鏡花水月
『不落堅城』、水瀬 羽月。
『必滅炎帝』、火野 柚月。
五行家における『守』と『功』の最高峰と謳われる二人。
戦闘力だけで言えば、当主である父親達よりも上だ。
生まれた時から、その身に宿す超自然の力は尋常な物ではなかった。
五行家に於いて『月』の名を冠するのは、特別な意味を持つ。
真理の見えぬ暗闇で、その光を照らし導きたる存在―『月』。
『神』とも謂える『太陽』、その代理人たる意味を持つ。
この二人はそれを許された人間だ。
『芽衣』―これからの成長に望みを託した私とは違う。
小さい頃は「なんで羽月姉さまや柚月ちゃんと私は名前が違うの?」と言って大人を困らせたものだ。
尋ねられた大人たちはみな一様に困った顔をして「二人は最初に生まれた子どもだからね」と笑って誤魔化した。――幼心にこれは聞いてはいけない事だと感じた。
「芽衣」―この名前も嫌いではない。
芽吹くように、優しくみんなを包み込むように、守るようにとの願いが込められた名前だ。
それでも二人の横にいると、みすぼらしく、情けない気持ちに襲われた。
二人は私にとって眩しい光であり、深い影を落とす存在だった。
いま私は、そんな二人に対峙している。
「堅塞固塁」
羽月姉さまが分厚く高密な防御壁を張る。
「加具土乱舞」
柚月ちゃんが何体もの紅炎の竜を放つ。
私はなす術もなく逃げまどう。
「芽衣~。逃げてばっかりやっても埒が明かへんで。こんな所でぐずぐずしとってええの。あの二人んとこ行かへんでよろしおますの」
煽るように柚月ちゃんが言う。
落ち着け、焦るな。勝利への道筋をしっかりと追え。私は自分に言いきかす。
「……効かないわね。痛い所を突いているはずなのに動揺をしない。柚月、もっと違う方向から責めてみて。そうすればあの子は我を忘れ、自滅する」
「了解。あの子のことはうちが一番よう知っとります。……一番近くで見てきたんやから」
この二人の怖いところがこれだ。
その絶大な力に驕ることなく、それを活かす方法を常に模索している。
だがその領域では私は負ける気がしない。
みすぼらしい自分がどうすれば輝けるのか。それをずっと追い求めてきたのだから。
「ちょこまかと、見苦しい真似しんときや。水瀬の名が泣いてますで。羽月姉さまの前で恥ずかしおまへんの」
さすが柚月ちゃん。私の拘りをよく知っている。
だが今の私は、そんな物どうでも良くなっている。
……あれは、昔の柚月ちゃんだ。本物の柚月ちゃんなら、その気持ちは十分知っているはずだ。
「……なんやの、その冷めた目は」
柚月ちゃんは戸惑いの声をあげる。
そろそろ頃合いか。私は動きを止める。
「ようやっとやり合う気になったようね。それでこそ貴方らしいわ。逃げまどうだけなんて、貴方らしくない」
羽月姉さまが嬉しそうに口元をほころばせる。
「羽月姉さま、気を付けて。こいつ、いつもと違いますで。怒りの炎が微塵もあらしまへん。氷みたいに、冷静や!」
やっぱり柚月ちゃんは柚月ちゃんだ。私のことを、よく解っている。
「羽月姉さま、柚月ちゃん、よく見ておいてね。これがあなた達に憧れ、もがき、挫折して……それでも諦めきれず研鑽した末、ようやっと得たものです」
私は幼子が自らの成長を示すように、誇らし気に言った。
「集え、戦乙女!」
私の雄叫びと共に、九体の人型が現れる。
羽根飾りの兜を被り、銀色の甲冑を身に纏い、槍や剣や斧を携えていた。
煌めく黄金の髪をたなびかせ、翡翠のように深い緑の目で目標を捉える。
「冥府に導け!」
私の号令で、羽月姉さまと柚月ちゃんに襲い掛かる。
「イージスの盾!」
羽月姉さまが術を構築する。
如何なる攻撃も撥ね返す、絶対の防御壁だ。
だが、相性が悪かった。
「何故? なんでイージスが削られてゆくの!」
信じられないと、羽月姉さまは悲鳴をあげる。
「こいつらは、半分精神生命体。姉さま、あなたの盾と同根です。本来ならば精神生命体同士がぶつかっても反発するだけですが、こいつらは半分物質でもあります。凄く不安定な存在なんです。因子崩壊寸前の存在なんです。そんな物に接触したらどうなるか。因子崩壊に巻き込まれ、存在出来なくなります。まあ、構築するのに複雑な魔力設置を施し手間取りましたが。……『陰中の陽』の私に相応しい術でしょう」
少し投げやりに私は言う。
「芽衣、あなた……」
気遣うように羽月姉さまは声を掛けてくる。
「誤解しないで下さい。私は自分を憐れんでいません。『陰中の陽』の何が悪いのと言ってくれたのは、姉さまじゃないですか。そのままの私を認めてくれたのは、あなたじゃないですか。……だから私はここまで来れました。あなた方とは違う場所だけど、ここまで高みに登れた。ご覧ください、姉さま。あなたの妹の、生き様を」
私はすうっと息を吸い込み、目を瞑る。
これまでの思い出が甦る。
辛かった修行。悪意なき中傷。侮蔑の視線。
だがそれに耐えれたのは、この二人の親鳥のような無条件の愛情があったからだ。
目を開く。
愛しい二人がいる。
本物ではないのかもしれない。
だがそんな事は関係ない。
この存在こそが羽月姉さまであり柚月ちゃんなのだから。
「『ラーズグリーズ』―計画を壊す者!」
私は高らかに唱えた。
ヴァルキリーたちは一斉に突進し、イージスの盾に衝突する。
ヴァルキリーもイージスも、光の粒へと還ってゆく。
眩い閃光が放たれる。……終わった。
閃光が消え、私は一人暗闇に取り残される。
「ありがとうございました!」
私は虚空に向かい、深く一礼をする。
俯いた顔からぽたぽたと、いつまでも涙がこぼれていった。