パペット
少女が斧で空間を斬り裂く。
兄さんと金塔の姿は消え、私と少女だけが残された。
「お願いします。貴方のお腹を掻っ捌いて、受精卵を取り出させて下さい。悪いようにはしませんから」
少女はぺこりと頭を下げ、可愛い声でおねだりをしてくる。
言葉の意味に気をとめなければ、思わず「よろこんで!」と答えてしまいそうだった。
首筋で真っすぐに切り揃えられたサラサラの髪。
キラキラとした濁りのない瞳。
艶やかなぷるんとした唇。
少女から女性へと移り変わるとき特有の、艶めかしい絵本のようなアンバランスさがあった。
「それでは始めますね ♪」
鈴を転がすような声が届く。
片手で巨大な戦斧をブンと振る。
斧を持つ手は細く、白く、およそその厳つい武器に不似合いなものだった。
その斧を高く掲げ、雷のように打ち下ろす。
私は素早く躱し、難を逃れる。
地面は怪物の爪に切り裂かれたように、深く抉られていた。
「羊の皮を被ったクマね、まったく……」
私は溜息をつく。
雷豪 四柱が一人、坂口 金児。
ぱっと見は十代半ばの可憐な美少女なのだが。……男の娘?
こいつを兄さんに近づける訳にはいかない。
へんな性癖に目覚めさせてはいけない。
兄さんは私が守る! いろんな意味で。
「兄さんをアナザー・ワールドに行かせはしません。兄さんは私とキャッキャウフフをするんです!」
私は目を血走らせ、坂口に斬りかかる。
「……お姉さん、なにを言っているの?」
私の口撃に、坂口はキョトンとしている。
ヤラせはせんぞ!
◇◇◇◇◇
「あっちでも始まったみたいだね。さっ、私たちも始めよっか。あっと、その前に伝言を頼んでおかなきゃね。……『あなたの死は無駄ではなかった。あなたのお陰で敵を倒せた』、そう茨姫に伝えてくれる……」
遠い目で、虚空を見つめ、金塔は呟く。
「知らねえよ、自分で直接言いな。その道筋は整えてやる!」
「ひゅっ―。言うね―。その虚勢、嫌いじゃないよ。その強がりが一枚一枚剝がされてゆき、最期に『殺してくれ!』って懇願する様を見るの、嫌いじゃない」
満面の笑みで、冷たい目で、金塔は言う。
「案外冷静なんだね。あの人と切り離されて、もっと焦ると思っていた」
探るような目付きだ。戦いはもう始まっている。
相手の思惑を掴み、最適な対応をする。
そして敵の意図を潰し、有利な状況を作る。
闇雲に力を振るうだけが戦いじゃない。
「生憎だったな。つぐみは今、一人じゃない。頼りになる守護者がついているんだ。……だからこそ貴様らはつぐみの確保に動いたんだろう。その身に超常の萌芽を宿し、その手に超越の力を握る。雷豪 四柱といえども、少し荷が重いんじゃないか」
金塔の眉がぴくりと上がる。
「そっちこそ見くびらない方がいいわ。如何に異能の者だろうが、キンちゃんの敵じゃない。『鬼切丸』の異名は伊達じゃないのよ」
お互いの強がりが交差する。どちらも引く気がない。
「惚気はこの位にしておきましょうか。お互いのパートナーへの信頼は良く分かった。あとは貴方と私、どちらが先に応援に駆け付けられるか……勝負!」
金塔は両手を背中に廻す。
背中から、禍々しい武器が現れた。
巨大な太い剣、そして短く鋭い剣。二本の剣が現れた。
「いっくよ――」
双剣を携え、金塔が迫ってくる。
舞うような動きだった。
美しく、余分な物が削ぎ落とされた、感動を与えるような動きだった。
古より、『武道』と『舞踊』は同一であった。
足運び、中心線の取り方、突き詰められた力を解放する所作は、機能的であり魅せる物であった。
先程のステージで舞う姿と、今ここで武を振るう姿は、同一であった。
長剣で斬りつけてくる。
槍でそれを薙ぎ払う。
金塔はくるりと回転し、肉薄し、短剣で俺の喉元を突いてくる。
身を躱し、すんでのところで避ける。
気の抜けない攻防が続いた。
「信じらんないなっ。三か月前までずぶの素人だったんでしょ。なに、この馬鹿みたいな成長曲線は!」
金塔は呆れたような顔をする。
「……俺は物覚えが悪くてな。これはひとえに膨大な経験による賜物だ」
「意味わかんない……」
金塔は大剣を振るう。
しかしその間合いは、槍に及ばない。
俺は自分の間合いを保ち、槍を突きだす。
「あっま―いー」
金塔の大剣が伸びてきた。俺の槍よりも長く。馬鹿なッ。
槍で大剣を打ち払う。
だが大剣は曲線を描き俺に迫って来る。蛇の鎌首のように。
やばい! すべての力を脚に込め、横っ飛びで退避した。
「ちぇっ、仕留めそこなったか」
そう悔しそうに呟く彼女の手には、異形の剣が握られていた。
剣身が切先から柄にかけて10程に割れている。その断片は宙に浮き、その間を鋼線が結んでいた。
三節棍みたいな物か。
シュルシュルと音をたて断片は収束し、元の剣へと戻ってゆく。
「タネは分かったようだねっ。けど対応できるかどうかは別物。いっくよ―」
俺は違和感を感じた。
このトンデモ武器がどうこうでは無い。
金塔の振舞いがだ。
これは、純粋な戦士だ。
『人形遣い』、金塔はそう名乗った。
『人形』とは何だ。あののっぺらぼうか? 羽月や柚月や木羽たちの紛い物か?
いや違う。あいつ等は自分の意思で行動する、独立した存在だった。
『糸操り人形』ならまだ分かる。
だが『手操り人形』ではニュアンスが違う。
操り主と一体かどうか。これは大きな違いだ。
……言葉は、大切だ。
その意味に、存在が集約される。
その名に近づこうと、魂が引き寄せられる。
「何を考えているのかな――。戦闘中はよそ見厳禁!」
金塔の多節剣が唸る。
俺は槍を短く持ち突進して行く。
蛇の顎が俺に襲いかかろうとしていた。
だがそれは俺に届かない。
複雑に見える動きだが、力の出処は一つだ。それは連結している。
そして襲いかかる剣は、曲線の動きをしている。
曲線はたわみを生み、安全地帯を発生させる。
俺は飛び石を渡るようにそこを辿り、金塔に近づいて行く。
「くっ!」
金塔は追い詰められたように小剣を振るう。
だが大剣と分散された力は、俺の槍に及ばなかった。
穂先が光を放ち、金塔の顔に線を描いた。
ぽとり。
斬り裂かれた鼻から上の顔半分が、地面に落ちる。
終わった。さあ、つぐみの所に向かおう。
俺は踵を返そうとした。
「いっけないな―。デート中に他の女のとこに行こうなんて」
残された顔の下半分が言葉を紡ぐ。
「お楽しみは、これからだよ!」
彼女は武器を構える。
馬鹿な! 如何なる生物だろうと、頭を切り離されて動ける筈がない。
落ち着け、状況を精査しろ。
目よ、耳よ、鼻よ、舌よ、肌よ、働け! 鋭く、深く。
――眼に、何かが映った。
細く、鈍い、光の糸が、幾筋も彼女に繋がっていた。
俺は糸の先を見詰める。
糸は、壁の向こうから伸びていた。
「そういう事か――」
聖槍を振るい、糸を断ち切る。
あれだけ猛威を奮っていた金塔が、力なく倒れた。
糸が再び金塔に伸びて来る。
俺はそれを切り落としながら、糸の源へと駆けた。
糸を発している壁に辿り着く。
槍に魔力を込め、壁に突き刺す。
ガラガラと音を立て、壁が崩れる。
もうもうと舞い上がる土埃の向こうに、隠された部屋が現れた。
実験室みたいな部屋だった。
何十台ものモニターが、壁一面に設置されている。
そこにはさっきまで戦っていた場所が、色々な角度から映されていた。
これが金塔が見ていた世界か。
「あ~あ。バレちゃったか」
合成された、機械的な声が部屋に響く。
明るく、闇に染まった、聞き覚えのある声だった。
俺は声のする方を見やる。
そこには直径1メートル程の、培養液で満たされた円柱型の水槽が鎮座していた。
その中を見た瞬間、俺は吐き気を催した。
培養・肥大化された巨大な脳が、俺を見下ろしていた。