第15話 『耳と、しっぽと、オッドアイ』
「え! ギルドに運ばれてきた……あの時の?」
思わず声が上ずる。
「そうそう!」
ナミルは得意げに鼻を鳴らした。
――“あの時”
繚乱のスキルによって重傷を負い、ギルドに運ばれてきた青年。
その場に居合わせたカガリが、腐食の状態異常を解除したことで、命をとりとめた。
……それが、目の前の彼だったというのか。
「顔、まったく覚えてくれてなかったのかぁ〜」
シュン、と音がしそうなくらいに、ナミルの頭の上の耳が垂れた。
感情と耳の動きが連動しているらしく、しょんぼり具合がダイレクトに伝わってくる。
「……あの時は、とにかく必死で……。ご、ごめんなさい」
カガリが申し訳なさそうに頭を下げると、ナミルはすぐにぱっと顔を上げた。
「いやいや、いいんだ! 助けてくれたってことが、何より大事なんだからさ!」
彼は眩しいくらいに笑ってみせる。
その笑顔に、カガリの表情もほっと緩んだ。
「……あの後、心配してたんです。完全に回復するまで、病院で治療を受けられてたって、ギルドの人から聞いて……」
「そうそう! 治った後もさ、調査だなんだってギルドの連中に付き合わされてさー……いやー、大変だったんだぜ?」
ナミルが笑いながら言うと、隣で聞いていたリュカが、ほんの少しだけ視線を逸らした。
カガリは気づく。
――それが、彼なりの罪悪感の表れだということに。
あの事件の“張本人”は、他でもないリュカだったのだから。
もちろん、本人の意思ではなかったとわかっていても、胸に残るものはあるのだろう。
リュカを心配そうに見ていると、ナミルもふと視線を移し、にやっと笑った。
「ま、終わったことだ。誰も責めたりなんかしねえよ、薔薇男」
「――!」
思わず目を見開いたリュカに、ナミルは肩をすくめた。
「連中の調査に付き合ったって言ったろ? お前のことも、それで聞いてさ」
「……そうか」
リュカの声は低く沈んでいた。
「俺の意思ではなかったとはいえ……すまなかったな」
「んー、まあ……あの時は、俺も油断してたんだ。自業自得ってことで!」
あっけらかんと笑うナミルの言葉に、少しだけ空気が和らぐ。
ナミルはもう一度、カガリに向き直る。
「――あんたに、ずっと会いたかったんだ。俺の命の恩人に。ちゃんと礼を言いたくてさ」
「そんな……! 私、できることをしただけで……でも、気になっていたので。会えてよかったです」
カガリがほっとしたように微笑むと、ナミルの背後でふわりと何かが揺れた。
(……尻尾?)
見れば、ナミルの腰のあたりから生えた犬のような尻尾が、ぱたぱたと嬉しそうに揺れている。
どうやら、感情が隠しきれないタイプらしい。
そんな彼の様子を見ていたリュカが、ふと思い出したように呟いた。
「……それにしても、獣人族に出会うのは久しぶりだな。ここは、お前たちの故郷からは、かなり遠いはずだが……」
リュカの記憶の中にある獣人族の集落は、この地域からはかなり離れた土地にあった。
この辺りでは、獣人の姿を見かける機会など滅多にない。
彼の目が、ナミルを観察するように細められる。
ぴんと立った獣耳に、揺れる尻尾。
それ以外は――限りなく人間に近い。
(――ウルフ種……そして、オッドアイか)
獣人族の瞳は本来、金色の虹彩を持つ。
だが、ナミルの右目は、まるでアメジスト石のような、鮮やかな紫だった。
「育ての親が人間だったんだ。それに、俺自身もハーフでさ」
さらりとした一言。
けれど、その意味は決して軽くはないことを、リュカは知っている。
獣人族は種の純血を重んじる。
ネコ科、犬科といった、彼らの中での分類すら明確に分けられており、種族をまたぐ交配は忌避されることが多い。
ましてや――人間との混血など、珍しいどころの話ではなかった。
「……時代は変わったのか?」
リュカが思わず口にした。
「ん? なにがだ?」
「……いや、こっちの話だ。気にしないでくれ」
わずかに目を伏せて、リュカは言葉を濁す。
そのとき、ふとカガリが問いかける。
「ナミルさんは……お礼を伝えるために、ここまで追ってきてくれたんですか?」
「ああ。あんたの匂いを辿ってきたんだ。俺、鼻が利くからさ」
ナミルは鼻先を指差して、得意げに胸を張った。
だがその後、ふと目を伏せ、声のトーンが変わる。
「――でも、それだけじゃなくて。
ギルドの緊急要請を耳にした。……静謐の神殿の調査だろ?」
その名が出た瞬間、カガリの呼吸が浅くなる。
「……本気か?」
リュカが低く問いかける。
「もちろん。恩返しするには、ちょうどいい舞台だと思ってさ。飛んで来たんだ!」
ナミルは笑ってみせた。
その笑顔に、どこまでもまっすぐな意志が宿っていた。
「獣人族は、義理堅いんだ。恩は、恩で返す!」
「ナミルさん……」
「ナミルでいいよ。――それより、俺もあんたの名前が知りたい」
気負わない口ぶりだったが、その目はどこか期待しているようだった。
そういえば名乗っていなかったことに気づく。
「あ……私は、カガリ。よろしくね」
ナミルは、彼女の言葉を繰り返すように口の中で転がした。
「カガリ、か……。カガリ……うん……うん、いい名前だな」
そして、にっこり笑って、さらりと言葉を添える。
「名前もかわいい」
「か、かわ……」
思わず言葉を詰まらせる。
あまりにも自然で、あっけらかんとした口調。
不意打ちのようなその一言に、心臓が跳ねる。
「俺はリュカだ。――リュカ・ヴァレト」
リュカがわざとらしく咳をして、言った。
「なんだよ、怖い顔すんなって。取って食わねえよ」
頭の後ろで手を組みながら、ナミルが言う。
尻尾がぱたぱたと嬉しそうに揺れていた。
――こうして、思いがけない仲間がひとり、旅路に加わったのだった。
◇ ◇ ◇
「冒険者ランクは?」
焚き火の明かりがゆらめく中、リュカの低い声が静かに響いた。
「Aだ。固定のパーティーには入ってない。ダンジョンに潜るときは、インスタントパーティーを組んでた」
ナミルは焚き火の向こうで肩をすくめながら答えた。
「所有しているスキルはあるか?」
「いや。魔法も習得していない」
「武器は?」
ナミルは言葉の代わりに、手の甲をリュカに向けた。
その指先から、シャッと鋭い爪が数センチほど伸びる。
焚き火の赤い光を受けて光るその爪は、刃のように鋭く、冷たく輝いていた。
「小細工はしない。神経を使うような複雑な作業や、考える役回りは苦手だ」
「……わかりやすい近接タイプか。――特技は?」
「おいおい、これ面接か?」
リュカの淡々とした尋問に、ナミルは吹き出した。
「……すまない。戦力を把握しておきたいだけだ。気を害したなら謝る」
「ははは、冗談だって。まじめすぎるな、お前」
ナミルは笑いながら、焚き火にくべた枝を指で弄んだ。
日が傾き、空が茜色に染まりはじめた頃――
三人は道をそれた小高い林の中にキャンプを張っていた。
焚き火を囲みながら、簡素なスープとパンで夕食をとる。
ナミルが香辛料を取り出し、スープにピリリと辛さと独特な香りを加えると、不思議と味が引き締まった。
「特技は――さっきも言ったけど、鼻が利く。筋力も聴覚も、人間のあんたたちよりは基本スペックは高いと思う」
スープを啜りながら、ナミルは気楽な調子でそう語った。
「獣との意思疎通はできるのか?」
「うーん、なんとなく……って感じ。考えを読んだり、会話したりはできない。犬科の動物でもさ」
リュカは少し黙って彼を観察するように見つめた。
その表情は明るいが、どこか素朴で、人懐こさが滲んでいた。
(――ハーフだからか)
獣人族の中には、動物と意思を通わせ、使役するテイマーが多く存在する。
だがナミルの話から察するに、彼は完全な獣人ではないがゆえに、そのあたりの適性もやや異なるのかもしれなかった。
(それでも……馬の扱いは上手かったな)
乗馬技術というより、馬との距離感を自然に掴んでいた印象だった。
動物と心を通わせる感覚が、染みついてはいるのだろう。
「ところでさ、ダンジョンに潜るのは、3人? それとも4人?」
「え?」
ナミルの言葉に、カガリが小首を傾げた。
ナミルは焚き火の先、リュカの背後に目をやる。
その鼻が、すん、と空気を吸うように動いた。
(……協会の監視に気づくか)
昨夜、窓辺で会話を交わした、目元のクマがひどい青年の姿が脳裏をよぎる。
彼の気配の消し方は相当なものだ。普通の人間なら気づかない。
それでも――ナミルの嗅覚は、常人のそれをはるかに超えていた。
「ダンジョンに入るのは俺たち3人だけだ。……それは、放っておいていい」
「ほおー」
ナミルは耳をぴくぴくと動かしながらも、それ以上の詮索はしなかった。
「――あ、そうだ」
焚き火の光を見つめていたカガリが、ふと思いついたように声をあげた。
「実は私たち、静謐の神殿の調査のほかに、もう一つ目的があって。
ダンジョン内に置き去りにされた“あるもの”を探してるの。ナミルの鼻があれば、見つけられるかな……」
「探し物?」
「うん。これと似たようなもので、《スキルシアー》っていうの」
そう言って、カガリは首にかけた観測支援具を手に取り、ナミルに見せる。
「おもしろい形してるな。……その探し物も、カガリのものなのか?」
ナミルは興味深そうに覗き込む。
「ううん、それは違う人のものなんだ」
カガリは荷物を探り、スキル図鑑を取り出してナミルに手渡した。
「この図鑑に、その人の匂いが残ってるかも。スキルシアーは、その持ち主の遺品なの」
ナミルは図鑑を手に取り、鼻先に近づけて、ふん、と深く吸い込んだ。
「……ふんふん、カガリと、あと二人分のにおいがあるな」
「一人は、今見せた、その支援具を作ってくれた人。で、探し物のスキルシアーは、もう一人の――その人が使っていた」
「へえ……なるほどね。
うん、多分たどれると思う。においは残ってる」
「二百年前のものだぞ。それでもわかるのか」
焚き火越しに、リュカが感心したように言った。
「これが取り柄だからな。任せとけって」
ナミルは得意げに鼻を鳴らし、犬歯をちらりと見せて笑った。
ナミルという存在は――どこか、風通しのいい陽だまりのような、そんな空気を持っていた。
「迷いの森の調査の時も、鼻が利くから同行を頼まれたんだ」
そう言って、笑い混じりに肩を竦めた。
「あんたの薔薇は、辿りやすかったよ。におい強すぎて、もう鼻がもげそうでさ、
そんで俺、気持ち悪くなっちまって……」
「その言い方、いやだな……」
カガリは思わず笑った。
リュカは少しだけ表情を引きつらせたが、反論はしなかった。
火の揺らぎの中、カガリは少し身を乗り出すようにして訊ねる。
「ナミルは、どこかのパーティーには所属しないの?」
その問いに、ナミルは少し口ごもるように、視線を焚き火へ落とした。
「ああ、うん。だってほら――」
火がぱちりと音を立てる。
「……一回目がよかったとしても、ずっと、うまくいくかわかんねえじゃん」
明るく笑っていた彼の表情が、一瞬だけ陰る。
犬耳が、わずかに垂れた。
それはほんの刹那の寂しさだった。
けれど、誰かと長く一緒にいられなかった理由が、その一言に詰まっている気がして――カガリは、何も言わずに彼の横顔を見つめた。
「そろそろ片付けるか。明日早いしな」
焚き火の炎も、だいぶ落ち着いていた。
ナミルが立ち上がりながら、腰を軽く伸ばす。
「そうだね。地図で見ると、もう半分以上来てるから――
日の出と一緒に出発すれば、お昼前には着いてるはず」
火の明かりで開かれた地図を確認しながら、カガリが言う。
「腰は痛くないか? 長時間の乗馬は疲れるだろ」
「全然大丈夫。リュカのおかげでバランスとりやすかったから。
乗馬って気持ちいいね、風を切って走る感じ」
心配そうに訊ねるリュカに、カガリは少し照れくさそうに笑った。
「明日は俺と一緒に乗る? もっとスピード出せるぜ?」
「ダメだ!」
ナミルが悪戯っぽく笑って言うと、リュカが即座にぴしゃりと遮った。
焚き火が、静かにパチパチと音を立てていた。
明日――いよいよ、静謐の神殿に入る。
あのSSランクダンジョンへ。
誰も生きては帰れないとされる、沈黙の領域へ。
夜の帳が、ゆっくりと三人を包み込んでいく。
風が静かに、草を撫でた。
※こちらの作品は、『カクヨム』でも連載しています。
https://kakuyomu.jp/works/16818622177469889409
カクヨムの近況ノートにて、キャラクターのラフスケッチを描いていくので、
もしビジュアルのイメージに興味がある方は覗いていってください。