第103話『問い』
魔導障壁動力室――
部屋の中央に設置された機構の中心で、魔石が淡く光っている。
壁には複雑な魔導回路が這い、空気には金属の匂いと魔力の微かな振動が漂っていた。
部屋の隅の卓上に、古びた設計図が広げられ、その上に魔導用の器具や工具が散乱している。
「どう? 弄れそう?」
卓の横に立つフェリオが設計図を手に取りながら問いかける。
カイロスは魔導回路とにらめっこしたまま、唸った。
「できるっちゃできる。古い式だ。……ただ、この障壁は対人用だな。強化しても、魔物相手にどこまで通用するかはわからん」
「うーん……なんか、頼りないね……」
「まあ、ないよりは断然いい」
カイロスは肩をすくめ、回路の流れに沿って視線を走らせる。
「北部って、魔導装置は使うのか? そっちはダンジョンも多いし、魔物の発生地域も広いだろ」
フェリオは設計図を卓に置き、少し眉をひそめた。
「あるにはあるよ。けど、こんな大掛かりなものは使ってない。うちは人力主体だ。武と魔法で戦う」
「……人力主体。なるほど。……じゃあ、援軍には期待できるな」
「うん。竜相手でも、かなり戦えるはずだよ。到着が間に合えば、ある程度は持ちこたえられる」
だがフェリオの眉にはわずかな影が落ちる。
「けど、籠城に無限はない。魔物の流出がどこで止まるか……それが問題だね。こんな異常事態、北でも経験したことない。……いったい何が起きてるんだか」
天井を仰ぐように言いながら、重苦しい沈黙に包まれる。
「君、何か知ってるんじゃないの?」
鋭く問いかけるその視線に、カイロスは肩をすくめた。
「さあな……」
言葉を濁す彼に、フェリオは顔をぐっと近づける。
瞳が水色に光った。
「おわっ! やめろやめろ、思考を読むな」
カイロスは慌てて視線を逸らす。
「話す手間が省けるだろ?」
「あのなあ……俺、作業中なんだよ。邪魔するなら出てけよな」
カイロスは手でフェリオの肩を押しのけ、作業に戻ろうとする。
「だって、気になるじゃん! 狩猟祭の不正、カガリちゃんのお兄さんの謀反、星晶の間の崩落。あげくこの異常な魔物の大量発生。立て続けだよ? 一連の事態は何かしら繋がってるでしょ」
フェリオは真剣な目で食い下がる。声の抑揚に、焦りと心配が滲んでいた。
カイロスは手を止め、眉を軽く上げる。
「あー、なるほど? さてはお前、カガリが何か悪いことに巻き込まれてるんじゃないかって心配なのか」
カイロスは少し間を置き、視線をフェリオに向けて続ける。
「だから、しつこく訊いてくんのか。……ったく、あいつモテるなあ……」
軽くそう呟き、にやりと笑う。
それを見たフェリオは、思わず口元をぎゅっと引き結び、頬を赤く染めた。
「うっ……ちゃ、茶化してごまかそうとしないでよ!」
「別に茶化してねえよ」
「なら、知ってること教えて」
「話が長くなる」
「じゃあ、スキルで勝手に読むから、頭んなか見せて!」
「やなこった!」
フェリオはムッとした。
しばらく睨みつけるように黙っていたが、やがて視線を逸らし、深いため息を吐く。
「だったら、これだけ教えて。――カガリちゃんは、この件に関係ない?」
カイロスは作業を止め、しばし沈黙する。
肩越しにフェリオを見つめる目がわずかに揺れる。
「……関係ないわけじゃない。あいつは巻き込まれてる。しかも、事態のかなり中心にいる」
「えっ!?」
「……けど、だからってどうということはない」
視線を再び魔導回路に落とし、手元を弄りながら、低く続ける。
「……――ここまできたら、あいつにどうにかできることじゃない」
言い方に、フェリオはわずかに引っかかるものを感じた。
問題が起きていることを示しているのに、解決の糸口も含んでいる。
でも同時に、手の打ちようがないと諦めた匂いも混じる。
フェリオはカイロスの言葉をじっと考え込む。
やがて、話題を変えるように、カイロスが口を開いた。
「お前、魔力の流れが見えるんだろ? ここで様子を見ててもらえるか。式を少し書き換えたから、異常が見えたら知らせてほしい」
「……いいけど、君はどこいくの?」
「外に出て、この辺一帯の魔力濃度を観測してくる。環境に合わせて微調整が必要だ」
立ち上がり、ポケットに手を突っ込み、扉へ向かうカイロス。
「なるべく早く戻ってきてよ。俺、カガリちゃんのところに行きたいから」
「おう」
重い扉を押し開き、カイロスは動力室を出て行く。
背を見送るフェリオが、つい口を開く。
「君は嫉妬しないんだ。リュカや金髪君なら、今の聞いたら凄い顔で睨んでくるよ」
カイロスは足を止め、くすくすと笑った。
「嫉妬ねえ……」
「む。なんで笑うんだよ」
「いや、考えが若くて可愛いなーと思ってな」
「なっ……」
軽く肩を揺らし、カイロスは廊下を歩み出す。
後ろから反論が飛ぶが、振り返る気はない。
「……嫉妬、ねえ」
独り言は石造りの廊下に吸い込まれて消える。
「……ん?」
ふと、前方に影が差した。
カイロスの足が止まる。
立っていたのは――アストレアだった。
「……陛下?」
声が漏れ、自然と低くなる。
一瞬の驚きに続いて、胸の奥に小さな違和感が広がっていく。
「……こんなところに居ていいんですか、アストレア女王陛下」
今は魔物への備えで城中が慌ただしいはずなのに――どうしてここに。
問いかける声に、警戒が混じる。
「聞きたいことがある」
アストレアはまっすぐこちらを見据え、短く告げた。
その一言に、胸の奥がわずかにざわめく。
――わざわざ自分を探して来たということだ。
「ユエルのスキルを、垣間見た」
唐突な言葉に、カイロスは思わず目を見開いた。
「巻き戻しの力を持つ者がいるとはな。国をあげて探しても、そう容易くは見つからぬ稀有な力だ」
アストレアの視線が射抜くように鋭さを帯びる。
ただの感想ではない。そこに思惑が潜んでいることを、肌で悟った。
「代償を肩代わりする魔道具。……あれは、どの程度まで耐えられる?」
アストレアの問いかけが意味するところを、カイロスは瞬時に理解する。
背筋に冷たい緊張が走り、拳が自然と握られる。
ゆっくりと、固く、力がこもった。