第16話『はぐれ魔導士』★
翌日。ギルドの酒場にて――
まだ陽が高いうちだというのに、その場にいた誰もが呆然としていた。
「………………」
「………………」
無言のまま、サイラスとガロが並んで棒立ちになっている。
その横で、シャイアが肩を震わせ、テーブルに顔を伏せて笑いを堪えていた。
その中心には、カガリが両手を前に突き出した姿で立っていた。
まるで何かの儀式でもしているような、真剣な表情。
目の前にいるのは、赤面しながら壁際に追い詰められたリュカと――
――そのすぐ横で、うっとりとした表情でリュカの腕にすがっている、ディルの姿だった。
「……なあ、リュカ。そんなに剣が強いなんて、もっと早く言ってくれよ……。
いい体してるし、顔も悪くないし……お前、結構オレ好みかも……」
「…………」
リュカの眉がピクリと動き、明らかに動揺していた。
肩を引き、手をかわし、じりじりと壁に押し付けられながら、ぎこちない動きでディルの手を避けていく。
「……カ、カガリ。もう……いいか?」
その声には、いつもの落ち着いた冷静さがなかった。
どちらかといえば――ひどく切実な懇願に近い。
カガリは、ぴくりと手を止めた。
「……うん。やっぱりダメみたい。協力してくれてありがとう」
小さくため息をつきながら、カガリは手をおろす。
リュカはその言葉を受けると、すぐに足元に咲いていた花をすっと見つめた。
淡い桃色の薔薇。その花びらが、静かに、そして一斉に散り始めた。
花粉の舞う気配が薄れ、空気の中に漂っていたきらめきが徐々に消えていく。
「……ん? あれ? オレ、何してたんだっけ……?」
ディルがぱちぱちと瞬きをしながら、腕にすがっていた状態から自ら離れた。
何が起きていたのか全く把握できていない様子で、手のひらを見つめて首を傾げる。
その姿を見たシャイアが、ついに堪えきれなくなったように声を上げて笑った。
「ぶぁーーーはっはっはっはっは!! もうだめ無理死ぬ!!! ひゃーーーーーははははは!!!」
「……笑いごとじゃない」
リュカはいつになく真面目な顔で返したが、その頬がかすかに紅潮しているのを、誰もが見逃さなかった。
カガリは申し訳なさそうに肩を落とす。
「……解除できなかった。やっぱり、あれがないと、ダメみたい……」
《繚乱》の状態異常を解除できるか――その検証のために、リュカたちに相談して仕掛けた模擬演習だったが、
結果は、芳しくなかった。
ルシェリアに壊されてしまった、あの謎の装置。
カウンターの上には、細かな破片となって砕けたそれが並べられていた。
その傍らで、サイラスが腕を組み、眉をひそめながらじっとそれを見つめている。
「……カガリさんが使っているのを初めて見たときから、少し気になってはいたんですが。そういう性能があったんですね」
カガリは頷きながら、壊れた装置の破片をそっと指で撫でた。
「……今まで、スキルの発動って、ずっとうまくいかなくて……
でも、これがあると、スキルの波動……みたいなものが、視覚的に見えるんです。
そこに向かってスキルを打ち込むと、きちんと発動する。まさに照準が合う、って感じで……」
その言葉に、サイラスはふむ、と静かに頷いた。
「なるほど……。それでようやく、使えるようになったスキルだったんですね」
シャイアが、少し身を乗り出してカガリに尋ねる。
「街の魔法ショップとかに持ってってみたの? これ、ルーン文字あるし……魔導具なんだろ?」
「見せたんですけど、お店の魔法士さんも、初めて見る道具らしくて。
壊れてなければ、解析して何か分かったかもしれないって言ってたけど……
この状態じゃ、もうどうにも……。修理も難しいって……」
最後の方は、声が小さくなっていた。
カガリは唇を噛んで俯いた。
肩に落ちる髪が揺れて、小さな影を作る。
「せっかく……やっとこの力が使えるようになったのに……」
その呟きがあまりにも寂しげで、見ていたシャイアが思わず声を上げた。
「サイラス。あんたの知り合いとか、協会関連にいないの? こういうのに詳しそうな奴、さ」
サイラスは少し考えてから、「いないことはないんですが……」と、慎重に口を開いた。
「ギルド協会の本部に、魔法系の道具や遺物に詳しい役員がいます。
ただ、今は調査案件が立て込んでいて、緊急性が高いものと判断されない限り……すぐに動いてもらうのは難しいかもしれません……」
「……どのくらい?」
「早くても、二、三か月。場合によってはそれ以上になるかと」
「……二、三か月……?」
カガリの顔がみるみるうちに曇る。
先ほどまでの落ち込みが、さらに深い色を帯びていった。
その様子を見ていたリュカが、ゆっくりと顎に手をあて、何かを思い出すように目を伏せた。
「昔、このあたりに……知り合いの魔導士が構えていた研究施設があった。
ここから、それほど遠くない……リラノスという場所に」
「リラノス……ああ、聞いたことあるわ」
シャイアが腕を組み、記憶を手繰るように呟く。
「南の方だろ。変わり者のはぐれ魔導士が住んでるって噂の。
たまーに、自作のアイテムを街に卸しに来るって、誰かが言ってたな」
リュカは頷き、視線をカガリへと向けた。
「前に話しただろう。知り合いの魔導士が似た装置を持っていた気がすると。
その人がいた館が、そこにあった。……もう生きてはいないと思うが。
行けば、もしかしたら、この装置について、何か分かるかもしれない」
言いながら、壊れた装置の欠片をそっと見つめた。
「……行ってみるか?」
リュカが静かに問う。
カウンターの上の金属の破片が、わずかに光を返す。
それを見つめながら、カガリは小さく息を吸い込む。
もしかしたら、直せるかもしれない。
ほんの少しだけ――胸の奥に、希望の火が灯った。
「うん。行きたい」
カガリは、こくりと頷いた。
その答えに、リュカはほんのわずかに笑って――「なら、行こう」とわずかに笑う。
その横で、ようやく正気に戻ったディルが、ぼんやりとした顔でぽつりと呟いた。
「……なんか夢見てた気がするんだけどさ……
リュカに押し倒されてたような……あれって、幻覚だった? それとも願望……?」
「やめろ」
即座に、リュカが冷たく言い放った。
それを聞いたシャイアがまた大きな笑い声をあげる。
あのガロまでが、たまらず吹き出していた。
カガリも、ふっと笑って――
壊れた装置の欠片を、そっと袋の中へとしまった。
◇ ◇ ◇
リラノスへの道を、カガリとリュカは並んで歩いていた。
風が強くもなく、陽射しはやわらか。穏やかな旅路だった。
森を抜け、小川を渡る途中で、カガリがふと口を開いた。
「ねえ、今から会いに行く人って、魔法士……じゃなくて、魔導士、なんだよね?」
「ああ、そうだ」
「魔法士と魔導士って、わたし、いまいち違いが分かってないんだけど……」
少し恥ずかしそうに眉を寄せながら、カガリはリュカを見上げる。
するとリュカは足を止め、歩調をあわせながら穏やかに言葉を紡ぎ出した。
「魔法ってのは、この世界にある“魔力”というエネルギーを読み解いて、いろんな現象を起こす術だ。
火を灯したり、風を操ったり、治癒の光を生んだり……それらを“使う”のが魔法士」
「ふむふむ……」
「一方で、魔導ってのは、その魔力エネルギーを“研究する”学問だ。
どうして火が灯るのか。魔力の流れはどうなっているのか。
式の組み方、発動条件、触媒の研究……そういったものを扱うのが魔導士」
「なるほど……魔法士は“使う人”で、魔導士は“調べる人”って感じなんだね」
「大まかには、それで合ってる。
まあ、両方の技術を持ってる者もいるから、まとめて“魔法士”と呼ぶこともあるが……」
リュカは少し口元をゆるめて続けた。
「俺の知り合いは、そうやって混同されるのをひどく嫌っていた。
“魔導士”は学者で、“魔法士”は術者。――自分は後者じゃない、って。
……まあ、俺たちからすればどっちもすごい職業には違いないんだけどな」
カガリは楽しそうに笑った。
「リュカって、何でも知ってるね。ありがとう、わかりやすかった」
「……そんなこと……俺の方こそ、いつも、教わってばかりじゃないか」
「……でも」と、リュカは少しだけ、照れたように目をそらす。
「ありがとうって言われると、……嬉しくなる」
リュカは、口元を抑えて、小さな声で呟いた。
その横顔を見て、カガリの頬も自然とほころんだ。
◇ ◇ ◇
旅の果てにたどり着いたのは――
森の奥、うっすらと魔力の瘴気が立ち上る、石造りの古びた研究館だった。
外界との接触を断ち切るように、深い森の奥にひっそりと佇む石造りの研究館。
厚い蔦が壁に絡みつき、窓には布が張られていて、内側の様子はまるで窺えなかった。
カガリは、館の前で立ち止まると、小さく声をかけた。
「……ここ、だよね?」
「間違いない。記憶にある通りなら」
リュカはそう言いながら、扉の前に立つ。
打ちつけられた鉄の板が重たそうな音をたてて風に揺れる。
コン、コン――
リュカが節度ある強さで、扉をノックした。
しばし、沈黙が続く。
返事はない。
「……留守、かな?」
「いや。たぶん、中にいる」
そう答えたリュカは、少しだけため息をついた。
「魔導士ってのは、研究に集中しすぎて、来訪者がいても気づかないか、気づいても無視するんだ」
「……そんなこと、あるの?」
「ある」
短く言って、リュカは扉の下の隙間を見やる。
「だからこうする」
空気がわずかに震える。
リュカの足元から、艶やかな深緑の薔薇の蔓が伸びた。
扉の下の隙間から、蔓がするすると這い入り、静かに館の内部へと忍び込んでいく。
「えっ、それ大丈夫……?」
「目に入れば気づくだろ」
――その時だった。
「うわぁあああ!? なんだこの蔓!? え、え、ちょっと! やめろやめろやめろーーーー!!」
中から、けたたましい叫び声が響いた。
「……気づいたな」
「いや、絶対気づいたどころじゃない……」
直後、バタン! という勢いのある音とともに、重たい扉が開かれた。
「おいこらぁー! どこのどいつの仕業だ! 人の家めちゃくちゃにするつもりかー!!」
現れたのは、白衣姿の青年だった。
髪は乱れ、手には工具を握ったまま。
どうやら作業中だったらしい。
相当慌てて走ってきたようで、肩を大きく上下させながら、ゼェハァ、と息をしている。
そんな彼の目が、リュカの顔を見た瞬間、止まった。
「……は?」
あまりにあからさまな、素っ頓狂な反応だった。
目を見開いたまま、青年が言葉を失う。
「……お前……もしや、……リュカか?」




