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第98話『赤い花』


王宮の庭園には、赤薔薇が一面に咲き誇っていた。

風に揺れるたび、花弁が波のように揺らぎ、甘やかな香りが辺りを満たしている。


ガゼボの椅子に腰を下ろしたカガリは、目の前に広がる薔薇の海を夢見るように眺めていた。


視線を向ける先には、アストレアの姿がある。花々に目を落とし、静かに佇んでいる。


「王宮内はまだ、昨日の後処理で慌ただしくてな。……ここなら、君と落ち着いて話ができると思った」


この奥庭は、王族と、ごく限られた者だけに許される場所。

足を踏み入れるだけで、特別な意味を帯びていた。


「まさか、王宮の庭園に入れるなんて……ありがとうございます。とっても綺麗」


「この景色を、君が綺麗だと思ってくれるなら、よかった」

アストレアはふっと笑みを零す。


「付き人の彼らには悪いが……どうしても、二人になりたかった」


ここに来る前。

アストレアはカガリの部屋を訪れ、二人きりで話がしたいと告げた。

その瞬間、セラフィが何かを言いかけるように鋭い視線を突きつけたのを、カガリは忘れられない。


なぜそこまで、と戸惑う彼女の耳に、リュカが低く囁いた。


――『俺たちがなぜ今ここにいるのか。陛下から……話をきいた』


それは、ずっと探し続けてきた答えだった。

だからこそ、セラフィを宥め、アストレアと共に部屋を後にした。


導かれた先が執務室ではなく、この薔薇の庭園だったことは、少し意外だったが――。


アストレアはひとつ息を吐き、薔薇に向けていた視線を切り替え、真っ直ぐにカガリを見据える。


「まず……エルネストのことだ。瓦礫の中から見つかった。……すでに命はなかった」


冷ややかな現実の響きに、胸の奥が凍りつく。

予感はしていた。それでも言葉にされると、抗えぬ重みを帯びて迫ってくる。


「彼は、私が丁重に弔う」


その一言に、思わず目を見開く。

反乱を起こした者に対してはありえない扱いだ。


アストレアは、カガリの胸中を読み取ったかのように言葉を継ぐ。


「恨みだったのか、それとも……別のものだったのか。結局、知ることはできなかった。

 それでも、彼の思いは私が受け止めねばならぬものだ」


脳裏に、最期の光景がよみがえる。

爆発の直前、エルネストの姿を確認しようと振り返った。

けれど確かめる前に、すべては閃光と炎に呑まれた。


襲われた痛みの記憶に肩を抱く。

その仕草に気づいたのか、アストレアはそっと手を伸ばした。


「……あの時、君が庇ってくれなければ、私の命もなかっただろう」


そう言って、カガリの手を取り、両の掌で包み込む。


「……ありがとう」


短く、それでいて深い感情を孕んだ声だった。

その一言に、心の奥を強く打たれる。

自分の行動が、この人の命を救えたのだと――ようやく実感が押し寄せる。


「命を救ってくれた君に、誠意をもって話したい。……すべてを」


その声には、感謝だけでなく、決意の響きが宿っていた。

握られた手に、静かな熱がこもる。

カガリはゆっくりと頷いた。


アストレアは言葉を探すように一瞬沈黙した。

薔薇の花弁が風に揺れる音だけが、静かな庭園に響く。


「……君は、もう知っているだろう。世界中で、ダンジョンが膨れ上がるという異常が繰り返されていることを」


カガリは小さく息を吞む。

何度も耳にしてきた。この世界の、異変の連鎖。


頷くと、アストレアは言葉を続ける。


「……原因は、この世界に突如として現れる――“歪み”。

 放置すれば土地を蝕み、やがてはダンジョンを肥大化させる災厄。

 それを押さえ込んできたのが、我ら王家の血脈にのみ継がれるスキル――《星籠》だ」


「星……籠……」


カガリの眉がぴくりと動く。

アストレアは少し息を吐き、視線を薔薇に落とした。


「……星籠は、器となる対象に、あらゆるものを“籠める”力だ。

 功績を挙げた者に、さらなる力を授ける褒賞の儀式に使われていた。……星晶の間を通して、星の恩寵を授けていたんだ」


その声音には、どこか誇りを含んだ響きがあった。だが次の瞬間、影が落ちる。


「だが……歪みが現れた時、星籠は本来の意味を失った。

 力を与える“籠”は、やがて歪みを押し込める檻となった」


アストレアの声には苦渋が滲んでいた。

薔薇を見ていたその瞳が、カガリへと向けられる。


「讃えられるべき英雄を、我らは歪みを封じる檻に変えてきたのだ」


その言葉は静かに、しかし確実に胸を貫く。


(待って……じゃあ、やっぱり……)




『星晶の間の儀式は、――祝福などではない』




エルネストの言葉が、心の奥に響いた。


『籠を植え付けられた英雄たちは、皆、肥大化が進むダンジョンへと送られる。

 そして歪みを、その体に取り込む――思考も、体も、全てが歪み、やがて英雄は人ではなくなる』


迷いの森――静謐の神殿でも見た、異形の胸に刻まれた深い歪みの波紋が脳裏に浮かぶ。


昨夜は、混乱で話を飲み込めていなかった。


手が思わず握りこまれ、指先に力が入る。

結びついた答えに、冷や汗が止まらない。


「……ダンジョンの……深層の、ボスは……みんな……」

声は、震えと恐怖で途切れ途切れになる。


アストレアは一瞬息を飲み、言葉を選ぶように間を置いた。

薔薇の香りと風のざわめきが、異様な静寂を際立たせる。


「星籠によって歪みをその身に引き受け――堕ちた英雄たちの姿だ」


静かに告げられる言葉に、時間が止まったような感覚。

カガリの心臓は跳ね上がり、喉を通る息さえ震える。

目の前の真実が、冷たい現実として全身に降り注いだ。


「星籠は“星晶の間”においてのみ発動できる。

ゆえに、歪みを封じる依り代は、あの門を開ける英雄たちでなければならなかった」


アストレアの声は低く、哀しみを帯びて落ちる。

語られる事実は、歴史書に記されぬ、王家だけが抱え続けた秘密そのものだった。


「セラフィ・エグザル。リュカ・ヴァレト。……アーデン・モルディエル。

 彼らに犠牲を強いた……その事実に謝ることすら許されないまま、王家は世界を保ってきた」


言葉を重ねるほどに、アストレアの胸の奥に巣食う苦悩がにじむ。

それでも決して顔を歪めず、ただ王家の継承者として、静かに告白を続けた。

声は静かだったが、奥に深い痛みが滲んでいた。


「そして……――」


伏せられた睫毛の影で、わずかに唇が震える。

絞り出すように、言葉が落ちた。


「昨夜は、君のはずだったのだ……」


胸が締め付けられた。


怒り、恐怖、心の芯を冷やす感情が、重くじんわりと広がっていく。


狩猟祭の閉幕式で、アストレアが見せたあの表情。

星晶の間で、迷いを宿した瞳のまま言葉を飲み込んだ姿。

そのすべての理由が、ようやく理解できてしまった。


ぞわり、と背筋に冷たいものが走る。

堪えきれずに立ち上がり、身を引く。

その瞬間、握られていた手が離れた。


アストレアは、唇を動かしかける。

けれど言葉にはならなかった。


ただ視線だけが絡み合い、時間が止まったように感じられた。

庭園の風すら、息をひそめたように静まり返る。


気づけば、呼吸すら忘れていた。

震える息を吐いたとき、胸の奥に痛みが広がる。


やがてアストレアはゆっくりと視線を外し、庭園に咲く薔薇に目を落とした。

小さく息をつき、指先で花弁に触れる。

その仕草には、静かに重みをかみしめるような気配があった。


そして、かすかに微笑むように声を紡ぐ。


「……この庭園には、今は薔薇が咲いている。

 だが季節が変われば、別の赤い花が咲く。一年を通して、この庭は赤い花で満ちるのだ」


言葉に導かれるように、カガリの視線も庭園を見渡す。

言われて初めて気づく――咲き誇るのは、赤ばかりの花。薔薇も、それ以外の花も、全て赤に染まっていた。

その色の深さに、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。


アストレアは指先でそっと花弁に触れたまま、視線を上げずに一呼吸置く。


「赤い花は、王家の血をあらわしている」

アストレアの声が、静かに続いた。


「血を繋げ。宿命を忘れるな――ここは、王であることをわからせる場所だ」


アストレアは、薔薇を見つめたままそっと胸に手を置く。

言葉にはならぬ想いを胸に抱き、ただ深く息を吐いた。


カガリは、はっと息をの飲む。

薔薇を見つめる横顔から、アストレアの心の中を覗いてしまったような気がして、

思わず肩を少し丸め、手のひらをぎゅっと握りしめる。


花弁がひらりと風に舞い、赤い軌跡がふたりの間に落ちていった。


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