第15話『歪んだ姉妹』
昼下がり。
討伐帰りのカガリとリュカは、街の素材屋を訪れていた。
カウンター越しに、今朝仕留めた魔物の素材を並べると、店主が目を丸くして感嘆の声を上げる。
「おお……これはまた、立派な素材だな。状態も申し分ない」
ごつい手つきで角を持ち上げ、傷や形状を確かめながら、店主はしみじみと唸った。
「これだけの魔物を討伐できるようになったか……すごいじゃねえか、カガリちゃん。こりゃ、次のランクアップも近いかもな」
「ありがとうございます。でも、……ほとんど、リュカのおかげで……」
本当は、もう少し誇らしく笑って返せればよかったのかもしれない。
けれど、どうしても照れくさくて、それに――ほんの少しだけ、悔しいという思いも、あった。
そんな気持ちを察したように、リュカが静かに口を開く。
「そんなことはない。今日だって、お前がいて助かった」
当たり前のようにそう言ってくれる、その言葉が、ひどく温かくて。
カガリは思わず、少しだけ顔をそらした。
《解除》のスキルは、スキルを持つ相手にしか通じない。
そして、魔物には、そもそもスキルという概念が存在しない。
だから、ただの戦闘においては、カガリは何もできずに足を引っ張るばかりになることも、少なくなかった。
――何か、できることがほしい。
そう思って――カガリは薬草学をもう一度、学び始めていた。
もともと、貴族のたしなみとして、子どもの頃に一通りの知識は学んでいた。
それが今、仲間をサポートする力として繋がっている。
「おっ、それ……自分で調合したのか?」
店主が興味深そうに、腰に下げた小瓶を指さす。
「は、はい。これは触れるとすごく痒くなる軟膏で……刃に塗っておけば、相手の動きが鈍くなるんです。
あと、これは魔草のエキスを混ぜた、軽い出血なら止められる治癒薬」
「へぇ、たいしたもんだなあ。こういうの、前線の奴らが欲しがるぜ。そりゃ名が上がるのも納得だ」
カガリが恥ずかしそうに言葉を濁していると、隣でリュカがごく自然な仕草で補足した。
「カガリの調合した薬は、戦闘の隙を作ってくれるし、治癒薬も信頼できる」
「……リュカ、そんな大げさな……」
「大げさではない。事実だ」
そう言って、リュカはわずかに表情を和らげた。
まるでそれが、当然のことだとでも言うように。
実際、催涙効果のある粉や、痒みを誘う軟膏――その一つ一つが、リュカの戦闘における集中を助ける手段になっていた。
《繚乱》という強力なスキルを持つ彼だ。
状態異常を相手に付与できる力を持つリュカに、こんな子供だましのようなものなど、必要ないのではと、最初は思った。
しかし、スキルを制御するには細心の注意を要する。
スキルを使わないで済む方が、剣に集中できるとリュカは言った。
だからこそ、カガリの補助は――彼にとって、戦場での大きな支えとなっていた。
そうして、ほんの少しずつ――
カガリは“誰かの隣で、戦える自分”になっていた。
迷いの森の異常を解決した少女という話題も手伝い、ギルド内では次第にその名が広まり始めていた。
スキル《解除》という珍しさ。
そして、それを使う本人が努力を重ね、補助としても役立っているという評判。
腕の立つ剣士という、相棒の存在。
二人で受けたクエストはどれも丁寧に遂行され、応対も誠実。次第に、指名での依頼も増えていった。
そしてついに、冒険者ランクはDへと昇格した。
ギルドが刊行する会報に刻まれたその名は、やがて――あの“家”へと届く。
――エルグレア家。
王都の一角に構えるその館は、この国の貴族階級の中でも特に格式高く、厳格な名門として知られている。
夕刻。
西日が金縁のカーテン越しに差し込む大広間。
床に敷かれた絨毯に、朱色の影が落ちていた。
その中央――窓辺に立つ少女が、手に一枚の報告書を掲げていた。
ルシェリア・エルグレア。
エルグレア家の現当主の愛娘であり、正嫡の令嬢。
「……“解除スキルを持つDランク冒険者、カガリ”……?」
口に出した瞬間、その名が鼓膜を震わせた。
細く整った眉がぴくりと跳ね上がる。
「……あの無能が?」
紙に記された文字を、食い入るように睨みつける。
指先に力が入り、用紙がかすかにくしゃりと音を立てた。
その横顔に浮かんでいたのは――驚きでも、懐かしさでもなかった。
ねじれた焦りと、苛立ち。
それが、ゆっくりと、ルシェリアの表情に滲み始めていた。
◇ ◇ ◇
数日後。街の広場──
夕暮れに染まる石畳の道を、カガリとリュカは並んで歩いていた。
ギルドで受け取った依頼の報酬袋を手に、今日も無事に一日が終わったことにほっとした帰り道。
風が涼しくて心地よい。
ほんのり汗ばんだ肌をなでるような風が、夕焼けの中を通り抜けていく。
カガリの胸元で、銀の鎖に吊るされた装置が、かすかに揺れた。
それは、古びた金属細工のような――あの、小さな装置だった。
ふと、それに気づいたリュカが、ちらと横目を向ける。
「そういえば、それ……なんなんだ?」
カガリは、胸元の装置をそっと手にとって笑う。
「これ? スキルを感知できる道具……らしいんだけど、私も詳しいことはよくわかってなくて。屋敷で偶然見つけたの」
「屋敷、って……お前の?」
「うん。……追放された日に、お母さんの私室で見つけたんだ」
指先で表面をなぞる。
必要な時にすぐに装着できるようにと、革ひもと銀の留め具を取り付け、首からかけられるようにしたものだった。
「このレンズを覗くと、発動しているスキルが波紋のようなかたちで見えるの」
「……スキルを視覚化する道具、か」
リュカは少しだけ興味深そうに視線を落とす。
首にかけたまま差し出されたそれを、リュカが慎重に受け取る。
目を細めて観察しながら、低く呟いた。
「……ルーン文字が刻まされているな」
「ルーン文字……」
「術式を定着させたり、魔力を封じ込めたり。複雑で、読み解ける者は少ない。……俺には、無理だ。
……断言はできないが、昔、魔導士の知り合いが使っていた装置と似ている気がする」
そう言って、カガリの手元に装置を戻す。
「その首紐、自分でつけたのか?」
「うん。……必要な時に、咄嗟に使えるようにと思って」
「……器用だな」
リュカは短く言って、少しだけ、口元をゆるめた。
その何気ない表情に、カガリの胸がすこし温かくなる。
「リュカって……なんでも褒めてくれるよね」
「……思ったことを伝えているだけだ」
「……そ、そんなふうに言われると、すごく照れるんだけど……嬉しいよ。いつも、ありがとう」
頬がほんのり赤くなる。
それを見ているリュカの横顔は、どこかやさしい。
「……カガリ」
「ん?」
「……お前が、俺の言葉で、すこしでも自信を持てるなら、俺は何度でも言うさ」
ほんのりと、心に沁みるようなその言葉。
カガリが返す言葉を探そうとした――
そのとき。
「……ずいぶん元気そうじゃない」
ピシリと、空気に裂け目が入ったような声が背後から届いた。
カガリは、反射的に足を止めた。
聞き覚えのある声。その響き。その温度。
ゆっくりと振り返ると、そこには――
淡い金髪に桃色の瞳を湛えた、優美な少女が立っていた。
黄昏の光の中で、その姿はまるで絵画のように整っていて、冷たい気品すらまとっていた。
――ルシェリア・エルグレア。
かつてカガリと同じ屋根の下で暮らし、
だが一度も手を取り合うことのなかった、妹。
その整った顔に浮かぶ笑みは、どこまでも優雅で。
けれど、瞳の奥には冷たい意志が宿っていた。
それは、静かな敵意をまとった視線だった。
「追放されて、さぞみすぼらしい姿になってると思ったら……結構しぶといのね、お姉さま」
甘やかすような声音。だがその裏にあるのは、軽蔑にも似た薄笑い。
カガリは小さく息をのむ。
リュカは、そんなカガリの気配を察して、無言で半歩前に出た。
「おねえさま」と言う言葉に、ルシェリアがカガリの家族であることを悟る。
リュカへ――ルシェリアの視線が移った瞬間、空気が変わった。
「え!? ちょっと、あなた! 随分と見栄えするわね!」
桃色の瞳が、リュカの赤い髪と鋭い眼差しを見定めるように撫でる。
「名前は?」
「……リュカ・ヴァレト」
短く答えるリュカに、ルシェリアの唇が綻ぶ。
「リュカ……ふぅん。おねえさまと組んでる腕利きの剣士って、あなたね」
ルシェリアはさらりと言葉を継いだ。
「こんな辺鄙な所でくすぶってないで、うちに来ない? エルグレア家なら、それ相応の地位と待遇は用意できるわ」
まるで当然の権利であるかのように告げる声。
「私が、あなたの面倒を見てあげるって言ってるの。わかる?」
リュカは、微かに目を細めただけで、何も言わなかった。
けれど――その沈黙の中には、はっきりとした拒絶があった。
そして、ゆっくりとした口調で、ただひと言。
「断る」
その言葉に、ルシェリアの笑顔がぴたりと止まる。
「……なぜ?」
「俺は、カガリの傍にいると決めている。それだけだ」
淡々と。
だが、強く。
リュカの声は、風の中に揺れることもなく、まっすぐルシェリアを貫いた。
その瞬間、彼女の目が、かすかに揺らいだ。
「……ふざけてるわね」
声が、低くなった。
その温度が、冷たい皮を剥がして、剥き出しの棘をあらわにする。
「まるで、お姉さまが……誰かに必要とされているみたいじゃない」
その言葉に、リュカがわずかに反応しようとした。
だが、カガリが一歩、前へ出る。
(自分で……言い返さないとダメだ)
カガリは、静かにルシェリアを見据える。
「……私が、誰かに必要とされることが、そんなにおかしい?」
ルシェリアは、にこりと笑ってみせた。
「ええ、もちろん。だって……だから、あんたは追放されたんだもの。……忘れたの?」
その言葉に、カガリの肩が微かに揺れる。
だが――目は逸らさなかった。
「……この街には、私を必要としてくれる人たちがいる。私でも、誰かの役に立てることがあるの」
静かな口調だった。だが、確かな意志が宿っていた。
それは、対抗の意思。
「――だから、もう私にかまわないで」
ルシェリアの目が、ぴたりと細められる。
「かまわないで……ですって?」
絹のようなドレスの裾が揺れる。
「わたしがあんたを構う? やめてほしいわね、そんな言い方!
兄さんが《感知》の反応がうまく伝わらないっていうから、様子を見に来ただけよ!!」
そのまま、ルシェリアは一歩、石畳に足を踏み出す。
「私に言い返すなんて、ずいぶん生意気になったじゃない! 役立たずの無能の癖に!!」
そして次の瞬間――
彼女の手が、すっとカガリの胸元に伸びた。
小さな装置を鷲掴み、強引に引っ張る。革の紐がブチッ、と音をたてて引きちぎれた。
「――ッ!?」
反射的に手を伸ばすが、遅かった。
ルシェリアは、石畳の上に、それを音もなく叩きつける。
「やめ――!」
制止の声も虚しく、ルシェリアの踵が、その上に振り下ろされた。
砕ける音が、乾いた空気を裂いた。
ガラスと金属が混ざった、冷たい破片が辺りに散る。
カガリは呆然と、砕け散ったそれを見下ろす。
「――なにを!」
リュカが、詰め寄ろうと一歩前に出る。
ルシェリアは人差し指を突き出し、その動きを止めた。
「近寄らないで。どんなに顔がよかろうが、センスのない男なんて嫌いよ」
そうして彼女は、突き出したその指先で、空間にハートの形を描いた。
描かれたハートが拡張し、桃色の光を放つ――
――スキル《転移》
開かれた転移の門が、しんと開いた。
「どこに行こうが変わるわけない。……あんたに良いとこなんて一つもない。
クズで、のろまで、――無能なままよ」
言い捨てると、ルシェリアは光る門の中へ歩み入る。
そして――消えた。
残されたのは、夕陽の色と、砕けた装置と、震える指先だった。
カガリは、言葉もなくしゃがみこみ、
そっと壊れた装置の破片を一つ、手に取る。
リュカが、ゆっくりとそばに歩み寄った。
「……大丈夫か?」
カガリは、かすかに頷いてみせる。
「……平気、だよ。……ありがとう。かばってくれて」
震える声だった。
「お前は、無能なんかじゃない」
リュカは、低く、しかし確かな声で告げる。
「今ここに、俺がいること。お前の隣にいることが、その証明だ」
その言葉に――カガリの胸に、ふっと、熱が灯った。
※こちらの作品は、『カクヨム』でも連載しています。
https://kakuyomu.jp/works/16818622177469889409
カクヨムの近況ノートにて、キャラクターのラフスケッチを描いていくので、
もしビジュアルのイメージに興味がある方は覗いていってください。