ラヴィアンローズ
「楽しみですね、どんな御業を見せてくれるのか。私にどこまで届くのか。……『どてっぱらに一発喰らわす』と仰ってましたよね。剣斗さんにそう言付かったと。あの人がそう言ったのなら、期待できそうです」
雷豪はいかにも面白そうな顔をしている。
「その余裕綽々な顔、引き攣らせてやる!」
私は目を吊り上げる。ぴしぴしと、顔の筋が引き攣る音が聴こえた。
「その意気です。生きのいい魚を釣り上げる快感を、味わわせてください」
闇夜に浮かぶ三日月のように口を開き、にっこりと笑う。
身体が凍てつくような、冷たい笑顔だった。
「では授業を始めます。lesson 1、『複数同時攻撃』に対する応用問題です」
雷豪の指に八本の小刀が挟まれている。『童子切』だ。
腕がブンと振られる。小刀が様々な軌道を描きながら迫って来る。
「設問、『敵が八本の剣を投げてきました。自分の腕は二本、相手の剣は八本。どうするのが正解でしょう?』……剣斗さんの許で修行されたのなら、散々体験したでしょう。彼の10本の腕から繰り出される同時攻撃。貴方はどう対応されたのですか。お答えください」
意地の悪い質問だ。
師匠の攻撃とは射程が違う。優に三倍以上ある。
そのくせ、遠距離攻撃による威力低下は見受けられない。一撃必殺の威力だ。
不正解、即死亡のデッド・オア・アライブだ。いやこいつにとってはデッド・オア・アライブだろう。
「追試はありません。赤点 = 退学です」
底冷えのする冷たい目で、雷豪は言い捨てる。
本気で私が死んでもいいと思っている。
こいつにとって避けたいのは『まお』と『私』の殺し合いであって、私の生死はどうでもいいんだ。
見る見るうちに剣が迫って来る。
私の射程は短い。私の拳はまだ届かない。
前もって叩き落とすことはできない。同時対応するしかない。
空間転移しようにも、周りの空間に歪みが発生していて、まともに演算が出来ない。
あいつの仕業か。さっき空間転移を見せてしまったからね。対策されてしまった。
カンニングは許さないといったところですか。
「さあ、解答オープン!」
雷豪のタイムアップの声が響く。
私はすうっと息を吸い、かっと目を見開く。
「どおりゃァァァ――」
私の咆哮が轟く。
音よりも速く、拳が突き抜ける。
ひとつ、ふたつ、みっつ――。紫電が放たれた。
カラーン。八つの剣が地に落ちる。音は、ひとつに重なっていた。
「剣の数が四倍ならば、四倍の速さで殴ればいいじゃないですか!」
胸を張って、私は答えた。
雷豪は、口を大きく開けてこちらを見ている。
「……なにを、やっているんです。何でそんな発想になるんです! そんな力業の、100×100を全部一個ずつ数えるみたいな馬鹿な真似を。脳筋ですか、アホですか――」
むう、失礼な。ちゃんとズルせずに答えを出したでしょう。
「これも一つの正解ですぅ――。ああ、嫌だ嫌だ。年取ると順応性が無くなるって、本当なんですねぇ。師匠も『お前の好きにするがよい』って言ってくれましたぁ――」
煽るように、私は言う。
「それは、『匙を投げた』って云いません? ……剣斗さんの苦労が偲ばれます」
何故だ、なんだかこっちがダメージを喰らった気がする。
「……まあ、いいでしょう。ではlesson 2、『運動法則』の問題です。軌道計算をしなさい。ヒントは『三体問題』。……エレガントな解答を期待していますよ」
指には童子切が挟まれている。帰還機能が備わっているんだろう。叩き落とすだけでは駄目か。
雷豪の腕が、優雅に弧を描く。8本の剣が放たれた。
「舞え、童子切!」
雷豪の声を聞き、童子切たちの軌道が変化する。
直線だった軌道が突然曲がり、楕円形の軌道を描きだした。
少し進むと、また軌道が変わる。違うループを描き出す。
そしてまた違う軌道へと、何度も何度も変化する。
だがそれはグニュグニュと迷走しているのでは無い。何らかの規則性を帯びている。
一体これは……。私は目を凝らし剣を視る。
すると黒い糸が24本、見えた。
糸は、雷豪の身体と繋がっていた。
両手両足の指から20本、両腕の肘から二本、両脚の膝から二本、合計24本の黒い糸が出ている。
それが童子切一本につき三本の糸が繋がっていた。
『三体問題』――太陽のような恒星が同時に三体存在する場合、その重力に捉えられた物体はどのような動きをするかを問うたもの。
一体ならば問題は無い。一直線に等速運動をするのだから。
二体でもそれ程難しくは無い。楕円、放物線、双曲線のいずれかになる。
だが三体となると手に負えない。絡み合った数式は、もはや演算不可能だ。
いま童子切は、三体問題の軌道を描いていた。
八本の鎌首をもたげた蛇のように、私の眼前に迫って来る。
「解答や、いかに!」
雷豪の声が鳴り響く。
剣は、目と鼻の先まで来ていた。
もうすぐ、私の身体に突き刺さる。
私は、動かなかった。――否、動く必要がなかった。
剣は宙に浮かんだまま、止まっていた。
「……今度は、何をしたんです?」
もはや雷豪は諦めたみたいな、疲れた声で溜息を漏らす。
「この周りの時間の流れを遅くしたの。エネルギー源はアナタのご主人サマが垂れ流しているモノを使って。……色んな軌道を描いていたけど、結局到達点は私の所、一か所でしょ。そこにトリモチみたいな罠を仕掛ければ、一丁あがり。凄い速さで飛んでたけど、時間が流れないなら止まっているのと一緒。ほいっとな」
私は通常空間から手を伸ばし、童子切を掴み、回収する。これでもう飛ばす事は出来ない。
「なんでこう、迷路の外を回り込むみたいな真似をするかな、この人は……」
なんか失礼なことを言われているみたいだが、気にしない気にしない。
「『終わり良ければ全て良しと云うではありませんか』ってほざいてたよね、アナタ」
「……意味が違います」
あきれたみたいな顔でこっちを見てくる。
「ああ、分かりましたよ。貴方は確かにあの暴君の育ての親です。間違いない!」
なんか、やけっぱちみたいに言ってきた。
雷豪は、はあぁっと大きな息を吐き、うんっと小さく頷く。
「仕方ありません、私の美学に合わないので使いたくはなかったのですが……。必中の弓――『雷上動』、破魔の矢――『水破兵破』。圧倒的神力で押し流す、小細工無用の武器です。貴方みたいな脳筋相手には、もうこれでしょう!」
吹っ切った顔でこちらを見つめる。
両こぶしを握り、左手を突き出し、右肘を後ろに引く。
雷豪の手に、光り輝く弓が現れた。
弦には、弓と同様に光り輝く二本の矢がつがえられている。
そこから、途轍もないエネルギーが放出されていた。
「まったく、イヤになりますね。まるであの暴君に弓引いている気分です。決して裏切らないと誓っているんですがね……」
顔をしかめ、こちらに狙いをつけている。
「なんで、まおに従っているの?」
この二人の関係は、単純な忠誠や憎悪ではない。もっと色々なものが絡み合っている。そう思わせた。
「最初は、嵌められて。途中は、罪の意識から。いまは……なんでしょうね、情、情けとでも云いましょうか」
ふっと遠い目をする。遥か過去を思い返すみたいな。
「あの人のこと、嫌いじゃないです。泣き虫で、横柄で、人使いが荒いけど……嫌いではない。あの人の夢を叶えてあげたい。本気でそう思っています。変われば変わるものですね。これでも昔は藤原北家に成り代わり、天下を治めてやろうと思っていたんですよ」
心を整理するみたいに、私ではなく自分自身に語りかけていた。
「いまの私はまお様の忠実な執事、『雷豪 皆人』です!」
吹っ切るように、叫び声をあげる。
雷豪は物見を定め、打起しを始める。私に狙いをつけた。
膨大な力が弓に流入して来る。異常とも云える大きさだ。
「なんなの、この力!」
私は思わず声をあげる。あり得ない。
まおのあの力はまだ分かる。千年の時をかけてこの広大な地に集めていたのだから。
だがこの雷豪の力はなんだ。仮に集めたとして、どこにこんな力を溜めていたというの。
「まさか…………」
雷豪の射法動作は『会』に至っている。
弓を極限まで引き、矢を放つ瞬間を計っている。
弓には、『鳴弦の儀』と云うものがある。
弓に矢をつがえずに弦を引き、音を鳴らすことにより魔を祓う儀だ。
魔を祓うことが可能ならば、またその逆も可能ではないのか。
すなわち魔を引き寄せることも……。
雷豪の周りの昏い情念が、一層濃くなっていった。
「お気づきになったようですね。これの正体は、私に対する怨念ですよ。幸い怨まれることには恵まれていまして。この力の発生源は、煉獄ですよ。『雷上動』はそこと繋げるパス、『水破兵破』は怨念を溜めるカートリッジ。だから使いたくなかったんです。……けれど貴方相手では、そうも言っていられません」
雷豪はきっと目を見開く。
「主人の望みを叶えるのが執事の務め。たとえこの身が朽ちようと!」
真っ直ぐな声が、私を射抜く。
「馬鹿…………」
私は彼から目が離せなかった。
矢が、放たれた。
冴えた、濁りのない弦音が響く。
二本の矢が、私に一直線に飛んできた。
小細工なしの、真っ向勝負だ。
「アイアス7層の盾!」
私は最強の盾を展開した。
七枚の光の壁が、怨念たちの行く手を阻んだ。
「我が名は芽衣。冥府の獄卒。黒き仔羊。亡者たちよ、故郷へ還れ!」
光の壁が強く輝き、漆黒の矢が溶けてゆく。
轟音が響き、地が揺れる。
突風が吹き、あらゆる物が飛んでゆく。
大地も森も…………雷豪も。
すべてが終わり、静寂が訪れた。
私はクレーターとなった大地を歩いてゆく。
その先に、手足を失い内蔵を露出した雷豪が横たわっていた。
「ははっ。やられました。お見事! 貴方の勝ちです」
にこやかに、血を吐きながら笑顔で言った。
「けれど、どうやったんです? あの怨念のエネルギーを受けたら、被害はこんなもんじゃ済まない筈ですが」
雷豪は無邪気に、手品の種明かしをせがむみたいに聞いてくる。
「元の場所に還しただけよ。アナタが『雷上動』で召喚したみたいに」
「触媒は? ただでは出来ませんよね、そんな真似」
一転して真剣な顔で訊ねてきた。
「これ!」
私は懐からある物を取り出した。
「アナタからガメた『童子切』を使ったわ。これ、重力子を操作する補助道具になるみたい。これを使って違う世界――『ブレーンワールド』に繋げて送り還した。……それだけよ」
私の言葉に雷豪は目を丸くする。
「参ったな、私の自滅じゃないですか、それじゃ」
彼は愉快そうに、大声で笑った。
「また、転生するの?」
私は疑問をぶつける。
これまで何度も肉体を乗り換えてきたのだ。そうなるのが自然の流れだ。
「…………いいえ、これで終わりです。永かった旅も、私の人生も」
彼の思ってもみなかった答えに、私は動揺する。
「なんで? アナタはまおに、逃れられない輪廻を押し付けられていたんじゃないの?」
雷豪は何も語らない。虚空をじっと見つめ、黙り込む。
沈黙の闇に、風の音だけが寂しく鳴っていた。
どのくらい時間が経ったのだろう。長い沈黙のあと、雷豪は重い口を開き始めた。
「この輪廻から解き放たれる方法が、分かりますか?」
彼は淡々と語り始める。
「……ふたつあります。ひとつはまお様から呪縛を解いてもらう方法」
金塔や坂口が求めていたと云うのは、それか。
つぐみお姉さまを捕らえ、その報酬として解放して貰おうとしていたのか。
「もうひとつが、正人が成功した方法です。自分が認めた後継者に、否定をされ、命を奪ってもらう方法……。養い子である清原に殺された時、正人は輪廻の苦しみから解放されたのです」
初めて会った時、雷豪は藤崎 正人の最期を聞き、「うらやましい……」と零していた。そういう事だったの。でも……。
「私はアナタの後継者じゃないわよ」
憮然とした表情で私は言い捨てる。
「構いません。私が勝手にそう思っているだけです。兄妹弟子なんです、いいでしょう、それ位は」
にこっと悪戯っぽく雷豪は笑う。心の底から、何の打算もなく。
「終わってみれば、それなりにいい人生だったかもしれません。間違いを犯し、怨まれ、憎まれ、後悔もしてきました。けれど、幸せな顔も見てきました。……もう、充分です」
雷豪の頬には、涙が流れていた。
「勝手に自己完結するなって顔ですね。いいじゃないですか、最期なんだから。……私がこれから行くのが地獄か天国なのかは知りません。けど、いいんです。何処だって。罪も罰も、みんな受け入れます」
迷いのない瞳で言葉を紡ぐ。
「最後に…………まお様を赦してあげてください。罪を赦せとは言いません。けれど、まお様を憎まないであげて下さい。あの方には、それが……なにより……つらい…………」
雷豪の声は、段々と小さくなってゆく。
目は瞑られ、口は閉じ、心臓の鼓動も途切れ途切れになっていった。
「集え、戦乙女!」
私は叫んだ。
漆黒の闇の中、黄金の光が輝き始めた。
光に溶け込むような黄金の髪をたなびかせ、戦装束を纏った乙女が姿を見せる。
私の叫びに、九人のヴァルキリーが現れた。
「ヴァルハラに、導いて…………」
ヴァルキリーたちは、こくりと頷く。
手を繋ぎ、輪となり、何かを囲むように立つ。
タンと足で地を蹴り、天へと昇ってゆく。
黄金の光の中、無数の白い羽が、ひらひらと舞っていった。
…………この日、一人の戦士が、天に召された。