表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

108/113

第105話『選択』


いったい、どうしてこんなことに――。


ユエルの頬を、冷たい汗が一筋、伝った。

目の前には、崩落した空間。大理石の大扉は半ば崩れ、瓦礫が山のように散らばっている。

彼はその瓦礫の中央に立ち尽くしていた。


背後には、ひとり――アストレアの姿。


「……ここは神聖な場所だ。特別な力が宿っている」


アストレアの声は静かだが、低く響き渡った。


「話した通りだ。王都に迫る魔物の数は増え続けている。この“星晶の間”の力を復元しなければ、流出は止められない」


そして、視線をユエルへと真っすぐ向ける。



「お前の力で、ここを再生させてほしい」



ユエルは息をのんだ。


アストレアが語る状況は、文字通り世界の危機だった。

このままでは国どころか大陸全体が呑み込まれる。


カイロスから聞いていた“ダンジョンの肥大化”という言葉が頭をかすめる。

まさか、王家がこんな方法でそれを抑えてきたとは思わなかった。


唇を噛み、目を伏せる。

「…………」


ユエルは腕の魔道具に目を落とした。

カイロスが作ってくれた“代償を肩代わりする腕輪”が、冷たく光っている。

数珠は、あと三つ。


胸元に手を当てる。内ポケットには、スペアとしてもらった数珠が十個ほど入っている。

だが、それをすべて使ったとしても、この広大な空間を修復できるかどうか……耐えられる自信はない。いや、きっと無理だ。


「……僕、は……」


世界と自分の命を天秤にかけたら、世界を取るべきだ。

カガリのためにも、平穏な世界は必要だ。

彼女のために命を捧げることなど、惜しくはない。本望だ。


――けど。


『 ……少しでも長く、私を傍で支えて……お願い 』


カガリの声が脳裏に浮かび、その瞬間、胸の奥に何かがひりついた。

彼女がくれた言葉。彼女の笑顔。

それは、どんな誓いよりも、ユエルを縛っていた。


ゆっくりと足元を見つめる。


磨かれた革靴が、瓦礫の上でかすかに光を返す。

――カガリが買ってくれたものだ。


前にもらった靴は、スキルの代償で体が成長してしまい、履けなくなってしまった。

それを気にしていた自分に、彼女は新しい靴を買い与えてくれた。


最初の靴を貰った時に言った。

『生まれて初めて、ちゃんとした靴を履いた気がします』――と。


その言葉に、カガリは微笑んで言った。

『なら、最初の一歩は、私と一緒でよかった』


その瞬間、心に刻んだ。

死ぬまで、絶対に、この人の隣で生きていくと。

同じ道を歩き、同じ景色を見て、共に笑っていくと――そう決めた。


けれど、今。

足元の靴が、やけに重く感じる。


(お嬢様……僕は……どうしたらいいんですか……)


息が詰まる。

胸の奥で、焦燥と恐怖がせめぎ合う。


守りたい。

生涯をかけて守りたい。


でも、力を使えば、もう二度と――あの人の隣を歩けないかもしれない。


彼女の願いを、……裏切りたくない。


でも。

それでも。


ユエルの手は、ゆっくりと魔道具に伸びていた。

震える指先が、光る数珠を掴む。


その瞬間――


「ユエル!!」


鋭く叫ぶような声が、瓦礫の静寂を切り裂いた。

振り返ると、崩れた扉の向こうにカガリの姿があった。


「お嬢様……!」


駆け寄ろうとしたユエルの前に、アストレアが立ちはだかる。

王の瞳は、決意と焦燥の光を宿していた。



・ ・ ・



「陛下……これは、どういうことですか」


カガリの声には、怒りよりも驚きが混じっていた。

アストレアは短く息を吐き、真っ直ぐに見据える。


「彼の力を借りて、星晶の間を復元する」


「……なんですって」

カガリの表情がみるみる険しくなる。


「させられません! ユエルのスキルには重い代償があります。ここを修復したら――彼の身体は耐えられません!」

「それでもだ」

「彼は……死んでしまうんです!」


「それでも、やってもらう」


アストレアの声が、空間を震わせた。


カガリの胸の奥で、何かがざらりと擦れた。

言葉の重みを理解した瞬間、ずっと心の奥で見て見ぬふりをしていたものが、炎のように燃え上がる。


「……そんなこと、許さない」

唇が震え、瞳が怒りで赤く縁取られる。


「――彼は道具じゃない! あなたは、人を何だと思っているの!?」


声が鋭く響いた。

それは怒鳴り声ではなく、抑えてきたものがついに零れ落ちたような音だった。


「……もう、我慢できないっ」


カガリは息を荒げたまま、拳を握りしめる。


「リュカと、セラフィのことだって、そう。……あの人たちは、世界のために何も知らずに犠牲にされた。それなのに、あなたは謝るどころか、また彼らの力を借りている。まるで、それが当然のことみたいに……!」


彼らは強く、優しかった。

誰かのために戦うことを、当たり前のように受け入れていた。

けれど、それを当然だと扱う世界の在り方に――ずっと、耐えがたい何かを感じていた。


堰を切ったように言葉があふれる。

心に刺さりつづけていた違和感が、ようやく形を持った。

これは、怒りだったんだ。


「そして今度は、ユエルに犠牲を強いるんですか? この子は戦士ですらないんですよ!?」


息が詰まるほどに叫んだ。

目の奥が熱く、滲んでいく。


アストレアは動かない。

静かなまなざしの奥で、光がわずかに揺れる。

それは理性ではなく、痛みを堪える光だった。


「あなたたち王家のしていることはおかしいです! ……こんなの、絶対おかしい……っ!」


最後の言葉は、怒りよりも悲しみに近かった。


アストレアは目を閉じ、ゆっくりと息を吸い込んだ。

重い沈黙のあと、かすかに吐き出す。


「……君の怒りは、もっともだ。……私だって、犠牲なんて望んでいない」


視線を落とし、低く漏れた声には、わずかなかすれが混じっていた。

アストレアの瞳の奥に、深い疲労と苦悩が揺れる。


それでも彼は顔を上げ、王の目でカガリを見つめる。


「だが放置すれば、魔物は無限に湧き続ける。ダンジョンは拡大を続け、やがて王都も飲み込まれる。子供も、老人も、無関係の人々も――何もかもを失うのだ」


その言葉は理屈ではなく、叫びに近かった。

カガリは首を振り、爪が掌に食い込む。


「それでも、だからって……誰かの人生を奪っていいわけない!

 あなたは謝るべきだった。世界のためだと言って――人を檻に変えてきたことを!」


その叫びが石壁に反響する。

アストレアはほんの一瞬、目を伏せた。


「……謝罪が世界を救うのか?」


最初は静かだった声が、次第に熱を帯びていく。

握り締めた手が白く変わる。


「手段は限られている。

 守り続けてきた先祖と、命を捧げた英雄たちのためにも――私は謝れない。

 彼らの犠牲を“間違い”にはできないんだ」


拳が震える。

こらえていた感情が、ほんのわずかに滲んだ。


「……私たちの選択は、間違っていない!」


それは自分に言い聞かせるような声だった。

王でありながら、ひとりの人間として、何度もその言葉を繰り返してきたのだろう。


そして、低く、確かな響きで言葉を結ぶ。


「歪みが消えなければ、この国は、世界は滅びる。

 それを止める手段があるのなら――私は使う」


その声は、悲しみと決意がないまぜになっていた。

冷たい刃のような言葉の奥に、壊れそうなほどの誠実さが宿っていた。


カガリは何かを言いかけて、唇を噛んだ。


怒りの熱がふっと引いていく。

憤りは消えない。けれど、向ける先を失う。


拳を握りしめる。

視線を落とし、静かに息を吐いた。


(この人も……犠牲の輪の中にいる)

(選んだ選択が、誰かを救うたび、誰かを失ってきた。その重さを抱えて、それでも立ち続けてきたんだ……)


――『……宿命に囚われ、その傀儡となる王族を恨んだところで、何の意味もない』


エルネストの言葉が、脳裏でよみがえる。


彼もそれが分かっていた。

だから……――。


カガリは拳をゆるめ、指先を胸の上にそっと置いた。

鼓動が早く打ちつける。まるで、自分に問いかけるように。


(私は、どうする?)

(私に、なにができる?)


(――私は、何を選ぶ?)


息を吸う。

深く。胸の奥の震えが静まるまで。


そして、ゆっくりと顔を上げる。夕暮れの赤い光が、揺れる髪を照らした。


カガリは、アストレアをまっすぐ見つめる。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ