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第99話『緑の光』


奥庭を後にし、部屋へと続く回廊を進む。

アストレアの斜め後ろを歩くが、言葉はない。

重たい沈黙が、足音だけを響かせていた。


ふと横顔を見てしまう。


(リュカと、セラフィを……二百年もダンジョンに閉じ込めていた王家……)

(そして、……昨日の混乱がなければ、私も……)


思い出すのは、初めて出会ったときのリュカとセラフィ。

人の姿を失い、深層で孤独に徘徊していたあの恐ろしい影。


胸の奥がざわついた。


解き放たれてからも居場所を見つけられず戸惑っていたリュカの姿も脳裏に映る。

罪を背負い、苦悩に沈むセラフィ。

そして、大切な人を奪われ、苦しんでいたカイロスの事も。


彼らの痛みを思えば、本当はアストレアを責めるべきなのかもしれない。

けれど――心はまだ定まらない。


求めてきた答えにはたどり着いた。

しかし、この告白を受けて、自分はどうすればいいのだろう。


「お嬢様」


不意に声をかけられ、思考が途切れた。

顔を上げると、前方からユエルが歩いてくる。


「ユエル?」


驚いたように、隣のアストレアが目を見開く。

ユエルは少し言いづらそうにしながら近づいてきた。


「……お体が心配で。お迎えに参りました」


その腕には、冷たい風を気遣ったのか上着が掛けられている。


「ありがとう」


寒さは感じていなかったが、差し出された思いやりが嬉しくて受け取った。


「すまない、寒かっただろうか」

「いえ。陽もあって、むしろ暖かいくらいでした」

「そうか……」


アストレアはほっと息をつき、ユエルを見やる。


「ユエル……なのか? 随分と大きく……」


視線を頭から足先まで滑らせるアストレア。

意図に気づいたユエルは、困ったように笑った。


「ご無沙汰しております、陛下。訳ありまして、体が伸びてしまって」

「そ、そうか。見違えたな……」


そのやり取りで、陛下とユエルが最後に会ったのは狩猟祭の開幕パーティーだったことに気付く。

あの時はまだ、ユエルは少年の姿だったはずだ。


(数日でこの変わりよう……驚いて当然だよね)


胸の奥で小さく得心し、ひとつ頷いた――その瞬間。


視界の端で、火がはぜた。

瓦礫を燃やすため、兵士たちが焚き火をつけたのだ。


立ち上る炎。

その赤い揺らめきが、視界に触れた瞬間――体が固まった。


「……――っ!」


胸の奥が凍りつき、全身が硬直した。

耳をつんざく轟音、押し寄せる熱風、灼ける痛み。

焦げる匂いが鼻をつく。


「……――はっ……っ……」


呼吸が途切れ、体が震える。

指先が勝手に震え、ユエルの袖を掴んだ。

心臓が跳ね、胸が潰れそうになる。


「お嬢様!?」

ユエルの声が、回廊を裂く。

咄嗟にカガリの体を両腕で支えた。


その腕に縋るように膝が床に崩れ、石の冷たさが震えを増幅させる。

視界が揺れ、現実と過去の境界が溶けるように混ざる。


「王宮医を!」

アストレアの声が鋭く響き、焦燥の空気を震わせた。


(だめ……思い出しちゃ……!)


必死に目を閉じても、焼け焦げた匂いと痛みが押し寄せる。

恐怖が全身を覆い、抗えない。


ユエルは突然のカガリの異変に戸惑いながらも、

彼女が直前に見ていたもの、肩や腕の力の入り方、全身の震えを見て、瞬時に理解した。

――火を見て、あの爆炎の記憶が甦ったのだ。


蒼白した顔で震えるカガリの姿に、ユエルの胸の奥がぎゅっと痛んだ。

呼吸の乱れに合わせて軽く抱きしめる。

その小さな動作に、彼の「なんとかしてあげたい」という気持ちがにじむ。


ユエルの瞳に、一瞬の迷いが走る。

一度深く息を吐いたあと、迷いを断ち切るように、まっすぐな瞳でカガリを見つめた。


「……お嬢様。スキルの使用をお許しください」


その言葉に、ひときわ大きくカガリの肩が跳ねた。

ユエルの胸に額を押し付け、必死に首を振る。


「大丈夫です。僕の時間は進みません。信じてください」


――どういうこと? 訊こうとしても、息が詰まって言葉にならない。


顔を上げてユエルを見ると、彼の瞳が優しく揺れた。

その瞳が淡い緑の光を帯びるのを見た瞬間、抗う力がすっと溶けていった。


光が全身を包む。

春の陽射しのようにあたたかく、柔らかい。


――痛みが遠ざかっていく。

――恐怖が底なしの暗闇へ沈む。


爆炎も、灼ける苦しみも、最初から存在しなかったかのように。


震えが静まり、乱れていた呼吸も落ち着きを取り戻す。

ようやく、声が震えながら漏れた。


「ユエル……それは、使っちゃ……だめって……」


その瞬間、パキン、と乾いた音が響く。

ユエルの腕に巻かれていた数珠が砕け、床に散った。


「大丈夫です。カイロスさんに代償を肩代わりする魔道具を作ってもらったんです。

 この程度なら、問題ありません」

ユエルは安心させるように微笑む。


確かに外見に変化はない。髪も伸びていない。


「苦しむお嬢様を見ていられなくて……ごめんなさい」


その言葉に、カガリの胸はぐっと熱くなる。

ありがとう――でも同時に、魔道具があったとはいえ、ユエルが迷わず自分の身を差し出そうとしたことへの心配も、胸に押し寄せる。

どちらの感情を先に口にすべきか迷い、言葉は出なかった。


代わりに、カガリはそっとユエルを抱きしめた。


そのやり取りを、傍らでアストレアが見つめていた。

視線はユエルとカガリに交互に動いたあと、まだ微かに周囲を漂っている緑の光に向く。


そしてほんの一瞬、眉をひそめた。


そこへ、回廊の向こうから慌てた足音が響いた。


「陛下!」

騎士の声。全身を駆け抜ける焦燥が、空気を震わせる。


アストレアは眉を寄せ、声の主を見やった。


「何事だ?」


騎士は息を切らし、ひざまずきながら報告した。


「肥大化したダンジョンから、魔物の大群が出現しました……!

 ――王都に向かって進行中です!!」


言葉が放たれた瞬間、静かだった回廊の空気が一変した。

迫る脅威が、今この場に瞬時の緊張を叩きつけた。


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