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ごめんね

ちづの神子としての、初めての姿を思い出す。

誇らし気な顔で祝詞(のりと)を奏上し、鈴の音を鳴らす。

次代の神子に祝福を与える。

その時の赤子がこいつだと云うのか。


赤子の両親のことは、よく知っていた。

働き者で、仲のいい夫婦だった。

ずっと子どもを望んでいて、懐妊した時はそれは喜んだものだった。

だが産まれてくる子どもが神子候補だと聞かされると、悩んだ。

この子を神子として育てていいのか、それがこの子の幸せになるのか。

悩み抜いて、俺とミク(つぐみ)の所に何度も相談に来た。

俺たちはありのままを話した。いい事も悪い事も、すべて。

ミクが襲名式の前に脱走した話をした時は、赤い顔をしたミクにポカポカ殴られた。

そんな俺たちを見て、二人は笑っていた。肩の荷が降りたように。


その時の二人の笑顔と、目の前の微笑む少女を重ねる。

違う。顔立ちは似ているが、その笑顔はまるで別物だ。

まるで種族が違う別の生き物みたいだった。



「立ってお話もなんですから、お掛けください」


少女は俺たちに呼びかける

雷豪が少女の椅子を引き、それを自然に受け入れ、腰掛ける。

あいつが『主人』と云ったのは、紛れもなく事実のようだ。



「ミナト、お茶の準備を!」


「イエス、マイ・ロード」


雷豪が慣れた手付きでお茶の準備をする。

こいつ、ガチで執事をやってやがる……。


「お茶は玉露でよろしいでしょうか?」


雷豪は少女に問いかける。紅茶じゃないのかよ、そのなりで!


「ええ、それでお願い。お茶請けも用意してね」


まあ主人が和風なのでそれに合わしたのかもしれないが、それなら執事服も合わせろよ。




雷豪は沸かしたお湯を湯呑みに注ぎ、次に急須に移す。

さらに別の湯呑みに移し替え、湯冷ましをする。

玉露の旨み成分を引き出すように、50度の低温でじっくりと淹れるためだ。


急須に茶葉を入れ、湯冷ましした湯を注ぐ。

抽出時間を調整し、茶葉が開くのを待つ。

湯気がかすかに上がり、甘く豊かな香りが漂ってきた。


「どうぞ、京都宇治産の玉露です。ゆっくりと舌の上でころがし、旨味を味わい下さい」


雷豪は流れる所作で給仕する。


椿餅(つばきもち)です。道明寺粉(どうみょうじこ)甘葛(アマヅラ)の汁で練り、椿の葉で包みました。ほんのりした甘さと、つぶつぶとした食感をお楽しみください」


緑色の椿の葉に、白いお餅が包まれている。


「ミナトが作った椿餅は美味しいですよ。お召し上がり下さい」


こいつの手作りかよ。

どうだっ、という得意気な顔が鬱陶しい。こいつホントに雷豪派の首魁か?


「うわ―、おいしそう。いっただきまーす」


さっそく水瀬が頬張る。

おい、警戒心が無さすぎるだろうが。


「何やってんだ。ここは敵地だ、なにが入っているか分からないんだぞ」


俺は水瀬に注意する。


「だいじょーぶですよ。この期に及んでそんなまどろっこしい真似する訳ないでしょう。やるならとうの昔にやってますって」


俺の警告を露ほども気にしてない。


「それに女の子は毒を飲んでも死にませんが、甘いものを食べないと死んじゃうんですよ。女の子の中の大切な何かが」


むしゃむしゃと食べながら意味不明なことを言う。

そんな水瀬を、まおは遠い目で見つめている。


なんだ、何かが引っ掛かる。



「あ―、食べた食べた。おいしかった―」


「うふっ。喜んで頂けてなによりです」


お腹をポンポンと叩く水瀬に、まおは最上の笑顔を振り撒いた。


「ちょっといいか、いくつか訊ねたい事がある。答えてくれるか」


「何なりと」


言葉が、水瀬に向けるものより少し硬くなった。


「まず最初に、きみの両親の名は?」


「父の名はヤクモ、母の名はミズホです」


「生まれ故郷は?」


「大和國の葛城山(かつらぎさん)です」


合っている。俺の記憶と一致する。

あとは、これだけはどうしても訊かなければならない。


「きみはいま……何歳だ?」


虎の尾を踏む思いで俺は訊ねる。

この少女は10歳ぐらいにしか見えない。

しかし俺たちがいた時代から、千年は経っているはずだ。

俺やつぐみは悠久の時を異世界で過ごしてきた。だがそれは、一つの肉体で過ごしてきた訳ではない。

ナギみたいな特殊例でなければ、人間の身体が千年も持つ訳がないんだ。この少女は一体……。


「こういった場合、『女性に年齢を訊くのは不作法ですよ』とお返しするのが正解なのでしょうか」


まおは無垢な微笑みを浮かべる。こうしていると、世慣れていない年相応の少女に見える。


「本当はお答えしたいのですが……。ごめんなさい、わからないんですよ。だって冬も夏も私には大差ありません。眠らないから一日の長さも分かりません。何日経ったか、何年経ったか、目安になるものが無いんです。私の周りで変わりゆくものといえば、お世話をしてくれる人が年老いて居なくなる事くらい。それを思い起こすのも、億劫になって久しいものですから……」


こいつは、本物だ。

この感覚は常しえの時を生きた者の感覚だ。


「ただ、仇の名は一瞬たりとも忘れたことがありません。その名をお伝えすれば、お答えの代わりとなりますでしょうか」


蘆屋(あしや) 道満(どうまん)藤原(ふじわらの) 保昌(やすまさ)源 (みなもとの)頼光(よりみつ)頼光(らいこう)四天王(してんのう)。……里を滅ぼし、ちづ様を殺した、忌むべき仇です――」


瞳が憎悪に染まっていた。


「なにが……あった……」



「言葉では言い尽くせません。これを、ご覧ください……」



まおは両手を重ね、祈るように目を瞑る。

彼女の前に、光の玉が生まれた。

光の玉は徐々に膨らみ、俺たちを覆う。

周りの景色が一変した。

今俺たちの前には、見覚えのある懐かしい風景が映し出された。


「時空を歪め、過去の映像に繋げました。……ご覧ください、あれを」


まおが悲痛な顔をしていた。そしてすっと指差す。

そこには大勢の兵と、一人の騎馬武者がいた。


「我が名は(みなもとの) 頼光(よりみつ)。勅命である。神子とやらを引き渡せ!」


千人を超える軍勢が村を包囲していた。

その中で一際立派な鎧を着た武将が、神子の引き渡しを促していた。

源 頼光と名乗るその顔は、雷豪にうり二つだった。



「神子は渡せぬとぬかすか。天子さまに逆らう慮外者。成敗してくれる!」


虐殺が――――始まった。

完全武装した兵相手に、こちらの武器は(くわ)(すき)。勝負にならなかった。


「雑魚に構うな。狙いは『ちづ』とかいう6歳の女の(わらわ)。そいつに逃げられては元も子もない。道満、術を使い居場所を探れ。綱、道満に先導させ神子を捕らえて参れ」


「「ははっっ」」 蘆屋 道満と渡辺 綱が、兵を引き連れ里に向かって行った。



「兄さん、これは!」


つぐみが蒼ざめた顔でこちらを見る。


「この世界での、あの日のことだろう」


「助けに行かなければ!」


飛び出そうとするつぐみの手をがしりと握り、つぐみを止める。つぐみは「何故?」という顔をする。


「これは過去の映像記録だ。今起こっていることでも無ければ、俺たちが過去に来た訳でもない。……手出しできない幻なんだよ、これは」


つぐみは愕然とし、ぺたんとへたり込む。


虐殺は、なおも続いた。




俺はつぐみを抱きかかえ、記憶にある家へと向かった。

そこに、もう一つの俺たちがいた。



「ミク、ちづを連れて逃げろ。ここは俺がくい止める!」


「嫌です!あなたを置いて行けません。一緒じゃなきゃ、嫌です!」


二人が言い争いをしていた。


「……わかってくれ。ここで俺がくい止めなければ、全滅だ。お前やちづに死んでほしくないんだ。頼むっ!ちづの為に、俺の為に、逃げてくれ……」


躰を震わせながら、タツキはミクの肩を握る。


「ひどい人ですね。一緒に死んでくれと、言ってくれないんですね。生きろと、そう言うんですね……」


「……すまん」


死にゆく者が、生きのびる者に、心から詫びた。


「仕方ありませんね、そんな貴方に惚れたんですもの。……ちづ、おっとうにお別れのご挨拶をしなさい」


ミクはちづを抱き上げ、タツキの方に向ける。


「おっとう、どっかに行っちゃうの?」


ちづは不安気に訊ねる。


「ああ。けどちょっとの辛抱だ。いい子にしてたら迎えに行くからな」


「ほんと? ちづ、いい子にしてる。だから早く迎えに来てね」


「おっかあの言うこと、よく聞くんだぞ」


「うん!」


ミクは、泣いていた。



「あの世で、必ず会いましょう」


そう言いながらミクは駆け出した。

その二人の後ろ姿を、タツキは愛しそうに見ていた。


「ここだ。ここが神子の家だ!」


敵の声が響く。兵達が押し寄せて来たのだ。


「父親のかっこいい所、見せるとするか!」


斧を持ち、兵たちの中に、タツキは突進していった。




ハアハアと、息を荒げながらミクが走って行く。

山の、道なき場所を走っている。

足元はデコボコでまともに走れず、すでに足を挫いているようだ。

生い茂る木々に切り裂かれ、体中から血を流している。

それでもちづを宝物のように抱きしめ、憑かれたように走って行く。


この子は私が守る! あの人の為にも! あの人の死を無駄にしない!

揺るぎない決意を胸に、ミクは駆けて行った。



「ミーツケタ、ミーツケタ」


空から、人のものとも獣のともしれない声がする。

声の方を見上げると、紙細工の白い鳥が飛んでいた。


「ふうっ―、やっと見つけたか。手間をかけさせおって」


狩衣の陰陽師風の男と、太刀を持った武士(もののふ)が現れた。


「私の仕事はこれまで。綱どの、あとはお任せいたします」


「よくやった道満。……女、その童を渡せ!」


綱と呼ばれた男は、柄に手をかけ言う。


「何故この抜け道が?」


ミクは信じられないという顔をする。


「里の者が、吐いた。教えれば、神子の命は取らぬとの条件でな」


「その約束は、守って頂けるのですか?」


「まさか! 約束とは対等な者がすることだ。貴様らとて猟をする時、『大人しくしてろよ、何もしないから』と獣に呼びかけるであろう。貴様らはそれを守るのか? それと一緒だよ」


ミクは歯噛みする。

敵の傲慢さに。同胞の迂闊さに。


「おっかあ、あのおじさん達、なに? 何しに来たの?」


ただならぬ雰囲気に、ちづは怯えて訊ねる。

ミクはぎゅっとちづを抱きしめる。


「おっかあ?」


ミクの顔から、涙の粒がぽたぽたと落ちていた。


「ちづ、おっとうに……会いたい?」


ミクはちづの耳もとで、囁くように訊く。


「うん!」


迷いなく、ちづは答える。


「そう、一緒に行こうね……」


ミクは懐から何かを取り出す。

鈍く光る短剣だった。


「ごめんね……」


ミクは短剣を突き刺した。ちづの心臓に。


「おっかあ?…………」


ちづは何が起きたのか解らなかった。


「ごめんね、ちづ、あなた、……守れなくて」


ミクは片手でちづを抱きしめ、残る片手で短剣を自分の心臓に突き刺す。


「ほんとうに、ごめんなさい…………」


崩れるように倒れてゆく。

寄り添いながら、離しはしないと叫ぶように倒れてゆく。




二人はしっかりと手を繋ぎ、別ちがたいように固く結ばれていた。

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