして……再会できました」


ゆっくりと言葉を探すように、カガリは顔を上げる。


「二百年ぶりに――再会できた。

 普通ならありえない、こんな、すごいことが起きた」


その言葉は、静かに、けれど確かに、場に落ちる。

ふっと窓からの風が、カップの縁を撫でるように通り過ぎた。


「だから……もしかしたら、って思うんです」


カガリの声が、少しだけ熱を帯びる。


「もう一度――こんな“奇跡”みたいなことが、起きるかもしれないって」



“奇跡”



その響きに、カイロスの指がぴくりと止まる。

表情からは笑みが消え、ゆっくりと視線を落とした。


「……いや、俺は……奇跡なんて、信じない」


吐き出すように、低い声で呟く。


それは、否定というより――願っても届かなかったものへの、悔しさのようだった。


「だからこそ、……俺は“魔導”の道に進んだんだ」


その目は、どこか遠くを見つめていた。


「式で解明できないものなんて、この世にはない。

 生まれた時から、すべてが決まっている。運命も、才能も、悲劇も――全部、最初から組み込まれている“仕様”だ」


カイロスはゆっくりとカップを置く。


「不平等だなって思うことも、理不尽だなって思うことも……

 そういうものとして“最初から決まっていた”なら、納得できる。

 世界は複雑に見えて、本当は単純なんだ――式さえあれば、すべてを説明できるはずなんだ」


彼の口元がわずかにゆがむ。

自嘲にも似た笑みが浮かぶ。


「……だから、異質であるスキルの存在も――解き明かしたかったんだ、あの人と」


カイロスは言葉を吐き出すように、少しずつ胸の内をさらけ出していく。

それはまるで、ずっと誰にも言えずにいた想いだった。


「そうじゃなきゃ……俺は……」


かすれた声とともに続けかけたその言葉を、彼はふいに止めた。


言ってはいけない言葉を、咄嗟に飲み込むように。

その瞳が静かに伏せられたとき、彼の中の何かが、まだ過去に囚われたままであることを――カガリは悟った。


(カイロスさんは……私と、同じなのかもしれない……)


“期待して、裏切られる”、心の痛みを知る人。


何かを信じようとして、失って――それでも諦めきれずに、前に進もうと藻掻いて……。


(――でも、上手くいかなくて、苦しいんだ……)


カイロスは、片手で髪をかき上げた。

そして、わざとらしく肩をすくめて笑ってみせる。


「……悪い。話が逸れたな。……人と話すのが久しぶりすぎて、うっかり喋りすぎた。今のは忘れて」


その声音はひょうひょうとしていたが、どこか苦味を帯びていた。

けれど、重くなりかけた空気をごまかそうとするその仕草が、かえって優しさにも見えた。


そんな中、廊下を歩く足音が聞こえ、扉が音もなく開く。


腰に剣を下げ、支度を整えたリュカが、部屋の中へと入ってきた。


「……もう、出る気満々じゃないか。お前」


カイロスが、手にしたカップを揺らしながら言った。

リュカは静かに頷く。


「道中で物資を整える必要がある。……早いうちに発とうと思ってな」


決意は、すでに固まっている――そんな気配が感じられる。


カイロスはふっと息を吐いた。


「お前も変わったな……」

「ん? ……まあ、二百年経ってるからな」


「……二百年……そうか。二百年かぁ……」


リュカの言葉に、カイロスはふと視線を落とす。


「……そうだよな……もう、それだけの時間が……」


カップの中で揺れる黒い液面を、じっと見つめながらこぼれた呟きだった。


やがてカイロスは気配を振り払うように、わざとらしく咳払いした。

空気を変えるようにして、彼は机の隅に置いていた手帳――あの図鑑を、そっと差し出す。


それは、昨日カガリに見せたスキル図鑑だった。


「君にあげるよ。情報は力だ。……役立ててくれ」

そう言って、手帳をカガリに渡す。


さらにもう一つ――と、

小さな金属片とレンズが組み合わされた、簡素な装置を取り出す。


「これは……?」

カガリが受け取ったそれは、首にかけられるよう、細い革紐が通されていた。


「――破損したスキルシアーの構造をもとに再現した“支援具”だ。

 簡易的な作りだけど、スキルの波紋くらいは視えるはず。……たぶん一度きりしか使えないし、使用中の負荷も重い。

 だけど、ないよりはマシだろう?」


カガリはそっと装置を手のひらに包む。


「ボロっちいな……本当に使えるのか?」

「失礼な! 二百年前の粗悪品とにらめっこしながら、限られた材料で組み直した、渾身の一作だぞ!?」


その掛け合いに、ふっと笑いがこぼれる。

重苦しかった空気が、少しだけ和らいだ。


「……ありがとう、カイロスさん」


「礼は、帰ってきてから言ってくれよ」


そう言って、カイロスは肩をすくめて笑った。



――出発の時が、迫っていた。


屋敷の扉を開き、朝の光の中にリュカが一歩を踏み出す。


「準備はできてる。出発しよう、カガリ」

「……うん!」


背に荷を背負い、振り返ることなく歩くリュカのあとを――

カガリは、しっかりとした足取りで追っていく。


「いってきます!」


玄関先で手を振ったカガリの声に、カイロスは小さく頷く。


ふたりの姿が道の向こうに消えたあと。

屋敷に、静かな風が吹き込む。


カイロスは誰にも聞こえぬ声で、ひとりごとのように呟いた。


「……俺はまた、見送る側か。……二百年経っても……」


遠くを見つめながら、彼はそっと空を仰いだ。


曙の空は、どこまでも澄んでいた。


――朝日が、昇ろうとしている。



※こちらの作品は、『カクヨム』でも連載しています。

 https://kakuyomu.jp/works/16818622177469889409


カクヨムの近況ノートにて、キャラクターのラフスケッチを描いていくので、

もしビジュアルのイメージに興味がある方は覗いていってください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ