第18話『再調律』
「これを通すと、スキルの“揺らぎ”が視える。波紋のように。君はそれを見たんだろ?」
静かに差し出された問いに、カガリはこくりと頷いた。
「はい……。あの波紋はなんなんですか?」
「ふふふ、よくぞ訊いてくれた」
カイロスは得意げに笑うと、机の引き出しから古びたノートと図面を取り出した。紙の端は少し黄ばんでいて、長い時を経たことを物語っている。
「まずは基本から説明しよう。スキルってのは、魔法とはまったく成り立ちが違うんだ」
そう言って、白紙を二枚取り出し、それぞれの中央に太い文字で書き記す。
【魔法】=“世界の流れ”を読み、式によって変換・放出する技術。
【スキル】=世界の流れをねじ曲げる“例外”の力。
「魔法は、自然と“対話”する術だ。世界にある法則を読み取り、式と論理で世界を説得する。つまり――お願いするようなもの。
でもスキルは違う。“ねじ込む”。無理やり、あるべき状態をねじ伏せて、違う結果を押しつけるんだ」
「……ねじ込む……」
カガリの唇から、呟きのような声が漏れる。
そういえば――
スキルは、世界にとって“異常”だと、シャイアも言っていた。
「実は、俺もスキルの持ち主なんだ。名前は≪融合≫。……見せてあげよう」
カイロスは、机の上に置かれていたリンゴとオレンジを手に取った。
そして、それらを重ねるように手をかざすと――ふっと光が走り、二つの果実が一つに変化した。
「食べてみて?」
手渡された果実を、カガリはおそるおそる齧る。
「……っ、オレンジの味……?」
「見た目はリンゴ、中身はオレンジ。
素材の持つ情報を強制的に融合させる。
非常識を、無理やりこの世界にねじ込む力。それが俺の《融合》だ」
にやりと笑ったカイロスが、指先で図面をとんと叩く。
「君がスキルシアーで見た波紋は……このねじ込むときに生じる“歪み”の名残だよ」
「……歪み……?」
「そう。スキルが発せられるとき、世界の均衡にさざ波のような乱れが生まれる。
強いスキルほど、歪みは大きく、深く、広がる」
カイロスは、手元の革表紙の書物――スキル図鑑をカガリに手渡した。
それは、彼と、かつての師カゼノアが長い年月をかけて編纂した記録集だった。
中には、世界に現存するスキルの情報が丁寧に記されている。
「ちなみに、今確認されているスキルは全部で78種。
その中でも《解除》は、ここ数百年まったく目撃されていないレアスキルだ。すごいよ」
驚きながらページをめくるカガリの指が、一つの項目で止まる。
《解除》
そう書かれたそのページには、ごく短い一文しかなかった。
「使用例:極めて少数。詳細不明」
「……全然、“すごい”なんて言われなかった。
むしろ……《解除》なんて無能だって、ずっとそう言われてきて……」
ぽつりと、カガリは呟いた。
ふいに、あの冷たい視線。
価値のないものを見るような声。
家族の中で、自分だけが取り残されていた記憶が、胸の奥をかすめる。
「スキルシアーがないと……全然、発動もできなくて」
「発動できなかった?」
カイロスの眉が、ふっと動いた。
「スキルを解除しようとしても、うまく狙いが合わなくて……。
どこに向ければいいのか、照準が合わないというか……」
「なるほど。なるほど……。
シンプルだから制御しやすいと思いきや、実はそうじゃない……と」
カイロスは目を細めながら、突然立ち上がる。
「仮説を立ててみよう!!」
唐突に叫ぶと、隅の黒板に駆け寄り、すさまじい勢いでチョークを走らせる。
「始まった……」
リュカがぼそりと呟いた。
「まず……《解除》ってのは、“消す力”だ。だが、何をどう“消す”のかが不明だった。
そこで俺はこう考える。――《解除》とは、世界の歪みに“再調律”をかける力だと」
くるりと振り返ったカイロスの目が、まっすぐにカガリを見据える。
「君のスキルは、“否定”じゃない。“戻す”んだ。
スキルによって生じた歪みに、正しい波をぶつけて、本来あるべき状態に“調律”する力」
「調律……」
「そう。音楽の世界で、調律師が音の狂いを聴き取り、整えるように――
君は、世界の歪みに触れて、正すことができる。
だとすれば、照準精度や感覚的な操作性が重要になるのも納得がいく。
スキルシアーは、君の“耳”の役割をしたんだ。歪みを見つけるための、唯一の聴覚器官」
カガリは、思わず喉を鳴らす。
カイロスは続けた。
「魔法が自然との対話であるように、君の《解除》は、歪んだ世界との“対話”なんだよ」
沈黙が降りた。
リュカは、やや呆れたように息を吐いて呟いた。
「……ロマンチックな解釈だな」
「いいだろ? 世界と話す少女。詩人受けしそうな肩書きだと思わない?」
カイロスは、いたずらっぽく笑った。
(このスキルを、そんな風に……考えたことなんてなかった……)
カガリは、しばらく黙っていたが――やがて、そっと視線を上げた。
「……もし、スキルシアーがなくても、
私……自分の力で、その歪みを見つけること、できるかな……?」
その言葉に、カイロスは一瞬だけ黙し――やがて、肩をすくめた。
「……感じ取ろうとする“意識”があれば、もしかしたら。全部仮説だけどね」
「……感じ取ろうとする、意識……」
カガリは、そっと目を伏せた。
ふと、カイロスは、《スキルシアー》の破片に視線を向け、欠けたレンズを覗き込むようにして眉をひそめた。
「……それにしても、これ、よくここまでもったな」
その指先は慎重で、しかしどこか――惜しむような動きをしている。
「直せるの?」
不安げな声で問いかけたカガリに、カイロスは肩をすくめてみせた。
「正直、かなり難しい。……もともとが、ガキの頃に無理やり作った代物だからね。
技術的には未熟そのもの。こんなガラクタが今まで使えてたのは奇跡だよ」
その言葉に、カガリの肩がふ、と落ちた。
大切にしていたもの――それが、もう二度と使えないかもしれない。
言葉はなかったけれど、沈黙が、その落胆を何よりも雄弁に語っていた。
しばしの間を置いて――リュカが、静かに口を開いた。
「スキルシアーって……ひとつしかないのか?」
その問いに、カイロスはほんのわずかに目を伏せる。
「……一つだけ、あるにはある。けどなぁ」
その声音には、どこか触れてほしくない記憶の棘があった。
カガリが、そっと問いかける。
「あるの? どこに?」
しばしの沈黙ののち、カイロスはゆっくりと答えた。
「……俺の師匠――カゼノアが持っていた。俺が作ったのとは比べものにならない完成型だ。
あの人自らが作り上げた、本物のスキル観測器」
その言葉に、空気が一変する。
「じゃあ……それを探しに行けば」
「簡単にはいかないよ」
カガリがかすかに希望をにじませて言うと、カイロスは、ひどく苦い笑みを浮かべた。
「……その装置は、SSランクダンジョン《静謐の神殿》に、今も置き去りにされている」
視線を逸らしながら、告げられた場所。
――静謐の神殿
※こちらの作品は、『カクヨム』でも連載しています。
https://kakuyomu.jp/works/16818622177469889409
カクヨムの近況ノートにて、キャラクターのラフスケッチを描いていくので、
もしビジュアルのイメージに興味がある方は覗いていってください。