第13話『落とし穴』
朝の光が屋敷の窓を抜け、静かな食卓を照らしていた。
「……」
「……」
木の皿の上には温かいスープとパンが並んでいたが、そこには昨日までのような和やかな空気はなかった。
向かい合って座る二人の間に流れていたのは、沈黙だった。
いつも通りにパンを焼いて、野菜を刻んで、食卓を整えたのはリュカだった。
黙って台所に立ち、気づけば支度ができていた。
その気遣いは変わらない。むしろ、昨日まで以上に“丁寧”だった。
けれど、だからこそ――わかってしまう。
(……やっぱり、避けられてる)
声をかけても、返事は短くて、どこかぎこちない。
リュカが元々寡黙な人であることは、もう知っている。
でも今のそれは、ただの無口とは違う。
(昨日、あんなこと言ったから……)
胸の奥が重たくなった。
迷惑だったのかもしれない。
不安を口にしたことで、負担をかけてしまったのかもしれない。
(せっかくここまで少しずつ距離が縮まってきたのに……)
言葉を飲み込んだまま、ただ静かに視線を落とす。
ふいに、窓辺で羽ばたく音が響いた。
「……あ」
フクロウが、窓の外からトントンとクチバシでガラスを叩いている。
見覚えのある銀の足輪をつけていた――ギルドの伝書だ。
リュカが窓を開けると、フクロウは手慣れた様子で腕にとまり、一通の手紙を差し出した。
「……ギルドからだ」
リュカが目を通すと、ギルド協会からの招集だった。
迷いの森の調査報告に関する詳しい確認のため、リュカ個人に話を聞きたいという内容だった。
「行ってくる。……少しかかるかもしれない」
「うん……じゃあ、私は、買い物に行ってくるね」
顔を合わせる時間はあったのに、どちらからも深く話題を切り出すことはなかった。
まるで、踏み込むことをお互いに恐れているようだった。
リュカを見送ったあと、少しして、カガリも屋敷を出た。
馴染みの八百屋で食材を、薬草屋でポーションの材料をいくつか買い込む。
最近はリュカが料理をしてくれることも多いので、その食材も少しだけ多めに。
とりあえずの必要な買い物を済ませ、屋敷に戻り荷物を置く。
壁の時計は正午を指していた。
もしかしたら、リュカの話が終わっているかもしれない。
カガリはギルドに向かった。
◇ ◇ ◇
ギルドの扉を押し開けると、昼下がりの穏やかな光がロビーを照らしていた。
カガリは、まっすぐ受付カウンターへ向かう。
受付係のサイラスに尋ねると、リュカはギルド協会の使者と面会中で、話が長引いているらしいとのことだった。
「奥の部屋にいるんですが、しばらくは出てこられないと思います。終わり次第、お伝えしますしょうか?」
「いえ、大丈夫です。……ちょっと、ひとつだけクエストこなしてきますね」
なるべく明るく答えたつもりだったが、胸のあたりに、どこか落ち着かない感覚が残っていた。
(……いつもなら、一緒に受けるのに)
ぽつんとひとり。
ギルドの掲示板の前に立って、じっと張り紙を見つめる。
「薬草採取……北の森、か」
比較的安全とされる森の一帯で、指定の薬草を集めるという内容だった。
難易度も高くない。これなら、ひとりでも大丈夫なはずだ。
手慣れた様子で受注証に名前を記入し、必要な道具をポーチに詰める。
ギルドを出てから、振り返ることはなかった。
◇ ◇ ◇
背に負った布袋の重みを感じながら、カガリは道なき道を進んでいた。
目的の薬草は、湿り気のある地面に生えており、風通しの良い入り口付近ではあまりみつからず、なんだかんだ森の奥の方まできてしまった。
(そろそろ戻らないと日が暮れちゃうな……この辺りで切り上げよう)
足元に注意を払いながら進む。
そのはずだった。
「……あっ」
ほんの一瞬、足が空を踏んだ感覚。
次の瞬間、視界がぐるりと反転し、重力に引きずられるように体が沈んだ。
「きゃ――っ!」
ドスン、と土の匂いが顔を包む。
視界が暗く、ひんやりとした空気が肌にまとわりついた。
ズキンと痛む足。――どうやら、落ちた拍子に捻ったようだ。
痛む足をかばいながら、カガリはようやく身体を起こす。
見上げた先には、高くそびえる土の壁。
両腕を伸ばしても、とても届かない高さだった。
「なに、これ……穴?」
周囲を見渡すと、罠のように掘られた人工の形跡があった。
ふと、クエスト受注時の、サイラスの言葉が頭をよぎる。
「最近、ファンガスの出現報告もあるそうなので、森の奥には入りすぎないようにしてくださいね」
(これ、まさか……ファンガス用の……罠……?)
足元を見ると、ぬかるんだ地面に木の枝や落ち葉が散らばり、うっすらと罠のカモフラージュ跡が見える。
(完全に、引っかかった……)
情けなさが、胸を圧迫していく。
つい、気が緩んでいたのかもしれない。
迷いの森の調査クエストという大きな依頼をやり遂げて、
街の暮らしにも慣れてきて――何でもできるような気がしていた。
このくらい、ひとりでも平気だと思っていた。
(リュカがいてくれて、最近はうまくいってたから……)
冷静に思い返してみれば、
迷いの森の調査に同行できたのも、
あんな異常な事態をくぐり抜けられたのも、結局は――シャイアたちがいたからだ。
クエストの完了実績を着実に増やして、
街での生活にゆとりができてきたのは――サイラスや、リュカがいたから。
今の自分は、独りで立っているように見えて、誰かの力に支えられていただけなんだ。
(……私、一人でも大丈夫って、思い上がってたのかな)
でも――現実は、これだ。
誰もいない、静かな穴の底。
風の音も届かない。上空から差す光だけが、遠くてやけに冷たく感じる。
足元の痛みにずきりと顔をしかめながら、カガリはゆっくりと膝を抱え込んだ。
一人ぼっちの空間で、気持ちが弱く、小さく、しぼんでいくのがわかる。
(……私、一人になったら、何もできない)
ぎゅっと腕を抱きしめた。
胸の奥に広がる不安が、体の奥から冷えを呼び込むように広がっていく。
(……また、迷惑をかける)
(……また、怒られる)
(……また――嫌われる)
指先が、かすかに震える。
どこかで聞いた声が、心の奥底でささやく。
――「また、なにもできなかったのか」
――「何のためのスキルだ。他に取り柄もないくせに」
――「そんなに役に立たないなら、もう、出ていきなさい」
――「お姉さまはそのままでいてくれていいの。――無能なままで」
かつて、自分を無視するように通り過ぎた義母と兄の背中。
睨むような目で「出て行け」と言った父の声。
妹のあざ笑う声――
あの屋敷で過ごした、冷たい日々が、心の奥からひっそりと顔を出す。
(……私、また同じことを繰り返してる)
誰かに期待されて、少しだけ踏み出して。
でも、失敗すればすぐに足元をすくわれる。
自分の居場所なんて、最初からなかったのかもしれない。
“期待されては裏切り、裏切られては距離を取られる”
(……怖い)
心の奥で、かつての自分が泣いていた。
誰にも求められず、誰にも必要とされず、ただそこで小さく蹲っていた幼い自分が。
(やっぱり……何も変わってない)
迷いの森の奥で、命を懸けたはずなのに。
ようやく、ほんの少し自信が持てそうだったのに。
たった一つの落とし穴で、それはすべて崩れた。
(……リュカがいなくなったら、
また、ひとりで、全部……やっていかなきゃいけないのに)
ぽたり、と一滴の涙が頬を伝い、土に吸い込まれた。
あたたかいはずのその滴が、土に落ちる音だけがやけに静かに響いた。
(……何やってるの、私)
情けなくて、みじめで、悔しくて、
でも誰にもすがれないまま、
カガリはうつむいて、静かに目を閉じた。
※こちらの作品は、『カクヨム』でも連載しています。
https://kakuyomu.jp/works/16818622177469889409
カクヨムの近況ノートにて、キャラクターのラフスケッチを描いていくので、
もしビジュアルのイメージに興味がある方は覗いていってください。