シャル ウィ ダンス
「助太刀、いるかい?」
蜘蛛の糸のように、天から救いが降りてきた。
これは、掴んでもいいのか。
「あんたは、敵に回ったんじゃないのか?」
俺は確かめるように、縋るように訊ねる。
「……僕の事情を聞いたようだね。僕は確かにそこの人に恩がある。けどね、それとこれは別なんだ。信義に応える人間になれ、僕はそう育てられた。そう生きる事が、本当の恩返しになると思うんだ。胸を張って『貴方に育てられ、こんな人間になりました』と報告をしたい。それを貶めるのは、裏切りだ」
怯みの無い、真っすぐな目で語りかけて来る。
ああ、これは本心だな。
「わかった。たのむ、力を貸してくれ。俺は、つぐみを助けたい!」
俺も本心で答える。
「OK、了解した。僕は、あの厄介なおじさんを抑える。その他大勢は、西條が何とかしてくれるだろう。樹くんは僕たちに構わずつぐみさんの許へ行け。彼女は地下一階のMRI室にいるはずだ。途中邪魔が入るだろうが、今の君なら問題ないだろう。……あきれるね、ちょっと前とはまるで別人だ。こんな短期間でここまで変わった人間、これまでお目にかかった事はないよ」
清原は探るような視線を向ける。
「前の俺は、数千年前の俺だ」
「……そうか。君がそういうのなら、そうなんだろうね」
清原は、説明ともいえない俺の言葉に頷く。
「さて、方針も定まった。西條、そっちはいいか?」
「無論。……各自、散会。フォーメーション『デルタ』。樹くんの進路を確保せよ!」
西條の号令と共に保安員たちは三人一組となり敵に向かい、陣をこじ開け、地下へと続く道を切り開く。
「あなた達の力には及ばない。けど、数でゴリ押しする奴らには負けはしない。私たちも、それなりにやるのよ。分かったら、さっさと行きなさい。……間違っても、振り返るんじゃないわよ」
西條は明るく、しかし何か決意したかのような口調で言う。
俺は何度もこの声を聞いたことがある。
死を覚悟し、味方を逃がす為に殿を務める者の声だ。
「また、後で……会おう」
俺の言葉に、西條はふっと笑う。
「当たり前じゃないの。この後、夏のコミケで落とした楢崎の新刊を作らなきゃいけないのよ。リタイヤしたら、あいつに呪い殺されるわ。あんたにも手伝ってもらうからね!」
「俺にそっちの素養は無いんだが……」
「インスピレーションが湧いたの。あなたと清原でリーマン物作るわ。先輩を誘い受けするワンコ系後輩……いいわ!」
敵は、ここにも居た。
「さあ、さっさと行った」
西條は俺の尻をぱんと叩く。
わざとこうやっているんだろう。俺に心残りをさせない為に。
俺は彼女の想いを受け止め、飛び出した。
◇◇◇◇◇
「……行かせて、よかったのかい」
僕は飛び出していった樹くんを見送る西條に声をかける。
「いいも何もないでしょう。つぐみさんを救出する。その目的にはこれが最適解じゃない」
西條は少し苛立った声をだす。
「そういう意味じゃなくてね、……もし君が樹くんと一緒に行ったら、展開が違ってくるんじゃないかと思ったんだ。一つの目的に向かって命を預け合う男女。吊り橋効果もあって、ロマンスが生まれるんじゃないかな。このままだと、囚われの姫君を助ける王子様の物語になってしまうよ」
西條は「はあっ?」という顔で僕を睨む。
「馬鹿馬鹿しい。そんな小細工はしません。やるなら真っ向勝負です。大体その理屈なら、私とあなたでロマンスが始まるの?」
僕はぷっと吹き出した。
「そうだな、ありえないな。……さあ、お仕事といきますか」
「そうね、さっさと片付けて『キヨ✕イツ』の構成を練らなくちゃ」
「……あれ、冗談じゃなかったの」
「マジだけど」
僕は、這い寄る恐怖の足音を聞いた。
戦況は、僕たちに傾いた。
西條の采配は的確だった。
前線のラインは綻びを見せない。少しでも押され始めるとすぐさま援軍を送り交代させ、交代し復活した隊はまた新たに救援に向かう。いわゆる『車掛』の陣を行った。
指揮官の判断次第で愚策にも妙策にも成りえる物だ。
どうやら西條は名将に属する人間だったらしい。
数の力で持ちこたえてはいるが、敵はじりじりと前線を後退させてゆく。
「さて、そろそろ出番かな」
戦線を見やる。後退する敵の中で、一か所だけこちらに突き進んでくる所があった。
「雑兵に構うな。目標、敵指揮官。西條の小娘を屠れ。あいつがいなければ、この様な連動性は無い。敵戦力は半減する。そうなれば、後は殲滅戦だ」
そう言いながら突進して来る一団があった。
先頭に立つのは、我が敬愛すべき義父上だ。
その認識は正しいのだけれど、それはそのままそちらにも当てはまること。
あなたが倒されたら、そちらも瓦解するんじゃないですか。
僕は突撃して来る一団に向かい、駆けた。
「正人さん、お相手願えますか」
僕は突撃する一団の前に立ち塞がる。
「宗信か。儂の前に立つ……か。もう一度言う。儂に与せよとは言わん、だが邪魔はするな。……退け」
僕はくすりと笑う。
「そういう訳にいかんのは、よくご存じでしょう。『はい、そうですか』と唯唯諾諾と従うような人間に育てた覚えはないでしょう」
「まあ、そうだな。仕方がない、昔の自分がやった事は自分で始末をつけなけくちゃいけねえな」
正人さんは持っていた刀を鞘に収め、横の部下に預ける。そして代わりにガントレットを受け取り、装着する。
「いいんですか、剣を手放して」
「あの兄ちゃん相手なら剣が有効だろうが、お前相手ならこいつだろう。ちょこまかと攻撃を曲げたり止めたりしてくる奴には、こいつの方が対処しやすい」
ふっと笑いがでる。考えることは一緒だな。
「同感です。僕もこいつでいきます」
懐からガントレットを取り出し、装着する。
「真似してんじゃねえぞ」
正人さんはにかっと笑う。本当に嬉しそうだ。
「子は親を真似し、追い越すものですよ」
「しゃらくせえ!」
正人さんがぐっと腰を落とす。はち切れんばかりの太腿がギチギチと音をあげる。
溜めている。力を、爆発させんと溜めている。
バンッという音と共に正人さんが跳んできた。まるで砲弾のように。
くの字に腕を曲げ、うなりをあげ拳が飛んで来る。
当たったら、死ぬな。そう他人事のようにその光景を眺め、横に跳び拳を避ける。
拳は僕の居た場所を突き抜け、コンクリートの壁に当たる。
ドゴンッという破砕音と一緒にコンクリートの欠片が飛んでくる。
壁は大きくクレーターみたいにえぐれていた。
「まだまだっ!」
正人さんは素早く拳を引き戻し、ステップを踏み、僕に向き合い、拳を繰り出す。
「さあ、殺ろうぜ!」
正人さんは本当に嬉しそうに、僕に殴りかかってきた。
正人さんの拳が、僕の右横から顔面に向かって飛んでくる。
上体を屈め、ダッキングして、フックを躱す。
そしてコンパクトに畳んだ腕を、正人さんの脇腹目掛けて突き刺す。
大振りの一撃は要らない。相手の動きを止めれば、後はこっちのものだ。
決まったかと思った。だが正人さんは残った右腕でしっかりガードし、直撃を避けていた。
「まだまだ甘えな。攻撃する時は、そのリアクションを何通りも考えて、その対処法も考えてするもんだ」
不出来な弟子に教えを授けるように言う。
馬鹿言うな。あんな崩れた態勢から、あのスピードで片腕を引き寄せるなんて、誰が想像する。化物め。
「ご教授ありがとうございます。ついでにもう一つ教えてもらってもいいですか」
正人さんは訝し気な目を向ける。
「……なんで比丘尼さまを裏切ったんですか?」
空気が、凍った。
「……お前は知らんでいいことだ」
さっきまでの楽しそうな表情が霧散した。
「僕は貴方の背中を見て育った。父とも思っている。貴方は信義を裏切る人じゃない。……なにか、理由があるんでしょう」
正人さんは無言をつらぬく。
「けど、貴方は言わない。その理由は正しいのかもしれない。けれど納得できる事ではないんでしょう。だから貴方は口をつぐむ。僕たちに背負わせないように」
さっきの拳の一撃より、よっぽど堪えた顔を正人さんはする。
「僕は、貴方を止める。貴方は本当はそれを望んでいるんじゃないですか。だから僕を拘束しなかった。正直、協力を拒否した段階で処刑、最低でも監禁を覚悟しましたよ」
今思っても不思議なことだ。協力を拒否する僕を、拘束具を使わず牢獄に閉じ込めるのでもなく、個室に軟禁するだけだった。
「けれど貴方はしなかった。……貴方の胸の内にあったのは、迷いですか? それとも自分を止めて欲しいという祈りですか?」
「知ったようなことを……」
正人さんは己の弱さをさらけ出されたように、忌々しくこぼす。
「力は、それを振るう心あってのもの。心が曇れば、拳も鈍る。そう言ったのは貴方でしょう。今の貴方には、負ける気がしません!」
哀しそうな、眩しいものを見るような目を正人さんはする。
「……決着をつけよう。儂の人生の、お前の生き方の」
正人さんはそう言って拳を握り、構える。
その構えは、すべてを物語っていた。
一撃にすべてを懸け、防御を、命を、一顧だにしない構えだ。
僕は魂が震えた。気が付けば、同じ構えを取っていた。
お互い、フッと笑い合う。
「いきます、義父さん!」
「来い、息子よ!」
うなりをあげ、二つの拳が舞った。
血しぶきをあげ、心臓に爪が突き刺さった。
正人さんは、満足そうな笑顔を顔いっぱいに広げる。
僕は、今にも泣き出しそうな顔をしている。
「見事だ、息子よ」
正人さんはどうっと地面に倒れ込む。
胸からはどくどくと血が流れている。
僕は思わず膝をつき、這うように正人さんへと向かう。
「なんて顔してやがる。お前は俺を倒したんだ。もっと誇れ。そうじゃなけりゃ、俺の生きた意味がねぇ」
今にも消えそうなか細い声で、それでも力強く言葉を発する。
「無茶を言う。……あなたは、昔からいつもそうだ」
「いい親父だろ」
「ええ、最高の父さんです!」
父の手を握り、迷いなくそう答えた。
「……ひとつだけ言っておく。過去のしがらみに囚われるな。過去は所詮過去だ。未来が、過去の奴隷であっちゃいけねえ。お前は、自由でいろ」
かすれるような声で、祈りをあげるように言う。
その顔はあまりに切実で、救いを求めるようであった。
「約束します。僕は、自分の信じる道をいきます。たとえ親を倒そうと、過去に恨まれようと」
父さんは、安堵の表情を浮べる。
「それでいい……」
満足気な声を残し、彼は旅立っていった。