比翼連理
落雷のような重い一撃が振り下ろされた。
まともに受け止めるような愚は犯さない。
雷は避雷針で大地に逃がそう。
俺は槍の角度を滑らかに変え、斧の攻撃を受け流す。
斧はしゅるると滑り、地面に突き刺さる。
爆音が響き、大地が飛び散る。
不意打ちだったら、ひとたまりもなかっただろう。
だがこれは、俺がお膳立てした事だ。
備えは万全だった。
金塔がああいう状態ならば、それ相応の対応策は用意している筈だ。
金塔の管理システムに異常が起きれば、坂口に通知が行く。その確率は高いと思っていた。
そして金塔が危機にさらされれば、何をおいても坂口は駆けつける。そう確信していた。
「兄さん、無事ですか!」
つぐみの声がした。坂口が飛び出してきた亀裂からだ。
そこからつぐみが飛び出してきた。
つぐみは両手を広げ、俺の胸へと落ちてくる。俺はしっかりと両手でつぐみを抱きしめた。
「がんばったな……」
俺はつぐみの頭を軽く撫で、耳元で囁く。
つぐみの顔は光が差し込んだように輝き、「はい……」と小さく答えた。
「み―ちゃん、大丈夫? 待ってて、いまサブシステムに切りかえるから!」
坂口は素早い手つきでコントロール機器を操作していた。
「……なにやってんの、キンちゃん。そんなことやってる場合じゃないでしょう。早川 つぐみを確保して、あの方の許に連れて行きなさい! ……そうすれば貴方は、この運命の輪から逃れられるのよ」
泣きそうな声がスピーカーから流れてくる。
「相変わらず人の話を聞かないな―、み―ちゃんは。行く時は二人一緒って言ったでしょ。ボクを見捨てて消えるなんて、許さないんだからね」
「……キンちゃん」
坂口は縋るようにキーボードを叩く。
機械は次第に悲鳴を止め、静かな唸りだけをあげる様になった。
「さて、随分とみ―ちゃんを甚振ってくれたみたいだね。その償いは、たっぷりとしてもらうよ」
青白く燃える瞳で、俺を睨み付ける。
その細腕で武骨な斧をもたげる。
頑丈で、『斬り裂く』と云うより『叩き潰す』と云う武器だ。
「……潰す」
伝える意思のない、零れた気持ちが具現化されたような言葉だった。
脚がぐっとたわむ。
地面が砲撃を受けたみたいに爆ぜる。
坂口が砲弾の如く跳んできた。
両手で斧を持ち、横薙ぎに振るう。
「つぐみ、逃げろ!」
俺は叫ぶ。
この攻撃を避ける訳にはいかない。つぐみの退避までの時間を稼がなければ。
槍の柄を縦にし、受け止める。
凄まじい力が身体中に響く。まるで電車にぶつかったみたいだ。
俺は波に押し流される様に吹き飛ばされた。
壁がぐんぐんと迫って来る。
「なんのっ!」
俺は足を屈ませ、力を逃がすように壁を蹴る。
ドゴン、壁が砕ける。
俺は態勢を整え、着地した。
「なんてパワーだ!」
呆れるしかなかった。
「さすがキンちゃん、その調子!」
金塔のはずんだ声が響く。人工的な声に豊かな感情が乗った、歪な声だった。
「この人外を造ったのはお前か、金塔」
冷たい声で問う。
「……なんのこと」
「あの痩躯にこの力、あり得ないだろう。筋力はその断面積に比例する。あの細さでこんなパワーを生み出せる訳がない。量で得ているのでなければ、辻褄を合わすのは一つしかない。……質を変えたな、人間の身体組成以外を使って。『レジリン』あたりか」
『レジリン』――昆虫の高弾性タンパク質である物質。バッタやノミはこれのお陰で、体長の数十倍までの高さまで跳躍出来る。人間は筋肉を使う時、その半分は熱として消費され50%しか使えない。だが彼等はこれを利用し、その97%を使うことが出来る。……どこの悪の組織の改造人間だ。
「へぇ、知ってたんだ。けどそれだけじゃ、足りないかなっ」
「……プラス、『重力子』か」
コポポ。動揺したかのように水槽から泡があがる。
「己の力や、存在にかかる重力を増減さす。重い打撃に変え、軽やかな跳躍を得る、便利な物だな」
「どうして解ったの……」
「お前のミスだ。この槍が何故この世界に存在するかを問うた時、お前は言ったな。『重力子の様に、高次元空間を行き来できる物に変換されたのでは』と。別にヒントを与えたつもりじゃなかったんだろう。だが人は論理を組み立てる時、身近なものに置き換えるもんだ。お前の中では『次元移動』=『重力子』という公式が出来上がっていた。すなわちそういう存在に接しているという証左だ。そしてその後、坂口はつぐみを連れて消えた。……これ以上、何か言う必要があるか?」
俺の言葉に、金塔はふぅーと深い溜息をもらす。
「やっちゃったな。ごめんね、キンちゃん。役立たずで……」
悲しそうな声を金塔はあげる。
「問題ないよ、み―ちゃん。種明かしされたところで、痛くも痒くもない。み―ちゃんがくれた力は、そんなにヤワじゃない」
優しく包み込むように坂口は語りかける。
「生物界最高の『筋力』、無限の力の源泉たる『重力子』。この両輪を備える『金児』の名は伊達じゃない。み―ちゃんがくれた翼は、どんなものにも負けないんだ!」
坂口は高らかに叫んだ。
「キンちゃん……」
その言葉に、金塔は刺し貫かられる。
水槽の中で、涙を流しているみたいだった。
斧を、高く掲げる。
天よ見よ、我はここに在り。その姿は雄弁に語っていた。
造られた、呪われた存在。
そんな自分でも大切に思ってくれる人がいる。それで、生きていける。
残酷な神よ、運命よ、残念だったな。貴様達の思い通りにはいかない。
そう語っていた。
最悪の予想が、当たった。
この異様な力は長続きはしない。力には、それ相応の熱量が必要だ。
そうあるべきだと思っていた。信じたかった。
だが坂口の『重力子』は、異界より無限の力を供給するようだ。
それは間違いないだろう。虚勢や心理戦などという物は無さそうだ。
そんなものを歯牙にもかけない自信が、坂口にはみなぎっていた。
「どうしたもんかね」
俺は思案する。
あの攻撃を、何度も受けきれる筈がない。
いずれ受けた後に隙が生じ、そこを突かれる。そうなれば終わりだ。
残された方法は……。
「兄さん、龍門を開きましょう。……もうそれしかありません」
つぐみが不本意そうな表情で呟く。もう、その手しかないか。……肚を、くくるか。
「何をするつもりか知らないけれど、その思惑ごと叩き潰してやる!」
怒号と共に、稲妻みたいに坂口が飛んで来た。
真っ直ぐ、振り返る事なく、迷いなく。
俺はその道筋に、置石をする。
俺と坂口の間に白い魔法陣が浮かびあがった。
「トラップ? そんなもの纏めて吹き飛ばす!」
坂口の斧が魔法陣を斬りつける。
斧が触れた瞬間、それは消滅した。あまりにも呆気なく。
それはかえって、不審の念を生じさせた。
「なにが、したかったの?」
坂口は訝しげに訊ねる。
「こういう、ことだ」
俺が言い終わるやいなや、坂口の身体から力の奔流が溢れた。
躰は膨れ、皮は裂け、全身から血が吹き出した。
がはっぁ。悲鳴をあげ、坂口は地に伏す。
「キンちゃん、しっかり。どうしたの。再生の術を使って!」
金塔が叫び声をあげた。
坂口はよろよろと手を傷口に当て、力を込め、再生を試みる。
ぐぎゃあああ――。坂口の悲鳴があがる。血は更に激しく噴き出した。
「いや、いやっ、いや――――っ!」
金塔の悲鳴が木霊する。
「『龍門』を開いた。異世界とのパイプ、異世界の力を取り込む門だ。本来なら支援魔法なんだが、過剰な力の流入は躰を蝕む。魔力に喰われるというやつだ。坂口は、あまりに魔力に頼り過ぎた……」
「この外道ぅ――――!」
水槽の脳が、わななく様に見えた。
「キンちゃん、いま助けてあげる。もうちょっとだけ我慢してっ」
涙声で呼びかける。
がらん、瓦礫が蹴とばされる音がする。吹き飛ばした入口の扉から、何かが入って来た。
頭の上半分を失い、双剣を携えた金塔の複製体だった。
「いけぇぇ――――!」
掛け声と共に、人形が突進してくる。
俺はやるせない気持ちを抑え、槍を振るう。
右腕、左腕、右脚、左脚が切断され、ぼとぼとと落ちる。
四肢を切り離された人形は、力なくどさりと崩れ落ちる。
「動け、動け、動け――――。このポンコツ、動け――――!」
人形は必死にのたうち回る。
哀しい、叫びだった。
俺とつぐみは視線を交わし、こくりと頷く。
もう、終わりにしよう。
俺は倒れている坂口に近づく。
何かが近づく気配に、坂口は反応した。
「み―ちゃん? ごめんね、失敗しちゃった。折角み―ちゃんが力をくれたのに……ごめんね」
もはや、目も見えないのか。
「楽しかったね、これまで一緒にいっぱい遊べて。また、遊ぼうね。これからもずっと一緒だよ、み―ちゃん……」
血を吐きながら、涙を流しながら、それでも微笑んで、力を振り絞って、言った。
俺は何も言わず、槍を構え、心臓に向け、突き刺した。……静寂が、訪れた。
終わった。俺は金塔の方に視線を向ける。
そこには、剣を振り降ろすつぐみがいた。
ぱりん。水槽が割れる。
剣はそのまま水槽を薙ぎ払い、巨大な脳を両断した。
ばしゃー。水槽の水が溢れだす。
つぐみはそれを全身に浴び、ずぶ濡れになりながら、身じろぎもせずに俺を見る。
「兄さんだけに辛い想いをさせません……」
哀しそうにつぐみは呟く。
その時、部屋中のモニターが唸り始めた。
ざざっという音と砂嵐の画面が流れる。
そして画面は少しずつ色を帯び、綺麗な夕焼けが映し出された。
山頂から見る、荘厳な夕焼けだった。
地平線は桃色に色づき、虹の輪みたいな色のハレーションを起こし、上空には淡く透き通るような紺色が広がっていた。
「ここに居たんだ。もう夕御飯だよ」
声の方向に画面が流れる。
10歳ぐらいの、幼い坂口がそこに居た。
一瞬映したあと、映像は坂口から離れ、再び夕焼けに変わる。
「……食べたくない」
どこからか少女の声が聴こえる。
「ダメだよ、食べなくちゃ。身体に悪いよ」
心配そうに坂口が覗き込む。
「……身体ってなに? この造り物の身体? それともあのでっかい脳みそ? どっちにしろ、だいっキライ!」
少女の甲高い、ヒステリックな声が木霊する。
ハアハアと、興奮した息切れが聴こえる。
「ボクは好きだな……どっちのみ―ちゃんも」
坂口は横に近づき、地面に座る。
その瞳は、じっと夕日を観ていた。
「み―ちゃんからは、あったかい匂いがする。大人たちの冷たい目とは、大違いだよ。いま隣にいるキレイなみ―ちゃんも、水槽にいるカッコイイみ―ちゃんも、どっちも大すき!」
屈託のない無邪気な笑顔を坂口はみせる。
「おめでたいわね、アンタ。こんな山奥に捨てられたくせに。よっぽど幸せな人生を送ってきたのね」
当て擦るように少女は言い放つ。
「幸せか――。悪いけど、思い出せないや。いつが一番幸せかっていうと、いまかな」
「いま……?」
怪訝な少女の声があがる。
「うん、いま。キレイな夕日を見て、隣にはみ―ちゃんがいる。気持ち悪い大人はいない。……幸せだよ」
無言の時間が流れる。
「……バカね……」
呆れたような、それでも愛しみに溢れた少女の声がする。
「うん。ボク、バカかもしれない。だけどいいんだ、お利口なのはみ―ちゃんに任せるから。だからみ―ちゃん、教えてね。ボクはどうしたらいいのか、どうすれば幸せになれるのか、教えてね」
縋るような目付きで坂口は語りかける。
「なんでも、するの?」
「うんっ!」
迷いのない返事が返って来る。
「なら……キスしなさい、私と」
「キス?」
「そうキス。やっぱりアンタも、私なんかとキスするのはイヤなの……」
坂口は力いっぱい、頭を振る。
「イヤなわけがないよ。でも、み―ちゃんこそいいの? ボクなんかとキスして」
「この身体になってから、誰もキスしてくれなくなったわ。お父さまも、お母さまも。……抱きしめてもくれなくなった。お願い、キスして。そして抱きしめて!」
少女は震えを抑えるように、自分の身体を両腕で抱きしめた。
「ボク生まれてから、誰かとキスしたり、抱きしめられたたことが無いんだ」
哀しい、告白だった。
「そう。だったら私が教えてあげる。抱きしめ方も、キスの仕方も、愛し方も。みんなみんな、教えてあげる」
少女は坂口の顔に両手をそえる。
ゆっくりと顔を近づける。
儚げで、強く触れると壊れてしまいそうな唇が迫ってきた。
目を瞑ったのか、画面が暗転する。
数舜の暗転のあと、再び画面が映し出される。
二人の少女の姿が映っていた。
茜色の夕焼けの中、草むらに座り、寄り添うように重なり、口づけをしていた。
鳥がついばむような、優しい口づけをしていた。
幸せそうに、番を見つけた喜びに震えるように、抱き合っていた。
宝物のような瞬間だった。
物言わぬ坂口の躯が、幸せそうにそれを見つめていた。