第9話『薔薇の騎士』
巨大な黒い蕾が、ゆっくりと花開く。
その中から、黒鉄の鎧に包まれた人影が、ゆっくりと現れた。
黒鉄の鎧に身を包んだ、異形の騎士。
顔は隠され、表情もわからない。
けれどその姿は、確かに“人のような形”をしていた。
地を這う黒薔薇の蔓が、彼の足元に集まり、まるで従者のように揺れる。
その威圧感は圧倒的だった。
「……あれが」
「……薔薇の騎士」
ディルが息を吐くように言った。
それは、まさに伝承に語られる、迷いの森ダンジョンの、最奥のボス。
人ならざる者。
二百年近く前から、人がまともに接触できずも、確かにそこに居続けていた存在――。
その薔薇の騎士が、手にした長剣が振り上げられる。
同時に、地面を這っていた蔓たちが跳ねるように動き出す。
薔薇の騎士が静かに一歩、踏み出すたびに、地面から黒い蔓がうねりながら新しい花を咲かせていく。
「――骨が折れるぞ、こりゃ」
ディルが腰の剣に手を添える。
シャイアは不敵に口の端を上げた。
「……ま、こうでなくっちゃね」
ガロが無言で斧を構え、一歩前へ。
一同が、完全に戦闘体勢へと移行するのがわかった。
背筋を伝う緊張感が、カガリにも伝染する。
地面からうねるように伸びる黒い蔓、
無数に咲き誇る漆黒の薔薇。
その花弁からは、煤のような黒い花粉がふわりと舞い、空気を曇らせていく。
甘くも鋭い香りが鼻をついた。
「赤いやつより……やばそうだな」
「ディル、風を頼む。こちらを風上に」
「了解」
ディルが詠唱する。
すると、ブワリと背後から風が吹き上がった。
黒い花粉が巻き上がり、敵の背後へと吹き流されていく。
「出してる間、俺はここから動けねえ。その分、なるべく広い範囲に風をつくる。風向きはこのまま固定するぞ」
「了解。カガリはディルのそばから離れないで」
シャイアが鞭を構え、ガロに目配せする。
「ガロ、行くよ」
ガロが無言で頷くと、二人は同時に駆け出した。
薔薇の騎士に向かって突き進む。
その行く手を黒蔓が阻む――が、
シャイアの鞭がそれを払い落とし、
ガロの斧が地面ごと砕く。
地響きを上げて砕け散る花と蔓。
薔薇の騎士が片手を掲げると、
それに呼応するように地面全体に再び薔薇が咲き誇る。
黒い花粉が空中に広がるが、
ディルの風がこれを押し戻していく。
「ハッ、いいね、この風!」
シャイアがさらに鞭をしならせる。
その鞭が、蛇のように蔓の間をすり抜け、的確に切断していく。
「蔓は私が処理する。ガロ、あいつ叩ける?」
騎士を睨みながら、ガロは無言で頷く。
斧を構え直し、ガロが薔薇の騎士に向かって走り出す。
その行く手を遮ろうとする蔓を、シャイアの鞭が切り裂いていく。
その連携は、まるで何百回と繰り返してきた舞台のように無駄がなかった。
あっという間に、ガロは騎士の懐にまで肉薄した。
(すごい……!)
カガリは、ただその戦いを見つめるしかなかった。
薔薇の騎士が姿を現したときは、その恐ろしさに押し潰されそうだった。
だが、花粉も蔓も――この人たちは、すべて正面から打ち破っている。
きっと勝てる。
そう思った、そのとき――
薔薇の騎士の背後で、異様に太い蔓が蠢いた。
「――! ガロ下がれ!!」
シャイアの叫びが響くより早く、蔓の影から飛び出したのは――無数の黒い棘。
まるで嵐のように空を裂き、広範囲に飛翔する。
ガロが咄嗟に斧で防ごうとするが、
その一瞬の隙を突くように、薔薇の騎士が斧を弾き飛ばした。
斧が宙を舞い、重く地面に突き刺さる。
防御を失ったガロに、棘が容赦なく降り注いだ。
「ぐっ……!」
「ガロ!!」
シャイアも鞭で棘を弾いたが、完全には防ぎきれなかった。
腕をかすめた棘が、皮膚を切り裂く。
「問題ない……」
そう唸るガロの体には、無数の棘が突き刺さっていた。
血の染みが、服に広がっていく。
「クソッ……どこまでがスキルだ、こいつ……!」
その後ろで、カガリが装置を起動する。
視界に映る棘の断片――
(……あれには、波紋がない)
「棘には、スキルによる状態異常系の効果はなさそうです!」
カガリが告げると、ディルがふっと口元を緩めた。
「それなら、俺の風さえあれば問題ねぇな」
そう言って、ディルは再び詠唱に入り、風の陣を強化する。
背後から吹く風が強まり、花粉の逆流を完全に封じる。
「てことで、状態異常の方は大丈夫だ! シャイア、ガロ、さっさとやっちまってくれ!!」
薔薇の騎士と向き合ったまま、シャイアが右手を高く掲げて合図を返す。
再び鞭を構え、黒蔓の海を駆け抜ける。
ガロも、斧を拾い上げ、黙って立ち上がった。
戦局は――押し返せる。
そう思った矢先。
カガリが装置ごしに見る視界に、異様なものが映りこむ。
薔薇の海全体に広がる細かな波紋群とはまったく別の、
巨大で重々しい波紋――それが、薔薇の騎士の胸元からじわじわと滲み出していた。
(これは……)
波紋の深さが、違う。
何かを押し込め、封じているような重圧――
それはまるで、“波紋”というより“歪み”だった。
(あれも、スキル……?)
絶え間なく呻く魂のような歪み。
見ていると、その歪みに引き込まれそうな気がして、視線を逸らした。
そのとき――
視界の端、ディルの足元に違和感が映る。
地面が、かすかに波打った。
「危ない!!」
カガリが叫ぶと同時に、地面から無数の根が突き上げる。
鋭くしなった根が、ディルとカガリに向かって一斉に伸びてきた。
ディルがとっさにカガリを庇い、背後へ押しやる。
その背越しに、カガリは見た。
ディルが短剣でいくつかの根を切り払った直後――一本の根が、彼の胸元を正確に貫いた。
「ぐぅっ……!」
倒れるように膝をつくディル。
流れ続けていた、空気の圧が失われる。
――風が、止んでしまった。
「ディルさん!!」
膝をついたディルに駆け寄ろうとするも、ディルは震える手を上げてそれを制止した。
額に手を当て、魔法の再詠唱を試みる――しかし、風は起きない。
「……無理だ……集中できねぇ……!」
傷口から大量の血が噴き出していた。
魔法の詠唱には、強い集中力が必要だ。
胸を貫かれた痛みが、ディルのそれを妨げている。
風が止まり、花粉が――戻ってくる。
「風が切れた……!」
シャイアの焦りが、はっきりと声に現れた。
再び舞い始めた黒い花粉が、ゆっくりと戦場に染み込んでいく。
あっという間に、花粉はシャイアとガロを取り囲み、退路を奪った。
「うぐ……!」
ガロが低く唸る。
その腕に、黒い斑点のようなものが浮き出ていた。
皮膚は泡立つように爛れ、腐食が始まっていく。
――黒ずんで、肉が腐るような傷。
……ギルドに運ばれてきた青年と、同じだ。
この黒い花粉は、“肉を腐らせる”スキルだ。
火傷ではない。体内から組織を溶かしていく。
「ガロ……!」
シャイアが声をかけようとしたとき、
チリ、と一瞬、頬に痛みが走った。
「っ……!」
その直後、身体のあちこちから焼けるような痛みが走る。
皮膚の上に、黒く、爛れた模様が浮き上がっていた。
シャイアもまた、黒い花粉に侵されていた。
「クソッ……!」
刹那のうちに、脳裏で選択肢が回る。
討つか、退くか――
このまま留まれば、確実に死ぬ。
――全滅、それだけは避けなければ。
「ガロ!」
シャイアは叫んだ。
「カガリのもとへ行って、《解除》を受けろ。そのまま3人で撤退。
――こいつは……私が引きつける」
一瞬だけ、ガロが振り返る。
逡巡はほんの一拍。
「……すまない」
そう言って、彼は身を翻し、煙のような黒花粉の中を駆け抜けた。
シャイアは、たった一人で薔薇の騎士の前に立つ。
遠ざかる足音を背中で受け、ガロが行ったことを確認する。
「さあ、一対一だ。……付き合ってもらうよ」
シャアは、ピシャリ、と鞭をしならせた。
※こちらの作品は、『カクヨム』でも連載しています。
https://kakuyomu.jp/works/16818622177469889409
カクヨムの近況ノートにて、キャラクターのラフスケッチを描いていくので、
もしビジュアルのイメージに興味がある方は覗いていってください。