表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

94/98

黄泉比良坂

大地が、空が、横倒しになっていた。


平らな地面に乗っていた土砂が轟々と音を立て、横へと落ちてゆく。

足元に星空が広がっている。

重力が、狂っていた。


「気をつけろ。足場が脆くなっている。滑らすなよ」


「兄さんこそ大丈夫ですか? その槍だと大変でしょう」


俺たちは氷壁を登攀(とうはん)する時にピッケルを打ち込むみたいに、神剣と神槍を突き立て崖と化した地面を降りて行く。


「……急ごう。時の流れが遅くなってきてる。まごまごしてると外の世界であっという間に時が過ぎ、帰ったら何百年も過ぎてましたって笑い話になりかねない」


俺たちが向かっているのは、まさしくブラックホールだった。光も時も脱出できない常世(とこよ)の世界。時が止まり、生あるものは存在しない、死の國だった。


「絶対に、その剣を離すな。それは……命綱だ」


この神剣と神槍は、俺たちを大地に留めているだけではない。

狂った物理法則の中でこいつらが壁となり、歪んだ法則から守ってくれている。

俺たちが命を失わず、行動できる理由。それがこの神剣と神槍だ。

こいつらは異世界とのパイプでもある。異世界と繋がり、狂った因子を中和してくれる。

もしこいつらを手放したら、たちどころに押し潰されてしまうだろう。


俺たちは慎重に、大地を降って行った。




慎重に慎重を重ねていた筈だった。

だが悪意の落とし穴は、あちこちに掘られていた。


それは、突然起こった。

つぐみが剣を突き刺していた所が、10メートル四方ぐらいまとめて大地から外れ、落下を始めた。

つぐみには、()(すべ)がなかった。

俺の槍ならば、再び大地に突き刺し、留まる事が出来る。

だがつぐみの剣は、そこまでの長さが無い。

巨人の手に摑まれ引き寄せられるように、つぐみは暗闇に落ちて行く。


「つぐみ――――」


俺は声を張り上げ、突き刺した槍を抜き、大地を強く蹴り上げ、駆け下りていった。

「もう二度と、失ってたまるか」――切り裂かれるみたいな心の痛みと、言いようのない喪失感を思い出しながら。


堕ちているのか、駆けているのか、最早わからない。

ただ、つぐみの姿が段々と近づいてきた。

俺は残された力を膝に込め、ダンと蹴りだす。


「兄さん!」


つぐみの呼ぶ声が、俺を後押しする。

もう少しだ。俺は腕を限界まで伸ばす。つぐみも思いっきり手を伸ばしてくる。

――届かない! あと数センチなのに。


「頼む! 届いてくれぇぇ――」


悲鳴をあげる俺の手に、ぱしっと何かが当たった。


剣の――()だった。

ちづの魂が宿る、神剣の柄だった。


剣の反対側を、つぐみが握っていた。

鋭い刃先を握りしめ、その手の平から血を流しながら。


「…………馬鹿野郎!」


俺は柄をしっかりと握り、つぐみを引き寄せる。

胸元におさめ、両腕で抱きしめた。


「無茶をするな……。自分の身体をもっと大切にしろ……」


「だって兄さん、私がいなくなったら生きていけないでしょう。それを思えば腕の一本や二本……」


「…………馬鹿…………」


血塗れの手と、涙塗れの顔で、俺たちは深く深く抱き合った。






「兄さん、そろそろ落下を止めないと」


女性の方が男性よりも、現実主義者(リアリスト)なのかもしれない。

感動の余韻に浸る(ロマンチスト)に、なすべき事をいってきた。


「わかった。しっかり摑まってろよ」


俺は振りかぶり、槍を大地に深く突き立てる。

刺さった槍は大きくしなり、二人の体を受け止めた。

槍を持つ右腕に、靭帯を引き千切るみたいな衝撃が走る。

つぐみを左腕で抱えているので、一本の腕にすべての負荷がかかる。

だが、構うもんか。腕の一本や二本、なんてことはない!


「頼む、モードレッド! 俺の腕が千切れようと、つぐみを繋ぎ止めてくれ!」


俺は神槍に祈りを捧げた。願いが叶うなら、俺の身体なぞ持っていけ。そんな気持ちだった。


神頼みをしてあとは良しなにと云うみたいに、無責任ではない。

これだけ犠牲を払うから願いを叶えろと迫る程、甘えてはいない。

ただ、守りたい。こいつの命の前では、俺の存在など些末な事だ。命の天秤は、大きく傾いている。そう、素直に思えた。


願いは、叶うものだ。心の底から願うなら。願いを叶えるために、何かをせずにいられないのだから。


槍は力強く突き刺さっている。俺のつぐみへの執着を表すみたいに。

押し寄せる激痛の波の中、腕の中に在るつぐみの温かさが、幸せな心持ちにさせた。






「なーにやってんですか。守れないなら、お姉さまを返してもらいますよ」


頭上から、呆れたみたいな声が降ってくる。

宙に浮き、俺たちに近づいて来る人物がいた。


「どうやってここへ来た? 装備もなしで来れる程、生易しい場所じゃないぞ、ここは」


平然と降りてくる水瀬に、疑問の声をあげる。


「これをガメてきました」


水瀬は懐から何かを取り出す。黒光りする、八本の小刀が現れた。

雷豪が使っていた童子切だ。


「重力子を操作する補助道具になるんですよ、これ。いやーいいもんゲットしました。クネクネと蛇みたいに飛んできて、捕まえるのに苦労しましたけど、その甲斐がありました」


カラカラと水瀬は笑う。

俺たちは苦労して階段で降りてきたが、お前はエレベーターか。

理不尽と云う言葉が頭をよぎる。




「雷豪は……どうした?」


俺の問いに、水瀬の笑顔はすうっと消える。


「逝きました……ヴァルハラに……」


その言葉で、すべてが察せられた。


「あいつね、最期の最期まで、まおの事気遣ってました。……執事の(かがみ)です」


虚空を見つめ、細い声で、思い返すみたいに言葉を紡ぐ。

しばらくの沈黙のあと、唇を噛みしめ、水瀬は言った。


「さあ行きましょう。聞き分けの無い駄々っ子を、お仕置きに!」


俺たちは狂った重力の中心へと、歩を進めた。






中心への歩みは、順調だった。

水瀬の重力操作のお陰で宙に浮き、高重力に圧し潰されること無く、まおへと近づいていった。




周りの色が、ねっとりとした漆黒に変わってくる。

昏く、生気が失われた闇の色だった。


すべてが吸い込まれるその先に、一匹の蜘蛛がいた。



蜘蛛の姿は少しずつ小さくなってゆく。

今や人と同じくらいの大きさまで縮んでいた。

八本あった脚も、腕、足の四本となっている。

そして残り四本はその形を変え、四枚の黒い翼を広げていた。


全身は黒い西洋風の鎧に覆われている。

オープンフェイスの兜から、まおのあどけない顔が覗いていた。

胸当(むねあて)には、ちづの木乃伊(ミイラ)の貌が浮き上がっていた。


異界の魔王を彷彿させる姿だった。




「ようこそいらっしゃいました。何のおもてなしも出来ませんが、ゆっくりしていって下さい」


邪気のない、天使みたいな声で、俺たちに呼びかけて来た。


「ミナトは、どうしました?」


「逝ったわ……。輪廻の輪から外れ、冥府に」


まおの問いに、水瀬は沈痛な面持ちで答える。


「そうですか。悲願達成ですね、お祝いしなければ」


まおはパンと手を叩き、顔を(ほころ)ばせた。


「惜しむとか、悲しむとか――ないのっ」


水瀬は苛立ちを隠せず、叫ぶ。


「私が? なぜ? だってまた直ぐ会えるじゃないですか。時が戻り、元通りになったミナトに!」


まおは心底『わからない』。そんな顔をしていた。


「それは……違う。それは今まで一緒に居た雷豪じゃない。違う、何かよ」


水瀬の言葉に、まおはキョトンとして見つめる。


「なにが違うんです? ミナトはミナトでしょう」


ああ、そうか。こいつは本当に理解できないんだ。

だからこんな真似が出来るんだ。


水瀬は哀しそうな、切ない顔をしていた。


(ナミ)の躾が出来てませんでした。……私の責任です。しっかり、カタをつけます!」


拳をぎゅっと握り、迸る気持ちを抑えている。


「嬉しいな! ナミさんに怒られるなんて、何百年ぶりだろっ」


弾むような声で、まおは全身から喜びを発する。

そんなまおを、水瀬は顔をしかめ睨みつける。


「雷豪から、貴方を憎まないでくれと頼まれました。……憎みはしません。けれど…………嫌悪します!」




水瀬の嫌悪は、どこに向かっているのだろう。……まおか? それとも……。


愛は積みかたを間違えると、なんて(いびつ)になるのだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ