第12話『すれ違い』
ギルドの受付カウンターに着き、カガリは受注証をそっと差し出す。
サイラスは、変わらぬ穏やかな笑顔で応じた。
「ご苦労様でした。今日はこれで二件完了ですか。頑張ってますね」
「リュカが手伝ってくれるおかげで、順調なんです」
隣に立つリュカに目をやりながらそう答えると、サイラスも軽く頷いて彼に視線を向ける。
「それは頼もしいですね」
言われたリュカは、少しぎこちなく肩を竦めた。
「……なんとか、やれてはいる」
堅い物言いではあるが、慣れない状況にきちんと応えようとする姿勢が伝わる。
その様子に、サイラスはひとつ、提案を持ちかけた。
「もしよろしければ、リュカさんもこちらで冒険者登録をしてみませんか?」
「……俺が?」
「ええ。二人とも登録していれば、受けられる依頼の幅も広がりますし、報酬の分配も明瞭になりますよ」
リュカは少し考え込むように視線を落とし、それから静かに問い返した。
「……俺でも、登録できるのか?」
「もちろんです。身分や国籍、素性も問いません。ここは“力を貸したい”と思う人のためにある組織ですから」
サイラスの答えは明快で、迷いがなかった。
リュカは一度カガリを見た。
彼女の視線は真っすぐで、何も言わずに“うん”と頷いていた。
その頷きを背に受けて――
「……わかった。登録しよう」
低く、しかし確かに言い切ったその声に、サイラスも嬉しそうに微笑む。
「では、登録手続きを進めましょう」
手続きをするリュカの背を、カガリは優しく見守っていた。
「おー、これでカガリも先輩か。出世したな?」
不意に声をかけてきたのは、バーカウンターから顔を出したディルだった。
軽口を叩きつつも、どこか嬉しそうな顔をしている。
「ディルさん!」
「よ。どうやら元気そうで何より」
「シャイアさんとガロさんは?」
「あいつらは討伐クエストに出てる。北の森の方だったかな」
カウンターテーブルには、帳簿や地図が広げられている。
どれも使い込まれたもので、文字の端には何重にも修正線が引かれていた。
旅の準備を整えているのだろう。
シャイアたちは各地を巡ってクエストを受ける、流れのパーティーだと聞いていた。
この街を拠点としつつ、長くどこかに留まることはない――
それが、彼らの冒険のスタイルだった。
ディルの襟元に、白く巻かれた包帯が覗く。
胸のあたりまでの広範囲に巻かれたそれは、迷いの森で受けた傷痕だ。
登録申請を終え、こちらに来たリュカも包帯に気づいたのか、わずかに俯いて言葉を探す。
「……傷は、大丈夫か?」
静かな声。
まるで自分の罪を確かめるような、低く苦い響きだった。
「ほぼ治ってる。問題ねえよ」
ディルはあっさりと答える。
気まずさを察してか、深く掘り下げようとはしなかった。
「治療士には、かからないんですか……?」
治療士――それは、魔法と医学を組み合わせて治療を行う専門職。
「治療魔法ってのは高ぇんだよ。街の腕のいい治療士に頼めば一発で治るが、それなりに金もかかる。
普通にしてて治るってんなら、それでいいってだけだ」
その言葉に被せるように、間延びした声がすぐ後ろから飛んできた。
「はーーー、またケチ臭いこと言ってるわ、コイツ」
くるりと振り返ると、ギルドの扉を押し開けて入ってきたシャイアの姿があった。
その後ろには、ガロも黙々とついてきている。
「ああ!? どの口が言いやがる!」
ディルが即座に食ってかかる。
「毎晩毎晩、バッカみてぇに高ぇ酒買ってきやがって!
パーティーの共有資金には手をつけるなって、何べん言っても学習しねぇおめーのせいだろうが!!」
「その分ちゃんと稼いでるでしょうが! お金はね、使うもんなのよ!」
「逆ギレすんじゃねえ!」
怒鳴り合う二人の様子に、ガロが肩を竦めた。
それは、いつものやり取りだと言わんばかりの反応だった。
「北の方で、大量発生したファンガスの討伐依頼に行ってきた。素材も多くて、いい稼ぎになったわ」
「ファンガスって、きのこの……?」
ファンガス。きのこ型の小さなモンスターで、食材として人気だときいたことがある。
「そう。カサの部分がね、芳醇な香りの出汁になるんだ。高級食材だよ」
シャイアは手に持っていた革の袋を、カウンターにいるディルへ放る。
じゃらっ、と中の硬貨がぶつかり合う、重みのある音。
「モンスターの討伐って、結構実入りがあるんですね」
「討伐依頼は危険も伴う分、クエストの報酬自体も多めに設定されてるしね。
モンスターの素材には思わぬ価値がつくこともあるし、素材屋に売れば、さらに儲かるってわけ」
「なるほど……」
貴族時代の私物を売って作った貯蓄は、だいぶ減ってしまっていた。
討伐依頼を受ければ、生活はもっと安定するだろうと考える。
「でも、私にはまだ討伐依頼は無理かな……」
そうつぶやいたカガリに、隣から静かな声が届いた。
「討伐依頼を受けたいなら、俺がついていく」
リュカが、いつもの落ち着いた調子で告げる。
「それなりに剣は立つ、とは思っている。いくらでも使ってくれ」
それを聞いたディルが、興味深そうに言った。
「そういや、お前……王国に仕えてたんだったか? どこの隊だった?」
リュカは短く答える。
「金獅子の隊だ」
その言葉に、周囲の空気がぴたりと止まった。
「――エリートじゃん!」
思わず叫んだのはシャイアだった。
リュカが“金獅子”の名を出すなど、誰も思っていなかった。
カガリも聞き覚えがあった。
金獅子の隊――王国第一近衛隊・金獅子師団。
王族の護衛や、国家機密の任務、領土防衛の最前線などを担う、王国最強の騎士部隊とされている。
選ばれし者だけが入れるその部隊は、貴族の嫡子ですら門前払いされることも珍しくない。
高い剣術能力と忠誠心、戦略眼まで求められる“英雄候補”の集団だ。
二百年前に彼が所属していた部隊と、多少形は変化している可能性はあるが、本質までは変わっていないはずだ。
「いや、俺は平民上がりだ」
「いや、それ……ますますすごいんじゃ……」
「……べつに。戦うことしか取り柄がなかっただけだ」
リュカの目が、一瞬だけ遠くを見る。
その背中に宿る影に、誰もそれ以上の言葉を重ねなかった。
◇ ◇ ◇
ギルドからの帰り道。
石畳を踏む音が、並んで歩くふたりの足元に静かに響く。
陽が傾き始めた街路は柔らかな金色に染まり、カガリはそっと隣を歩く彼の横顔を見上げた。
(そんなに――すごい人だったんだ)
迷いの森で出会った時、彼は“薔薇の騎士”としてそこにいた。
けれど今はこうして、隣にいてくれる。
でも――
ふと浮かんだのは、リュカが自らの過去について語ろうとしないことだった。
家族のことも、かつて仕えていた王国のことも、
二百年前、彼の周りにあったものが、今はどう変化してしまっているのか、
それを調べようとする素振りも見せない。
何も知らないまま、彼はここにいる。
家族のことも、故郷のことも、仲間のことも。
二百年という歳月が流れているとはいえ、彼の口から出たのは、ただ「わからない」と「もういないだろう」という冷めた言葉だけだった。
でも、忘れてしまったわけではないはずだ。
記憶は抜け落ちている部分こそあれ、彼は名前も、立場も、騎士としての日々も覚えている。
ならどうして――何も探そうとしないんだろう?
――まったく気にならないなんてことがあるのだろうか。
会いたい人がいなかったのか、
何も残っていないと思っているのか。
もしくは、思い出すのが――怖いのかもしれない。
それとも……
(私の前では、話したくないのかな――)
カガリは少しだけ歩調を緩めた。
寄り添うように歩く彼の存在が、急に遠いものに感じられる。
この数日間、ずっと一緒にいてくれた。
同じ屋根の下で朝を迎えて、一緒に食卓に座って、街へ出かけて――。
そんな当たり前のような日々が、カガリには初めてのことだった。
家族に冷たくされ、ずっと一人で生きてきたカガリにとって、
“誰かと一緒にいる”ということが、どれだけ暖かいことなのか、リュカが教えてくれた。
その温かさが嬉しくて、でも、同時にこわかった。
(……このまま、隣にいてくれるのかな)
不安が胸をかすめる。
リュカの中にあるもの――過去、記憶、痛み――それらすべてを知っているわけじゃない。
けれど、知りたいと思った。
ほんの少しずつでも、彼のことをもっと知って、隣にいたいと思った。
「……どうした?」
リュカの声が、不意に沈黙をやさしく破る。
カガリは、歩みを止める。
ほんの少し迷ってから、ぽつりぽつりと話し始めた。
「私……家族に追い出されたの。それで、あの屋敷にひとりぼっちで」
視線を落としたまま、言葉を紡ぐ。
「でもね……この数日が、すごく心地よかったの。
一緒にごはん食べたり、クエストに行ったり、ただ屋敷にいてくれるだけでも……」
一度紡ぎ始めた言葉は、ぽろり、ぽろり、ゆっくり、少しずつ、こぼれていく。
「便利だから一緒にいてほしいってわけじゃなくて……
ああ、でも生活はほんとに助かってて、でもそれだけじゃなくて……」
喉が詰まりそうになった。
「でも、リュカは……きっと、いつまでも私と一緒にいるわけじゃないでしょ?
そんなに長く一緒にいられないのかなって思ったら……ちょっと、心細くなっちゃって」
そこまで言って、はっと我に返る。
「ご、ごめん! 変なこと言って……困らせるよね、ほんとにごめん!」
慌てて取り繕うとして、でも、余計なことを口走ってしまう気がして、唇を噛む。
「……ただ、もっと……一緒にいられる間だけでも……リュカと、もっと仲良くなりたいなって思ったの」
小さな声だった。でも、その言葉は確かに、彼に届いた。
リュカの、薔薇色の瞳が揺れる。
ふと目を伏せ、何かをこらえるように呼吸をひとつ整えた。
そしてその瞬間だった。
ふわり――と、リュカの足元に、やわらかなピンクの薔薇が咲いた。
たった一輪。それが次第に二輪、三輪と咲き広がり、あっという間に小さな花畑ができる。
淡く透きとおるような花びら。
風に乗って舞い上がる、甘く優しい香り。
キラキラと輝く桃色の花粉が、カガリの視界をふわっと染める。
(……あれ?)
視線が合った。リュカの瞳が、やけに綺麗に見えた。
頬が熱を帯びる。心臓が早鐘を打つ。
ふわふわする、何かに包まれているような感覚。
自分の意識が、ほんの少しだけ、宙に浮いているような――。
「……またか」
低く掠れた声。
次の瞬間、リュカは鋭く花を踏みつけた。
パッと音もなく花が崩れ、舞っていた花粉もすぐに風に流れて消える。
「え……今の、何……?」
呆然とするカガリの目の前で、リュカは少し顔を背けたまま、ただ一言――
「……すまない」
その声には、自分自身を責めるような痛みがにじんでいた。
並んでいたはずの彼が、わずかに距離を取る。
足取りは早くないのに、なぜかその背中は遠くに感じた。
そのまま、リュカは一度もカガリの方を振り返らずに、家路を歩き続けた。
カガリもそれ以上、言葉をかけられなかった。
ほんの一歩近づきたくて伝えた気持ちが、
ふたりの間に、静かなすれ違いを生んでいた。
※こちらの作品は、『カクヨム』でも連載しています。
https://kakuyomu.jp/works/16818622177469889409
カクヨムの近況ノートにて、キャラクターのラフスケッチを描いていくので、
もしビジュアルのイメージに興味がある方は覗いていってください。