第32話 急転
デュラモが戸棚を動かすと、背後の岩壁にぽっかりとした穴があけられていた。
「・・・やられた!」
事情を理解したチーグが、思わずその手で力強く膝を叩いた。
「この部屋の隣は、第三王子ヨーの部屋だった・・・はず。ぬかった!」
チーグは、勝利の美酒が器に入らずこぼれ落ちていく様を想像していた。チーグが父王を助け出すより先に、ヨーが密やかに救出作戦を実行したのだ。
「・・・そういえば、ヨーには<つるはし隊>という、ドワーフ族のように穴掘りが得意な兵たちがいたね」
バレも唇を噛みしめながらつぶやいた。
「どうする、兄さん?」
バレが問い、デュラモとノトの視線がチーグに集まる。チーグはしばらく腕組みをし、右の足をパタパタとしながら考え込んでいた。
「一か八かの勝負に出るしかないな」
チーグの緑色の瞳には、覚悟が宿っていた。
「ヨーの部屋を通って、謁見の間まで行こう。そこで、リフェティのゴブリンたちに呼びかける」
時を同じくして、牢の外側では、ザギスがその驚くべき報告を受けていた。
第三王子のヨーが父王の救出を宣言し、ホブゴブリンたちの駆逐をうたって兵を出動させたという報告だ。
「ほう」
ザギスは意外そうな表情を浮かべつつも、どこか面白がるような素振りでつぶやいた。第三王子ヨーは、彼との”同盟”を早くも裏切ったということだ。
「どいつもこいつも・・・これは 、ゴブリンどもを侮りすぎていたか?」
そのとなりでは、ダンが落ち着きなさげに身じろぎしていた。
「馬鹿な・・・リフェティの内部で戦闘になれば、一般市民にまで被害が及ぶ」
「おっと」
ザギスは皮肉っぽくつぶやいた。
「それ、おまえが言うかね」
「・・・あんたは、どうするつもりだ?」
「そりゃ、迎え撃つまでさ」
ザギスは周囲の兵たちの何名かを指さした。
「リフェティ内部のホブゴブリン兵は限られている。おまえたち、西門に待機させている本隊を至急呼び寄せろ。俺たちは時間を稼ぐ」
「はっ」
ホブゴブリンたちは神妙な表情でうなずくと、その場から駆け去った。
「ヨーたちは、リフェティ内部を知り尽くしている。全軍で来られたら、持ちこたえれないぞ」
ダンはすがるように言った。
ザギスは舌打ちをして剣を抜き、ダンの喉元に剣先を近づけた。
「・・・ダンよ。おまえ、いったいどっちの味方だ?」
「俺はただ古き良き―――」
「ゴブリンの伝統を守りたい、か」
ザギスが不思議な重さを持つ甲高い声でかぶせて言う。
「甘ったれるな、お前はもう引き返せねえ。覚悟を決めろ」
黄色い瞳に残忍な光が宿る。普段はおどけた素振りをしているが、これがザギスの本性だ。ダンはそれを全身で感じていた。同意せねば、この場で殺されるだろう・・・
「分かった」
ダンは両手を挙げ、降参の素振りをした。
ザギスは剣を引っ込めずに、鋭い視線を向け続けている。
「おまえは、俺たちが勝つために知恵を絞れ。リフェティ内に、おまえに味方する者はどれくらいいる?」
「・・・まあ、多少は」
「そいつらのケツを叩け!俺たちの勝利に貢献しろ。そうすれば、おまえの望みは叶うだろう」
ザギスはそこまで言って、ようやく剣を下げた。
ダンは背に冷や汗が流れるのを感じながらも、一つ大きく息をついた。
「分かった・・・全氏族に呼びかけるには、うってつけの場所がある。謁見の間だ」
「よし」
ザギスは剣をさやに納めた。
「そこへつれて行け」
そう言ってから、ふと思い出したように付け足した。
「そうそう、そういえばあれだ、俺が言っていた俺たちの“切り札”。それを使うことになりそうだぜ」
そう言ってから、少し気持ちに余裕ができたのか、再びにやついた表情を浮かべた。
ラザラ・ポーリン サントエルマの森の魔法使いの見習い。失われた魔法の探索の旅の途中、ゴブリン王国の王位継承をめぐる大冒険に巻き込まれる。
チーグ ゴブリン王国の第一王子。人間たちの知識を得て、王国への帰還を目指す。第三王子ヨーと、有力氏族の次期氏族長ダンに命を狙われているため、極秘裏にゴブリン王国に潜入する。ザギスとヨーを出し抜き、密かに囚われの父王を救出する手はずだったが、すでにヨーに出し抜かれていた。
ノタック 放浪のドワーフの戦士。双頭のハンマーを使いこなす古強者。<最強のドワーフ>を目指している。
デュラモ チーグの腹心のゴブリン王国の親衛隊長。
ノト チーグの身の回りの世話をする従者。
バレ ゴブリン王国の第二王子。病弱で身体が弱い。よく面倒をみてくれていたチーグを慕っていると言われている。チーグが持ち帰った薬により、体調は良化した。
<四ツ目> 四つの目玉を刺繍した眼帯で右目を多う歴戦の傭兵。ヘルハウンドを使役する強力な魔獣使いでもある。誰が真の雇い主か不明であったが、バレが大金で雇い、裏切り者のダンに接近させていた。
ダン 古き良きゴブリン文化を愛する保守的な次期有力氏族長。チーグを敵視し、ザギスに力を貸す。
ヨー ゴブリン王国の第三王子。自ら王になろうとする野心を隠さず、軍を掌握して西門――――通称<岩門>に陣を構えていた。
ザギス 遠くゾニソン台地からやってきたホブゴブリン軍の主。<酔剣のザギス>の異名を持ち、現在ゴブリン王国を占領している。