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第50話 旅立ち

 ラザラ・ポーリンは、七日間をゴブリン王国で過ごした。


 身体の疲れと傷をいやし、呪文書を勉強しなおすかたわら、新たな国王となったチーグを中心にゴブリン王国が復興しつつある様子も見た。


 デュラモとノトという腹心の部下を失ったが、第三王子ヨーや有力氏族長たちが、少なくとも表面上は友好的であったため、大きなとどこおりなく、リフェティの人々は日常の生活を取り戻していった。


 リフェティの内部を見て回る機会もあったが、ポーリンは地下が縦横無尽じゅうおうむじんにつながったその広大さに大いに感銘を受けていた。まるで、さながら巨大なアリの巣だった。


 多くは素掘すぼりの狭い洞窟であるが、ヤースの崖を含む謁見えっけんの間や、ゴブリンたちの居住区域、そして地下市場などは美しく整備されていて、荒っぽさのなかにも荘厳そうごんさを含むものだった。


 これだけの地下都市を作り上げた大魔法使いヤザヴィの技と、今なお地下空間を拡張しつづけているゴブリンたちの努力に驚嘆きょうたんするばかりだ。もっともノタックに言わせれば、ドワーフの石の王国には遠く及ばないらしいが・・・


 特に彼女が興味を示したのは、淡く黄色に光る夜光石やこうせき・・・青白く光る夜光石はドワーフ王国にもあるそうだが、それもそもそも貴重な代物だ。そんな淡い光をたたえる岩がいたるところにあり、地上からの光が届かぬ地中で明かりを灯しつづけている。これも偉大なるヤザヴイの技のひとつに違いなかった。


 ポーリンは、チーグの好意で、黄色い夜光石をひとかけらもらった。


 人間とゴブリンは、基本的に敵である。今回のように、個人的な特別の絆でもない限りれ合うことはない。チーグとの友情が続くことを願ってはいるが、ここを去れば恐らく二度と戻ってくることはないだろう。そう思いながら、ポーリンは地下王国の威容いようを目に焼き付けた。


 報酬の大金を手にした彼女は、<冒険者の街>リノンに戻り、護衛役となる新たな旅の仲間を数名、募るつもりだった。そして、ノタックとともに<滅びの都>ザルサ=ドゥムを目指す。


 惜しむべき日々を過ごしながらも、その鳶色とびいろの瞳は次第に未来へと向けられていた。





 旅立ちの日、チーグは衛兵とともに西門までポーリンとノタックを送っていった。


 チーグは、背を向けようとするポーリンたちを引き留めるかのように、言葉を投げかけた。


「俺は、閉じていた王国を開き、他種族との交易を再開させるつもりだが・・・なにぶん、ゴブリン王国は閉鎖的だ。この門を出ていけば、おまえたちが再び戻ってくるのは容易ではないかも知れない」


名残惜なごりおしさをかみしめるように、チーグはつぶやいた。


ノタックはうなづく。ドワーフ王国も同様に閉鎖的かつ排他的なので、よくわかるのだ。


 ポーリンはだまってチーグの緑色の瞳を見つめていた。


「王国を外にひらく・・・あなたなら、きっとできる」


 そうして、チーグの肩をぽんと叩いた。


「そして、王国が開いていようが、開いていなかろうが、私たちの友情は永遠に」


 そっとそうつぶやく。


 チーグは、小さな牙を見せながらはにかむように笑った。まるで、いたずら好きの人間の子どものようだ。


「最後に、おまえたちに相応ふさわしい言葉を、送ろう。イザヴェル教国の思想家、マコライの言葉だ」


 チーグは改まって言った。


「『生きている限り、たましいを燃やし続けることはできる。たとえ、いくつになったとしても』」


 そうして、チーグはノタックを見た。


「<最強のドワーフ>になれ、そして何歳になっても、故郷へ戻る夢をあきらめるな」


「・・・感謝申し上げる」


 ノタックは深くあごを引いて、そう答えた。


 そして、チーグの視線がポーリンに向く。


「この言葉ほど、おまえに相応しいものはあるまい」


 そう言ってにやりと笑う。


 ポーリンは小さくうなずいた。


「ええ・・・でもきっと、あなたにも必要。国を治めていくうえで、いろいろと苦労もあるでしょうけど、頑張ってね」


 チーグ、ノタック、ポーリン・・・数奇なえんを得て知己ちきとなった、交わることの珍しい種族の異なる者たち―――彼らの冒険は過去となり、それぞれの未来が始まる。





 声にならないうめき声が、山のふもとの湖畔こはんに響き渡る。


 水面で翼を休めていた水鳥たちが、迷惑そうに飛び立っていった。

 

 フバルスカヤは、今までのみじめな人生の中でもとりわけ惨めな気分を味わっていた。


 サントエルマの森の魔法使いであることを示すローブの左袖は焼け落ち、利き腕である左腕にも重症を負った。そして何より、酔いから覚めたあとの最悪の気分・・・頭痛と胃のむかむかが、敗北感と相まって地獄の底に落ちたかのような情けない気持ちになっていた。


 しかも、彼を助け出し、はるか遠くまで運んできてくれた使い魔の巨大カエルも、戦いで負った傷がもとで死んでしまった。


 十年前、もう失うものなどないと思っていた彼だが、今日この日、再びこれほどの喪失感を味わうことになろうとは、想像もしなかった。


 <酔剣のザギス>も死に、魔法酒の製造に不可欠なエンバの実を手に入れることも、今後は難しいだろう。


 酔いから覚めた現実は、やはりつらみじめなものだった。


「・・・ラザラ・ポーリン」


 その瞳に恨みを宿しながら、彼に屈辱を味あわせた若き女魔法使いの名をつぶやく。


「その名、忘れるものか・・・恨みを、晴らすそのときまで!」


 暗く湿った怨念が込められたうめき声が、再び湖畔に鳴り響いた。


(おしまい:後日譚に続く)

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