凝縮
「どうすんだ、これ…………」
俺たちは顔を見合わす。
標高1200メートル、周囲10キロメートルの山が、全長2キロメートルの足に支えられ、高さ1キロメートル上空に浮かんでいる。
なんの冗談だ。
天空に浮かぶ城というのは絵画で見た事はある。
だが天空に浮かぶ山というのはお目にかかった事はない。
その天空山が、いま俺たちの前をのっしのっしと歩いている。
冗談としか思えない。
俺たちが剣で切っても、効果があるのか?
ヒトに噛みつくノミみたいなもんじゃないか。
いくら剣を突き刺しても、山肌の浅いとことを撫でるに他ならない。
ならば深く刺せば良いではないかと言うかもしれない。
……が、剣一本でトンネルを掘り進めれるか! 現実にそぐわない。
「あの場を脱出したのは、間違いだったんでしょうか」
この化物を相手にするより、あの場でまおと雷豪を相手にする方が難易度は低かったかもしれない。
水瀬が俯き、珍しく落ち込んだ声を零す。
「いや、あれはあれで正解だった。もしあのままだったら、つぐみを奴らに奪われていた。お前の判断は正しかった」
完璧な結果なんてある筈がない。水瀬は立派になすべき事をしたんだ。
「冷静に考えよう、俺たちの勝利条件は何か? あいつらを倒すことじゃない。つぐみの安全を図り、みんなの平穏を守ることだ。あいつらが世界征服しようが、神の力を得ようが知ったこっちゃない。実際これまで世界を裏で牛耳っていた節があるしな、今更どうでもいい」
投げ捨てるように俺は言う。
「そう考えたら、この状況はそんなに悪い状況じゃない。あの化物は確かに巨大だ。俺たちがどうこうできる存在ではない。ヒトとノミほどの違いがある。だがそれは、向こうにとっても同じだろ。俺たちが部屋の何処かにいるノミを探し出し捕まえるのは、簡単じゃないぞ。あの化物から見れば俺たちは、砂粒ぐらいにしか見えない。殺すというのならともかく、捕まえるというのは至難の業だぞ」
あの化物があいつらが変化したものか、操っているのかは分からない。だがあの巨大質量を動かすと云うのなら、それ相当の広大な視野を持たなければ身動きできない。音速で飛ぶジェット機が、眼前100メートルしか認識できなければ大惨事となる。あの化物が俺たちを捕捉するのは、難しい筈だ。
「そう考えると、敵の打つ手が見えてくる。大量破壊兵器で全滅さすのは無しだ、奴らの目標はつぐみの受精卵なんだからな。そうすると考えられる手は二つ。広範囲で俺たちを無効化さす何かを使用するか、俺たちと同じスケールの存在を派遣するかだ。……そこで俺たちのとる対応方法だが……」
ごくっと俺は唾を飲む。次の言葉は、本来口にすべきではない言葉だ。
「最悪、つぐみの受精卵を渡してもいいと思っている…………」
本当はこんな言葉、言いたくもない。
「あいつ等はつぐみの受精卵を殺そうとしてるんじゃない。それを苗床にちづを復活させようとしているんだ。……認められることじゃないが、つぐみの命には代えられない。母胎を守るために胎児を犠牲にする事はあるだろう……。それにこれは新たな命を奪うことじゃない。新たな命を少し変えるだけだ」
「………………」
俺の言葉に二人は絶句する。
水瀬は拳を握り、震えている。悔しそうに、でも何かを諦めるように。
ピシッ。俺の頬から鋭い音が響く。
そこには平手を振り抜き、掌を赤く染めたつぐみが立っていた。
「いくら兄さんでも、その言葉は許せません。……なんでそんなことを言うんですか。兄さんは散々あの世界で見てきたじゃないですか、私たちの子どもを。みんな苦しみ、もがき、それでも一生懸命生きていた。……誰一人同じ子はいませんでした。その誰かを犠牲にして他の誰かを助けるなんて真似、私には出来ません!」
涙を流しながら、哀しみと怒りを混ぜ、つぐみは叫ぶ。
何故私の大切なものを切り捨てるのか。つぐみの瞳はそう語っていた。
「……悪かった。俺が間違っていた」
俺は心から詫びた。つぐみの大切なものを理解してなかった。
「兄さんの気持ちも解ります。……あの姿を見たからでしょう。私がちづを殺し、自分の心臓に剣を突き立てた姿を……」
つぐみの言葉に、さっきの悪夢が甦る。
敵に追い詰められ、せめて我が子を自分の手で葬ろうとし、自害したミクの姿が。
「兄さん、日和っちゃたんですよね。敵の力じゃなく、私を失うことに」
つぐみは俺の胸に顔を埋め、呟くように言う。
「私は何処にも行きません。ずっと兄さんと一緒です、離れません。兄さんが何処に行こうと構いません。血の池地獄だろうが、針山地獄だろうが、兄さんが居ればそこは極楽です」
最高の愛の言葉であり、最重の責任を痛感させられる言葉だった。
「……方針は決まりましたか?」
静かに見ていた水瀬が口を開く。
「ああ、つぐみもこの子も渡さない。何があろうと守り抜く!」
「最初っからそう言えばいいんですよ。さあ、イチャイチャタイムは終わりです。――――来ます!」
水瀬の言葉と共に上空の空間がひび割れる。
暗闇が音をたて崩れてゆく。
そこから一人の男が現れた。
「主人の命で皆さまをお迎えに参りました。慣れぬ地で、お迷いになられた模様。温かいお茶をご用意しておりますので、お戻りを」
舐めまわすような視線を向け、一礼をする雷豪がそこにいた。
「せっかくだが、あそこは空気が悪くてな。新鮮な空気が吸いたくて散歩してたんだ。どっかの誰かの管理が行き届いてないんじゃないかな」
俺は探るように周りを見渡す。敵は、こいつ一人か?
「それは面目ない。ですが今は締め切った部屋も解放され、風通しは最高ですよ。……如何です? 千年ぶりに解き放たれたアレは?」
雷豪は宙にそびえる巨大蜘蛛を見上げる。
「アレは、まおなのか?」
雷豪がここに居る以上、それしか答えはない。
「中枢は、そうです。だがその巨大な肉体は、千年の怨念ですよ」
「怨念?」
俺は疑問の声をあげる。
「ここがどういう地か、ご存知ですか。東国と西国の境、東に落ち延びた者が西を呪い、西で仇を取り逃がした者が遺恨を募らし、怨恨が溜まる地。現世の黄泉比良坂なのですよ、ここは」
雷豪は冷たく嗤う。人の想いを嘲笑うように。
「まお様はこの地を得、ひたすら待ちました。人の想いは力です。それは小さくても指向性を持たせ集めれば、山をも動かす力となる。そして誘導しました。鎌倉に、江戸に、京と対立する組織を作り呪い合うのを。まったく気の長い話です」
ぞっとした。裏で世界を牛耳っているとは想像していたが、そんな真似をしていたのか。
「一体、なにがしたいんだ。裏で日本を操っていたと云うのなら、こんなデカブツは不要だろ。世界征服でもするって言うのか」
「ははっ。順序が逆です。目的の為にこの巨大蜘蛛が必要であり、巨大蜘蛛を得る為に世界を支配したんです」
雷豪は愉快そうに笑う。
「そろそろ始まります。一大スペクタルですよ!」
雷豪の絶叫が鳴り響く。
その声に誘われるように、山鳴りが轟いた。
山が、巨大蜘蛛が、縮み始める。
ドゴッドゴッと音を出しながら、山が内側に飲み込まれてゆく。
巨大な山脈が、裏山ぐらいに収縮していった。
茶色だったその躰は、艶々とした漆黒に変わってゆく。
小さくなった筈なのに、その内包する力はますます巨大に見えた。
「ビックバンの、逆回しです‼ 特異点の、誕生です‼ 」
雷豪は、歓喜に打ち震えている。
ぶおっと風吹く。
蜘蛛に向かって吹いている。
土が、岩が、木々が、蜘蛛に向かって飛んでいった。
俺たちは飛ばされないように踏ん張る。
そこで、おかしな感覚に気づいた。
天と地が、ひっくり返っている。
上下が逆さまになっているのではない。横に、身体が引っ張られているんだ。蜘蛛の方向に。
吸引されているとかではない。重力が、狂っているんだ。
「ブラックホールの、誕生です――――」
雷豪の昏い叫びが、神の誕生を祝う司祭のように響いていった。




