デパーチャー ~旅立ち~
いよいよフィナーレです。
お楽しみください。
つぐみの剣が煌めく。眩い太陽の如く。
俺の槍が揺らめく。幾千もの幻影を重ねるように。
いま俺たちの神器は、その本領を発揮した。
「まったく……。こっちがとっておきを出したら、すぐさま対抗してそれ以上のものを出してくる……。ほんとーに嫌な人ですね、あなたって人は」
俺たちの変貌した剣と槍を見て、水瀬は忌々しそうに呟く。
そして何か吹っ切った表情を浮べ、ヴァルキリーたちを見つめる。
「行け、戦乙女たち。ありったけの力を敵にぶつけろ!」
剣を、槍を、斧を、武器を握り締め、ヴァルキリーたちが迫って来る。
ヴァルキリーたちの動きが変わった?
洗練された舞うような動きから、猛々しい猪武者のものに変化した。
パラメータを攻撃に全振りし、防御無視の歪なものに。
サッカーの試合で、終了間際にキーパーが攻撃参加するようなもんだ。長続きしないぞ。
なにか焦りのようなものを感じる。
訝しむ俺に、怒涛の攻撃が迫って来た。
俺は紙一重で攻撃を躱し、無防備な襲撃者に槍を繰り出す。
彼女たちは成す術もなく槍の餌食となる…………はずだった。
槍は…………通らなかった。
固く、輝く、七層の膜が、彼女たちを覆っていた。
「アイアス7層の盾!」
水瀬が持つ最強の盾。
だがこんな強力な術が、術士から離れ、こんなに沢山展開することが可能なのか。
釈然としないものがあった。
「おらおら、いけ――。ケツは私が持ってやる――」
水瀬は威勢のいいセリフを飛ばす。だが、その瞳から血がしたたり落ちていた。
どう考えてもキャパオーバーだ。……あいつ、無茶してやがる。
「兄さん……」
後ろに居たつぐみが、俺の腕をぎゅっと握る。
「わかっている」
みんな分かってるよ。水瀬の現状も、お前の気持ちも。
仕方がない。ちょっと無理をするか。
俺は腹を括り、槍を構える。
九人の戦乙女が襲って来た。
怖れるな、剣や槍で切り刻まれることは怖ろしくない。
真に怖ろしいのは、こいつらを失うことだ。
俺は全神経を集中し、敵の攻撃を見極める。
見える。軌道が見える。思惑が見える。
反撃するでもなく、躱すわけでもなく、ただ前進するだけで、その結果として敵の攻撃は俺をすり抜けていった。一切の無駄のない、奇跡のような動きだった。
目標が、見えた。
水瀬が正面から、分厚い『アイアスの盾』ごしに睨みつけていた。
あと一歩だ。俺は座標計算をする。
「ここだっ」
悪いな、水瀬。お前の得意技を使わせてもらう。
俺は空間を跳躍した。
跳躍先に見えたのは、水瀬の背中だった。
「穿て、『ロンゴミニアド』!」
俺は槍で水瀬の背中を突く。
槍はアイアスの盾に弾かれることなく、水瀬の躰に食い込んでゆく。
躰から血しぶきがあがった。
水瀬は膝を着き、それでも気丈に俺を睨みつける。
「堪えて、まお! ここを乗り切れば、きっと再生できる!」
水瀬は己の内に巣食うまおに呼びかける。
「こっからが本番だ! 暴れろ、モードレッド、ジョチ、みんな……、闇を喰らいつくせ!」
穂先から、巨大なエネルギーが流れだす。みんなの魂だ。
それは水瀬の体内に潜り、すべてを破壊した。
「ぐおおっっ――」
水瀬が悲鳴をあげる。
アイアスが、災いした。
強力な盾は暴走する力を外に逃がせず、水瀬の体内を破壊しつくした。
水瀬の躰はひび割れ、エネルギーが崩壊し始めた。
「今だ、つぐみ!」
俺は合図を送る。
つぐみは神剣を振りかぶり、水瀬に振り下ろす。
「お願い、ちづ。水瀬を救って!」
神剣は水瀬を断ち切る。
まおと水瀬が分かたれた。
まおである黒い塊が砕けてゆく。
力を失い、消えてゆく。
「まおー、消えちゃだめ――!」
水瀬はそのひとつをしっかりと掴み抱きしめる。
それは最後の力を振り絞るように震え、水瀬の躰へと吸い込まれていった。
水瀬は崩れ落ち、天を見上げ、涙を零す。
絶望の縁に水瀬は居た。
暫くの静寂の後、水瀬は俯いたまま問いかけてきた。
「なんで背中を狙ったんですか……。なんで分かったんですか……」
なんでこんな事になったんだろう。そんな気持ちがこぼれていた。
「ヴァルキリーに関する逸話があっただろう。ヴァルキリー頭目の恋人、竜殺しの英雄の話だ。竜の血を浴び不死身の躰となったが、一か所だけ血を浴びなかった場所がある。……そこを、突いた」
水瀬は目を見開き驚愕の表情を浮べる。
「賭けだった。しかしそんなに分の悪い勝負とは思わなかった。時空は複雑に絡み合っている。残されている伝承は異世界での、または未来での予言である可能性が高い。……実際、そうだっただろう」
ばたんと水瀬は倒れた。
「私たちは神さまの玩具ですか……」
水瀬、それは違う。神さまも、運命の玩具なんだ。そう言ってやりたかった。
だが思いは言葉にならず、無言の時が流れる。
「今度はこっちの質問に答えてもらうわよ、水瀬」
静寂を打ち破り、つぐみが近づいて来た。
「あなたは、なにがしたかったの?」
つぐみの問いに、水瀬は沈黙をもって答える。
「……そう、嫌でも吐いてもらうわ」
つぐみは剣を逆手で持ち、剣先を水瀬に向ける。
横たわる水瀬に対し、垂直に剣が延びている。
つぐみはその剣を、迷いもなく水瀬へと振り下ろす。
剣は、水瀬の眉間へと到達した。
水瀬は何の感情も見せず、静かに目を閉じた。
死を、受け入れた貌だった。
しかし、思惑は外れた。剣は眉間で止まり、体深く突き刺さらなかった。
水瀬の覚悟は無に帰した。
「なんの真似です?……」
なぜ殺さない。どういうつもりか。そんな疑念が込められていた。
「ちょっとあなたの記憶を覗かせてもらうわ」
剣の柄から、大きな球体が浮かんでくる。
そこに、ある光景が映し出された。
それを見た瞬間、水瀬は叫んだ。
「やめて! 見ないでぇ――」
水瀬の願いは叶えられること無く、映像は動き出した。
◇◇◇◇◇
暗闇の中、草深い山中を、多くの人間が走っていた。
水瀬が、いやナミが闇を駆けている。隣にはヤクモが併走していた。
「間もなく『伽陀院法華三昧寺』に到着します。ちづ様の御遺体は文殊菩薩像の中に収められ、拝殿に安置されている模様」
唇を噛みしめ、ヤクモは苦々しく言う。
「闇が我らの姿を隠してくれます。太陽も月も見ていません。天が残虐非道の悪鬼羅刹を庇護しようと、今宵ばかりはその恩寵も届きません。地に生きる我らの牙を突き立てましょう」
ナミはこくりと頷く。
境内に侵入した。
ナミたちは闇にまぎれ、進んでゆく。
境内に入ってすぐである。只ならぬ妖気を感じた。
敵か! 思わず身構える。ここで見つかるのは不味い。拝殿まではまだ距離がある。
だが周囲には誰もいない。無人の境内の中、妖気は小さな池から漂っていた。
「『鬼首洗池』です。頼光が大江山の鬼退治をした際、この池で鬼の首を洗ったと聞いています。恐らくその鬼の念が残っていたのでしょう」
ヤクモはほっとした声で言う。
今は物の怪よりも、敵との遭遇が怖ろしい。
「鬼、ですか。異民族の、朝廷に従わない山の民……。私たちも鬼の仲間なんでしょうね。そして鬼相手なら、どんな残虐なことも許される。そんな世界なんですね、ここは。私たちには神の加護は与えられない……」
ナミの声は冷たく、諦めに満ちていた。
「いっそ洗わず、血塗れのまま、おのれの所業をそのままに飾ればいいのに。血と肉の腐臭に塗れた祭壇こそ、あいつらには相応しい」
復讐の気持ちを一層研ぎ澄まし、拝殿へと向かう。
「賊だ、出合え! 出合え! 」
拝殿の警備は厳重だった。侵入してすぐに警備の武士に見つかった。
ナミたち20人に対し、100人余りの武士が駆けつけた。
「敵がいくらいようが関係ありません。狭い室内では数の利は活かせません。敵を壊滅する必要はないんです。目標を確保後、速やかに離脱。一人でも逃げ延びれば、目的達成です!」
「応ぅ――」
男達の貌に、悲壮感はなかった。
寧ろ、『死に場所を得たり』と云う晴れ晴れとした貌をしていた。
みんな、里の虐殺で愛しい人を失っている。
『待ってろよ、いま行くからな』、そんな表情をしていた。
死を怖れない兵ほど恐ろしいものはない。
頼光一党は、それをを思い知らされる事となる。
◇◇◇◇◇
草深い山の中、少女は里へと登る道を眺めていた。
「ととさま、ナミさん、まだかな。今日帰るっていってたのに。おみやげ、楽しみだな」
少女はきゃっきゃと飛び跳ね、言いつけ通り里の境界から出ずに、愛しい人たちの帰りを待っていた。
日が暮れてきた。茜色に染まる山道を、一人の男が進んでくる。
ヤクモだった。他には誰もいない。大事そうに小脇に荷物を抱え歩いてくる。
ヤクモ一人が先に帰ってきたのだろう。
他に誰もいない。怒られることはないだろう。
そう思った少女は山道を走り里の境界を超え、父を迎えに行った。
「お帰り、ととさま。ナミさんはどうしたの? あとから来るの?」
いつものように、力一杯ヤクモの胸に飛び込む。
いつもなら優しく自分を抱きしめるのに、ヤクモは立ちつくしたままだ。
ざわり、心が騒いだ。なにかが、違う。いつもと、違う。
そして気が付く。自分の手がぬるぬるしていることに。
恐怖に襲われながら自分の手を近づけ、じっと掌を見る。
手は真っ赤に染まっていた。
山の谷に、少女の悲鳴が木霊した。
自分が知らない内に怪我をしたのかと思った。
だがそうではない。自分は怪我をしていない。
夕焼けで赤く染まっていたかに見えた父が、身体中から血を流していた。
「ととさま、大丈夫? 痛くない? どこか怪我したの?」
恐怖に駆られながらも少女はその小さな手で父の腕を握り、必死で呼びかける。
ヤクモはその手を優しく払い、少女の肩にそっと両手をそえる。
「いいかい、まお、よくお聞き。ナミさんはもう帰ってこない。遠いところへ行ったんだ。……そして私ももうじきそこへ行く。お前はこれから、一人で生きなければならない」
優しく、諭すようにヤクモは語る。
「いや、いやぁ――。まおもそこに行く。ととさまとナミさんと一緒に行くぅ――――」
まおは朧気ながらもその意味を解っているのだろう。それでも一緒に行くと叫んでいる。
「まお、それは許されないんだ。お前にはやらなければならない事があるんだ」
ヤクモは哀しそうにまおを見つめる。
「これをごらん。ナミさんが、お前に残したものだ」
ヤクモは抱えていた包みをほどき始める。
小さな箱だった。ヤクモは両手を合わせ、何かを唱え、厳かに蓋を開けた。
何なんだろう。まおは箱の中を覗き込む。中身が顕わとなった。
ヒッ。まおは声にならない声をあげる。
真の恐怖は、悲鳴をあげることさえままならない。
「『ちづ』さまだ。私たちの里の守り神、『神子』であらせられる『ちづ』さまだ」
箱の中には草のクッションにくるまれた、ちづの木乃伊が鎮座していた。
「『ちづ』さまに手を当ててごらん。そうすれば、ナミさんの最期の言葉が聞こえる」
こんな恐ろしい物に触れるなんて。まおは恐怖に震える。
だが愛しいナミさんに会えるなら。まおは意を決した。
思慕の情が、異形への恐怖に打ち勝った。
まおはそっとちづの木乃伊に触れる。
その瞬間、違う景色が映し出された。
◇◇◇◇◇
「目標確保! これより脱出に移ります」
絢爛な社の中で、戦闘が行われていた。
武装を整えた武士の一団と、如何にも農民といった粗末な身なりをした一団だった。
「ナミさん、脱出しましょう。『ちづ』さまは持ちましたね。護衛しますので、私たちに構わず逃げ延びて下さい。それで里の未来は開けます!」
興奮した声でヤクモは叫ぶ。
「ごめんなさい。その役目はヤクモさん、あなたにお願いします」
哀しそうな目でナミは言う。
「しくじっちゃいました。里まで生きて帰れそうもありません」
ナミの腹に、大きな切り傷があった。
血が、どくどくと流れていた。
「バチが当たっちゃたんでしょうかね」
ふっと天を見上げる。
「私がちゃんとしてたら、こんな事にならなかったかもしれません……」
遠い目で、遥か彼方を見つめる。
「私の責任なんです。私がちづちゃんに神様の力をしっかり引き渡さなかったから、ちづちゃんは神様の力を十二分に使えなかった……。私のせいなんです」
これまでずっと隠していた気持ちを吐露するみたいに、ナミは言葉を紡ぐ。
「もしあの宵闇の日、私がちづちゃんに神様の力を全部引き渡せていれば、歴史は変わっていたかもしれません。ちづちゃんの神様の力で頼光一派を撃退して、里は全滅しなかったかもしれない。ミズホさんも死ななかったかもしれない。もしあと少しでも私が上手くやってちづちゃんに渡せていたら……。そう考えない日は、一日たりとありませんでした」
これは、懺悔であった。
自分の罪を告白し、相応の罰を与えて欲しい。
そんな気持ちの発露であった。
「恨んでませんか、私を……」
ヤクモは頭を横に振る。
「あなたは自分の務めを果たした。立派な神子です!」
ヤクモの言葉に、ナミは救われたような微笑みを浮かべる。
「ちづちゃんに、私に残っていた神の力をすべて込めました。まおちゃんに、このちづちゃんの躯を渡してください。これであの子は、本物の『神子』となれます。……伝えてください、『期待してます』と。……そして『大好きよ!』と」
もう目は見えていないのだろう。
虚空を見つめ、それでもしっかりと何かを見据えていた。
「渡します! そして伝えます! 私の命に代えても!」
その言葉に安堵したのか、ナミはにっこりと笑い、静かに目を閉じた。
◇◇◇◇◇
「伝わったか、ナミさんの気持ち……」
ヤクモの声は掠れ掠れとなってゆく。
躰から、命の灯が消えかけてゆくのを感じる。
もう限界は近いのだろう。
まおは震えている。受け止められないでいる。
愛する者の死を。その末期の願いを。己にかかる重圧を。
「立派な……神子に……なってくれ」
優しい瞳で、切なさそうな声で最期の言葉を残す。
「ととさま――――――――っ」
少女は絶叫した。
呪った。儚んだ。悲しんだ。
優しい幸せな時の、終焉の合図だった。
一頻り泣いた後、少女は目を据え、口を一文字に結び、空を見上げる。
手にはちづの木乃伊を抱えている。
すうっと息を吸い込み、目を見開き、意を決したように木乃伊を胸に押し当てる。
ずぶりっと木乃伊はまおの胸にめり込んでいく。
木乃伊から八本の管が飛び出した。
管は触手のように蠢き、まおの躰に突き刺さる。
激痛に、まおの躰はのけ反る。
だが悲鳴はあげない。まるで罪を背負うように、痛みを受け入れていた。
管はズルッズルッと躰の奥深くまで浸食してゆく。
ここに三代に続く怨念に結ばれた、『黒い神子』が誕生した。
◇◇◇◇◇
悲劇の映像は、終わった。
これはおそらく、まおからナミへ、そして水瀬へと流れていった記憶だろう。
「私のせいなんですよ、まおがああなったのは。そんな私が、あの子を殺せる訳がないじゃないですか……」
水瀬は声を嗄らし、呻くように涙混じりの言葉を紡ぐ。
ナミと水瀬は別人だ。だが密接に繋がっている。感情も記憶も共有しているのだろう。
「お前、最初っから死ぬつもりだったのか……」
こいつの性格から導き出される結論を述べる。
「……私に、お姉さまは殺せません。無理ですよ、そんなの……」
まおを殺せない、つぐみも殺せない。そうなると自分を殺すしか道はない。
こいつはそこまで追いつめられていたのか。
「今、まおのブラックホールは私の躰に封じられています。私ごと、消滅させてください。……まおと一緒に、逝かせてください」
切ない、望みだった。もはやこれしか救いはないと言わんばかりの。……どうすればいいんだ。
立ちすくむ俺の横から、つぐみが前に出た。
「なに馬鹿なことを言ってんの。そんなの、認められる訳がないでしょうが。あなた、私との約束を破るつもりなの!」
つぐみは烈火の如く怒りの炎をあげる。激しく、熱く、優しく、思いやり深く。
「約束したわよね、あの雪の日に。『いつまでもそばにいます。たとえ世界が終わっても、決してあなたのそばを離れません』って」
ひとつの情景が目に浮かぶ。
冬の雪道、傷つき、心折れ、途方にくれる少女。それに寄り添うもう一人の少女。
お互いの存在は大きく、別ちがたいものとなっている。
「『この命ある限り』って約束だったと思うんですけど……」
水瀬は控え目な抗議の声をあげる。
「そんな特記事項、認めません! あなたは永遠に私から離れちゃ駄目なの!」
こいつはとんだ暴君だったみたいだ。
「時を巻き戻すことは、それまでの歩みを否定すること。人の想いを踏みにじることよ。塗り替えるなら、未来を塗り替えなさい。そこで、やり直しましょう。私と一緒に……」
つぐみは水瀬の手を取る。
水瀬は涙を浮かべ、縋るようにつぐみを見つめる。
「赦されるのでしょうか、私は。まおを救えず、世界を闇に陥れた私が。未来を生きても、いいのでしょうか…………」
「赦されるから生きるとか、赦されないから死ぬとかじゃないでしょう。赦されなくても、生きなきゃいけないのよ、償わなきゃいけないのよ。その結果でしょ、赦されるとかは。私も一緒に償ってあげる。だから……」
二人はもう何も言葉を発しなかった。
ただ抱きしめ合い、震える魂を温めあった。
◇◇◇◇◇
「えらいお腹、大きゅうならはりましたな」
柚月が優しく声をかける。
「予定日は二か月後ですけど、双子ですから」
つぐみがお腹を愛おしそうに擦り、答える。
「二人も名前を考えるのは大変じゃろ。儂が名付け親になってやろうか?」
鼻息荒く、ナギがつぐみに詰め寄る。
「やめて下さい。ナギさまのネーミングセンスは壊滅的なんですから。産まれてくる子が可哀想でしょ」
西條がナギの襟首を掴み、つぐみから引き剥がす。
「せっかくですけど、この子たちの名前はもう決めているんです。兄さんと二人で決めました」
つぐみは極上の笑顔で俺を見つめる。
「え――。名前教えてくれる?」
西條が嬉しそうに飛び跳ねる。
「はいっ。一人は――――。もう一人は――――」
桜の花びらが舞っている。
これまでの苦難を癒すみたいに。
新しい命の誕生を祝うように。
◇◇◇◇◇
暗闇に浮かぶ六角のパネル群に、幸せそうな光景が映し出されていた。
新たな命の誕生を待ちわびる夫婦。
それを祝福する仲間たち。
恋いこがれた幸せが、そこにあった。
それを見る俺の目に、思わず涙が流れた。
涙と云うのは、悲しい時以外にも流れるものらしい。
「いいのかい、あの世界に残らなくて。何千年もの時をかけ、何千もの世界を渡り歩き、やっと勝ち取った未来じゃないか。君にはそれを謳歌する権利がある。他の世界を救う旅に出る責任は無いんだよ」
そんな俺に、痛ましそうに声をかける男がいた。
黒づくめの、あの男だった。
「いいよ、それはあの世界の俺に任す。あいつも俺と一緒の存在、分離した俺なんだろう」
「それはそうだが……。それでもあんな苦労をしたのに……。それじゃ余りにも君が報われないじゃないか」
「俺は自分のやりたい事をする。それだけだ。この世界だけじゃないんだろ、破滅の危機にあるのは。俺の子どもが苦しんでいるのは。それに目を瞑り、のうのうと幸せに暮らすなんて、俺には出来ない」
ふうっと男は深い溜息をつく。
「決心は固いようだね。今の世界と決別し、新世界に赴くのに」
「ああ、こいつがいれば、どんな世界でもへっちゃらだ!」
俺は横にいたつぐみを抱きしめる。
「つぐみさんもそれでいいの?」
「どの世界にいようと変わりありません。兄さんが居る所、それが私のベストプレイスです!」
つぐみの言葉は、俺の胸に深く突き刺さる。
なんて幸せ者なんだ、俺は。
「つぐみ!」「兄さん!」
二人はひしっと抱き合う。
「はーい、ブレイク、ブレイク!」
横からにゅっと二本の腕が伸びてきて、俺とつぐみを引き剥がす。
「まったく、何かにつけてくっ付こうとするんだから。油断も隙もあったもんじゃない」
プンプンと、青筋たてた水瀬が俺たちの間に割り込んできた。
「言っとくけど、私の目の黒いうちはキャッキャウフフさせませんからね」
「本当にお前も付いてくるのか……」
俺とつぐみには新世界に向かう理由がある。異世界の我が子を救うという理由が。
だが水瀬には……。
「なーに言ってんですか。私にもお姉さまを守り、あわよくばモノにすると云う立派な理由があります」
前言撤回! 下心満載の理由があった。
俺たちのやり取りを、男は優しく見つめていた。
「改めてお礼を言わせてもらう。我が名のもとに。我が名は――」
男の改まった物言いに、俺はぷっと吹き出す。
「いいよ、そんな大層な真似は。大体お前は、ひとつの名前で表せるような存在じゃないだろうが」
「気づいていたのか……」
「そりゃ、こんな分かりやすいヒントがあったんじゃな」
俺は拳を握り、コツンと六角のモザイク群を軽く叩く。
「こいつもお前の兄弟なんだろう?」
無限に続く異世界の集合体。
装置ではなく、ひとつの生命体。
「正確には兄弟の子ども、甥っ子だけどね」
「……剣斗さんも、お前たちの一族なのか?」
「本人は気づいてないけどね。……いずれ迎えに行こうとは思っている」
俺は少しだけ、ほっとする。
自分だけが悠久の時を生き、愛する者が次々と去ってゆくのを見送るのは、辛い。
同じ時を生きる仲間を得るのは、どんなに救いになるだろう。
「師匠って神さまだったんですか――。すご――」
脳天気に水瀬が叫ぶ。
「なに言ってんの。芽衣さんだって僕たち一族の末裔だろ」
「「へっ?」」
思ってもみなかった言葉に、俺と水瀬は間抜けな声をあげる。
「そっちは気がついてなかったのか……。大体おかしいだろ、あんなに剣斗の言葉が分かるなんて。一族の血を引いてなければ、出来っこない」
そうか、言われてみればそうだ。まてよ、ということは……。
「彼女は、樹さんとつぐみさんの子孫にもあたるね!」
俺の思考を読み、してやったりと悪戯が成功したみたいな顔をする。
俺は水瀬を見つめる。
てめえ、シスコンじゃなくマザコンだったのかよ。
「さあ、出発だ。僕の兄弟たちも見送りに来たみたいだ」
男の後ろに、異形の神々がぞろぞろと集まって来た。
剣斗さんが、まだまともに見える風貌だ。
だが彼らからは温かい心と、俺たちに対する感謝の念が伝わってくる。
彼らがいる所から、澄んだ笛の音が聴こえてきた。
アイルランドの音楽みたいな、透明な優しい音色だった。
俺たちの旅立ちを祝福する唄なんだろう。
優しさが、沁みて来た。
彼らの目が、色とりどりに光っている。赤、青、緑……サイリウムみたいに。
彼らに見送られながら、俺たちは旅立つ。
「夢、叶っちゃいましたね。覚えてますか? あの埠頭で、花火の下で、話した夢を……」
再会したばかりの、まだ手探りで歩み寄っていた頃の出来事を思い出す。
「子どもや孫たちに見送られながら、世界一周の旅に出る。……叶っちゃいました」
「神々に見送られながら異世界に旅立つ……。随分とアップグレードしたな……」
あれから長い年月が過ぎた。沢山の世界を漂ってきた。
辛かった。心が挫けそうになった。……だが、耐えることが出来た。つぐみがいたから。
これからも、どんな事があろうと乗り越えていける。つぐみと一緒ならば。
俺は肘を曲げ、軽く横に突き出す。
つぐみはその腕の内側に手を添える。
歩幅を揃え、一緒に歩きだす。
目の前に、光の絨毯が広がっていた。
横のつぐみを見つめる。
「永遠に、一緒だ……」
つぐみはコクリと頷く。
俺たちの、長い旅が始まった。
~FIN~
最後までお読み頂き、誠にありがとうございました。
この作品は、初めて書き上げた長編になります。途中何度もくじけそうになりましたが、皆さまの応援で完走することが出来ました。改めてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。
この作品は終わりましたが、新作『生霊となったクラスの女子が、僕のパンツから這い出て来た』を始めました。こちらも可愛がってください。
最後にもう一度、8か月間にわたる応援、本当にありがとうございました。