第19話『誰も生きて帰れないダンジョン』
「……あそこは危険すぎる」
リュカの声が、低く、重く響いた。
「リュカ、知ってるの……?」
カガリが問いかけると、リュカは静かに頷いた。
そのまなざしは、どこか遠くを見つめるように過去をたどっている。
「俺がまだ、王国騎士団にいたころのことだ。
“静謐の神殿”は、もとはBランクのダンジョンだった。特筆すべき異常も、なかった……はずだった」
言葉をひと呼吸おいて、続ける。
「……だが、ある日突然、“肥大化”が始まった。
近隣の山々を飲み込み、巻き込まれた地域では、魔物の発生が相次いだ。
王国も事態を重く見て、急遽調査隊を編成した」
リュカの語りは淡々としている。
けれど、その一語一語には、確かな熱がこもっていた。
「当時“最強の剣聖”と呼ばれていた男が、その隊を率いてダンジョンに入った。
ダンジョンの肥大化は、その後ぴたりと止まった。……事態は沈静化したかのように見えた。
けれど――調査隊は、誰ひとり戻ってこなかった」
言葉が落ちる。
「……それでも、彼らの行方を捜して、多くの騎士や冒険者があとに続いた。
だがな……誰も、生きては帰ってこなかったんだ」
その手が、無意識に膝の上で握られていた。
「以来、あの場所は“生還者ゼロのダンジョン”と呼ばれ、
最高危険指定――SSランクに引き上げられた。
……正常な判断ができる者なら、あそこへ自ら足を踏み入れたりはしない」
静かな語りだった。
けれどその言葉の中には、帰らなかった者たちへの祈りにも似た想いが、確かに宿っていた。
「その剣聖が率いていた調査隊に、俺の師……カゼノアも同行していた。
……そして、あの人も戻らなかった」
リュカのまなざしが、ほんのわずか揺れる。
「カゼノアが“いなくなった”というのは、そういう意味だったのか……」
それが意味するところは、あまりにも明白だった。
「――最強の剣聖と、魔導の頂点にいた男ですら、戻れなかった場所だ。
……行くのは無謀だ」
重く沈んだ空気の中で、カガリがぽつりと呟く。
「……そんな、恐ろしい場所なんて……」
想像もできなかった。
迷いの森ですら、必死でやっとだった自分には。
けれど、その話――どこか、既視感がある。
「……あの、今の“静謐の神殿”の話……リュカの“迷いの森”のときと、似てない?」
その言葉に、場の空気がふっと変わる。
「ダンジョンが肥大化して、王国の命令で調査隊が組まれて……
で、ダンジョンの肥大化が止まる。
迷いの森も、今は肥大化していないってことは、リュカが行った後に森の肥大化が止まってたってことだよね。……なんだか、流れがそっくり」
「……言われてみれば、確かに」
リュカが静かに頷く。
「じゃあ、まったく同じパターンだと仮定すれば――」
と、カイロスがぽつりとつぶやいた。
「そのダンジョンの深部に、ボス化した人間がいる?」
「――!」
「そのボス化した人間が“核”になって、内部構造が複雑化し、危険度が跳ね上がった……
もともとBランクだった場所が、誰も生きて帰れないSSランクのダンジョンに化けた……?」
「……俺と同じように……誰かが、あの中で――」
リュカの声に、カガリが言葉を重ねた。
「……も、もしそうだとしたら、私に……また、なんとかできるかもしれない」
真剣なまなざしでリュカを見上げる。
「リュカのときみたいに……。
誰かが……あの中に囚われてるなら……助けてあげなきゃ。
もしかしたら、調査隊にいた、カゼノアさんかもしれない」
「……!」
カイロスが、目を見開いた。
表情が一瞬で変わる。
呆然と、何かを言いかけるが、言葉にならない。
「……ダメだ」
その声が、ぴしゃりと空気を裂いた。
リュカだった。
「――危険すぎる」
「でも……スキルシアーもそこにあるって……」
「カガリ。あそこは、迷いの森とはわけが違う。レベルが違うんだ」
「で、でも……!」
「……スキルシアーがない状態で、お前は今、《解除》を使えない。
そんな状態で潜っても、何もできない。誰も救えない」
その言葉に、カガリの表情が変わった。
――まるで、“無力だ”と突きつけられたように。
言ってすぐ、リュカは後悔した。
けれど、もう言葉は戻らなかった。
「……わかってる。無謀なこと言ってるってことくらい……でも、私にしかできないことかもしれないって思ったら……」
カガリは、ぽつりと呟くように言った。
そして、静かに顔を伏せる。
その視線は、膝の上に開かれたスキル図鑑へと落ちていた。
――《解除》
『このスキルは、発動中のスキルを無効化する。ただし、確認例が少なく、実態は不明な点が多い』
誰も、この力をちゃんと知らない。
「……ごめん。ちょっと、歩いて頭冷やしてくるね」
そう言って、カガリは立ち上がった。
図鑑をそっと胸に抱きしめるようにして。
そして――扉の方へ歩き出す。
その背に、かける言葉を見つけられないまま。
扉が、ぴしゃりと音を立てて閉じた。
静寂が落ちる。
リュカは、何も言えずにそこに立ち尽くしていた。
その背に、カイロスが重い息をひとつ吐く。
「……まあ。あの言い方は、よくなかった、かもな」
苦笑混じりに呟いた。
リュカは、それにも応えなかった。
ただ、静かに――閉ざされた扉を見つめていた。
※こちらの作品は、『カクヨム』でも連載しています。
https://kakuyomu.jp/works/16818622177469889409
カクヨムの近況ノートにて、キャラクターのラフスケッチを描いていくので、
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