第17話『スキルシアー』
「俺を知っているのか……?」
青年の口から、自分の名前が出てきたことに、リュカは目を細める。
「例の、知り合いの人じゃないの?」
カガリが問いかける。
「いや、違う。カゼノアは俺より年上の男だ」
それを聞いた青年――カイロスは、ぱっと顔を輝かせた。
「やっぱり! 先生に会いに来てた、あの時の……おい、嘘だろ、何十年ぶり……いや、もっとか!?」
驚きのままに立ち上がったカイロスを見つめながら、リュカもまた、ゆっくりと記憶の底から名を呼ぶ。
「……お前、もしかして……カイロス……か?」
「そうそう! うわー、本物か? 幽霊とかじゃないよな……?」
冗談めかしたその声音に、リュカは小さく目を細めた。
青年の姿は、リュカと同じくらいの歳に見える。だが、それはあり得ない。
リュカが最後に彼を見たのは、遥か昔――二百年も前のことだったのだから。
「……二百年前だぞ。なぜ生きている」
「いや、それは俺もお前に聞きたい」
◇ ◇ ◇
館の奥。魔導装置や古びた書物が雑然と並ぶ研究室の一角。
その一室には生活の匂いがあり、今ではキッチン兼応接室のようになっていた。
カイロスが、やけに手慣れた様子でコーヒーを淹れてカップを差し出す。
「――なるほど。“時間の流れを鈍化させる研究室”か。相変わらず、とんでもないな」
「俺の研究室の中の時間は、外の世界の十分の一で流れてる。二十年が、一年になるんだ! すごいだろう?」
「……ということは、お前。その見た目ってことは、この二百年のほとんどをその中で引きこもってたのか」
「まあな」
「それって……人体に影響はないんですか?」
カガリが目を丸くする。カイロスは肩を竦めた。
「時間感覚がなくなるから、精神的におかしくなる奴は多い。
昔、アシスタントを雇おうとしたんだけど、全員三日で逃げ出したよ」
ケロッと笑って言い放つ姿に、リュカは思わず小さく笑った。
「なんだよ、笑って」
「いや……“あの師匠にしてこの弟子あり”、と思ってな。懐かしいなと」
「ふふ、二百年ぶりの再会って、すごいね」
カガリがぽつりと呟いた。
リュカは、コーヒーの香りの中で遠い記憶を振り返るように答える。
「年の差もあったし、そう多く言葉を交わしたわけじゃないけどな。
カイロスは、かつてこの館の主だった男――カゼノアに拾われて、魔導を学んでいた」
「当時はまだ、俺……八つとか、だったかな?」
「カゼノアについていける弟子などいるのかと思っていたが……お前もすっかり、“異端の魔導士”を継いだようだな」
「異端?」
カガリが小首をかしげると、リュカはわずかに目を細める。
「魔法社会での地位や権力に興味を持たず、非常識なものばかりを作る……根っからの研究バカ」
「それ、褒めてるのか?」
「普通は、時間の流れを鈍化させてまで、研究に人生を捧げようなんて思わない」
軽口を交わすリュカの顔は、どこか柔らかく。
カガリは、そんなリュカを見つめながら思う。
――これが、時の流れから外れる前の、ほんとうのリュカの姿なのかもしれない、と。
「やりたいことが多すぎて、時間がいくらあっても足りないんだよな。
むしろ、みんなどうやって普通の一生で満足してるのか、不思議なくらいだ」
カイロスが、冗談めかして笑う。
「――とはいえ、研究室に籠もったところで、寿命が延びるわけじゃないだろう。
それでも、時の流れからはみ出す必要があるのか?」
カイロスはふっと笑い、目を伏せた。
「……移り変わっていく世界を、少しでも長く見届けられるってのは、悪くない。
そのおかげで、またお前に会えたわけだしな」
「……カゼノアは、もういないのか」
「ああ。俺がこの研究室を作ったのは、師匠がいなくなって、この館を引き継いでからだ。
師匠は……――」
言いかけて、カイロスはふいに口をつぐんだ。
どこか、ぽつりと、胸の奥に穴が空いたような表情だった。
そして、話題を切り替えるように、問い返す。
「……ところで、この二百年。お前はどうやって生きていたんだ?」
「……迷いの森というダンジョンの中にいた」
リュカはこれまであったことを、ゆっくりと話しだす。
その声は静かだった。
幾重にも積み重ねられた、時間の重みが込められていた。
「へぇ……ダンジョン深層のボスとして、森の中を二百年間……さ迷っていた、か」
カイロスが顎に手を当てて、興味深そうに考え込む。
「人間がダンジョンの“ボス”になるなんて、そんな話は聞いたことがない。
何か、覚えてることはあるか?」
「……直前に、迷いの森のダンジョンが肥大化しているという報告を受けて、調査に赴いたのは覚えている。
当時の女王陛下の命令だった」
「戻ってきてから、王国騎士団には、確認に行ったのか?」
「いや……」
リュカはわずかに目を伏せた。
「ギルド協会の調査でわかったんだが、俺の情報が、騎士団の記録から抹消されていたらしくてな。
協会が慎重に調査を進めてくれている」
「……何やら、きな臭い話だな」
「……抹消」
カガリの声が、小さく漏れた。
リュカはちらりと彼女を見て、少しだけ困ったように微笑む。
「ああ……カガリにはまだ、話していなかったな。前に、協会の役員に呼び出されたときに聞いた話だ」
記録を、存在ごと、消されるということ――
それが、どれほどの意味を持つか。
カガリはただ、リュカの横顔を見つめるしかできなかった。
「それで。そのボス化したお前を、そこのお嬢ちゃんが助けてくれて……そのまま拾われた、ってわけか」
「猫みたいに言うな。だが……まあ、そういうことだ」
カイロスは、ふとカガリを見る。
「《解除》のスキル、だったっけ?」
「は、はい」
「今、それ。見せてもらえたりする?」
「あ……えっと……それが……今は、できなくて……」
カガリは少し困ったように、懐から布に包んだ小さな金属の破片を取り出した。
それを、研究机の上にそっと置く。
「あの、これ……何かわかりますか?」
その瞬間。
カイロスの目が、大きく見開かれた。
「これがないと、私……スキルをうまく使えなくて。
でも、壊れてしまって……それで、修理できないかと思って、ここへ来たんです」
無言で破片を手に取り、レンズを覗き込んだカイロスは、ふぅっと深く息を吐いた。
「これを、どこで……?」
カイロスの声が、かすかに震えていた。
カガリは、少し迷うようにしながらも、答える。
「……母から引き継いだ屋敷の奥で、見つけたんです。
どうしてそこにあったのかは……私にも、わからなくて」
その答えを聞いたカイロスは、手の中の破片をじっと見つめた。
「……まさか、こいつの顔を見る日が、また来るなんてな」
カイロスは、目を細めて微笑した。
それは、どこか懐かしい友人に再会したときのような、やわらかい表情だった。
「……ご存知なんですか?」
カガリが、そっと問いかける。
「知ってるもなにも……これは、俺がガキの頃に作った試作品だ。
“スキル”を視るために、魔導技術を使って作った――《スキルシアー》っていう」
言葉の端々に、ひとつひとつ思い出をなぞるような温度がにじんでいた。
カガリは、驚きに目を丸くする。
「……リュカが、似たようなものを見たことがあるって、言ってて……」
「じゃあ、それはやっぱり……お前の仕業だったか」
壁に寄りかかっていたリュカが、ぽつりと呟く。
どこか、納得するような声音だった。
カイロスは、壊れた装置の縁を、指先でやさしくなぞる。
「……理解したかったんだ」
目線は、かつての自分が追いかけた夢の先に向けられていた。
「“魔法”じゃない、異質な力を。
――“スキルはどう存在しているのか”見てみたかった」
そう言ったカイロスの声は、かすかに遠い過去を振り返っていた。
※こちらの作品は、『カクヨム』でも連載しています。
https://kakuyomu.jp/works/16818622177469889409
カクヨムの近況ノートにて、キャラクターのラフスケッチを描いていくので、
もしビジュアルのイメージに興味がある方は覗いていってください。