抱擁
人はどうして、こんなにも温かいのだろう。
ふれあい、抱きしめるだけで、心の芯まで凍っていた物がみるみると融けてゆく。
兄さんは、魔法使いだ。
「もう、離さない」そう呪文を唱えるだけで、私はふるえるほどの喜びがこみ上げてくる。
抑えることが出来ない喜びに、私は強く抱きしめた。
もう言葉は、いらなかった。
互いの存在だけで、充分だった。
抱きしめ鼓動を感じ、口づけ、柔らかな優しさに浸る。もうそれ以上は、いらなかった。
静かに重なり合う私たちに、虫の鳴く声が雨滴のように降り注ぐ。
花火のように飛び散った星が、私たちを見つめるように光を投げかける。
世界のすべてが、祝福の声をあげていた。
兄さんに抱えられ、光眩しい境内へと帰って来た。
そこに、懐かしい姿が見えた。
ナギさんと、西條さんがいた。
二人は私の姿を見ると、驚愕の表情を浮かべた。
驚愕はやがて歓喜に変わり、信じていいのかと戸惑いに変わってゆく。
「つぐみ……なのか。ほんとうに、つぐみなのか……」
ナギさんが目に涙を湛え、私に呼びかける。
「帰って……きました。ただいま!」
万感の思いを乗せ、力強く答える。
横では西條さんが溢れる涙を拭おうともせず、何度も何度も嬉しそうに頷いている。
みんな、ありがとう。
「よかった……よかった。ほんとうに……よかった。よかったな、樹。つぐみが帰ってきて……」
ナギさんは、同じ言葉を繰り返す。だがその言葉は、色々な感情に綾なされ、温かかった。
「そうじゃ、水瀬にも知らせてやらねば。あいつ、飛び上がって喜ぶぞ」
「それは、今晩は止めておいた方が……。明日、夜が明けてからにしましょう」
ナギさんの言葉に西條さんが待ったをかける。
「なぜじゃ。少しでも早く教えてやるべきじゃろう」
「……本来ならね。けどあの娘、いま島にいるんでしょう。この知らせを聞いたら、どうなると思います? 一 刻も早くつぐみさんに会おうとするでしょう。……いま何時だと思っているんです。こんな夜中に船は出せません。あの娘が朝まで大人しく待っていると思います? 下手したら泳いで帰ってきますよ」
ナギさんは「うーん」と腕組みをし、思案する。
「そうじゃな、明日にしよう。後で怒られても、儂は知らん!」
「まあいいですけど、こっちに押しつけても。島の従業員から、あの娘を引き留める為の過重労働を訴えられる事に比べれば、遥かにマシです。……けど私、言いますからね。最終判断は比丘尼さまがしたって」
「あはは……」「うふふ……」乾いた笑いが二人で交わされる。
「水瀬は……無事なんですか?」
私は不安に駆られ、聞く。
あの娘は、最期まで闘っていたんだ。私みたいに逃げ出したりせず。心の傷は、想像もできない。
「無事……とは言い難いの。壊れておる。生の苦しみに堪えかね、死の縁に身を置き、紛らわせておる。じゃから島に行かせた。剣斗に会い、立ち直させるためにな」
やはりそうか。何千年もあんな世界を漂ったんだ、ただでは済まないだろう。
「柚月ちゃんは……どうなったんですか」
私と同じように魂を失った仲間のことを問う。
「柚月は今、五行家におる。命に別状はないが、意識が戻らん。……お主と同じじゃ。儂らの許で治療したかったが、火野家からの強い要請があってな。柚月の父親である火野家当主とも会ったが、唯々娘の身を案じておった。儂らの心配もよく理解し、何かあれば連絡すると約束してくれた」
私は心が締めつけられた。柚月ちゃんも、あの煉獄のような場所にいるんだろうか。
「なに、心配はいらん。水瀬の奴、お主の顔を見たらケロッと元に戻るじゃろう。柚月も、お主が帰って来たように、必ず帰って来る。……お主に出来たことを、あの娘が出来ないはずがない!」
にかっとナギさんは笑う。久々に見る、太陽みたいな笑顔だった。
帰って来たんだ。私はそう実感した。
「今夜は、俺とつぐみの二人きりにして欲しい」
宿舎に案内され私たちだけになると、兄さんはいの一番にそう言った。
兄さんの言葉にナギさんと西條さんが顔を見合わせる。
「お、おう。…………あまり無茶はせんようにな」
私はナギさんの台詞を反芻する。
遅れてボッと顔が赤くなる。そう云う意味よね。
「今更だな。俺とつぐみ、何千人子どもを作ったと思っているんだ」
兄さん、言い方!そりゃそうだけど、乙女の恥じらいを理解して。
「大丈夫?何か月も寝たきりで筋力も低下しているでしょ。……パートナーの無理な要請は、拒否してもいいのよ、最近は」
西條さんが心配そうな顔でそっと語りかける。
「……心配いりません。魔力を身体に通すことが出来ます。筋力が無くても、動くことに問題はありません」
「そう、無茶はしないでね」
無茶ってなに? どんなことをするの? 私は羞恥に身悶える。
「……お風呂、用意してください」
数多のシミュレーションの結果、私は譲れぬ乙女の主張をした。
女性陣ふたりは、「うんうん」と頷く。
私はこの世界における初陣に臨む事となった。
◇◇◇◇◇
「お待たせしました」
湯気が立ち昇る艶やかな姿で、つぐみは部屋に入って来た。
純白でフリルがつきシースルーで胸元が開いた、ワンピースのナイトウェアを纏っている。
清楚で妖艶な出で立ちだ。ナギと西條のガッツポーズが目に浮かぶ。男の悦ぶツボをよく心得ている。
「ちょっと大胆でしょうか?」
小首をかしげ、可愛い口調で尋ねてくる。
つぐみが動くたび、露にされたこんもりとした胸が揺れ、俺の感情をかき乱す。
俺の身体の中で荒々しいものが血管にそって駆け巡る。
何ものも犯すことの出来ない新雪のような白い肌が、衝動と抑制をかきたてた。
つぐみはゆっくりと俺に近づいて来る。
俺の手を握り、俺の目を見つめた。
「なんとか言ってください……」
その言葉は震えていた。目は不安を帯びていた。真摯な気持ちが伝わって来た。
「私を……受け入れてください」
つぐみは俺の首の後ろに手を回し、ちゅっちゅっと鳥が啄むように口づける。
思わず笑いそうになる。その愛くるしい行いに、精一杯の愛情表現に。愛おしさが、込み上げて来た。
俺はつぐみの後頭部を手のひらで掴み、ぐっと引き寄せる。
唇が強く重なり、ぐにょりと押しつぶされる。
僅かに開いた口に舌をねじ込み、つぐみの中に入れる。
その中は温かく、ねっとりとしていた。
奥へ奥へと押し進め、つぐみの舌に触れる。とろけてしまいそうな柔らかさだった。
つぐみは目を見開き、驚愕の表情を見せる。
二人の舌は、巻き付くように絡み合う。
つぐみは俺の行いに制止をするような素振りも見せず、目を瞑り、身をゆだねた。
そして顔を赤らめ、火照った表情を浮かべ、上ずった声で囁く。
「兄さん、私のすべてを受けとってください。……これまで色んな世界で結ばれたかもしれません。けれどこれは違うんです。混ざりっけなしの、正真正銘の私なんです。兄さんと結ばれることをずっと夢見てきた私なんです。……私のすべてを、感じてください」
脳みそが、溶けるかと思った。
甘く、激しく、痺れる言葉だった。
その言葉の海に溺れたいと思った。
「本当はこんなガリガリな身体じゃなく、もっと最高の私を差し上げたかったんですけど……ごめんなさい」
つぐみは申し訳なさそうに目を伏せる。
俺はつぐみの顔を少し離す。つぐみは不安そうに目を開け、俺を見つめる。
俺はくすっと笑い、つぐみの額をぴんと指で弾く。
「ばーか。これだから自覚のない奴は始末に負えん。いいか、お前はいつだって最高なんだ。痩せた、太ったなんか目でもねえ。そんなもん誤差の内だ。お前という魂がそこにある以上、その存在は揺るがない。お前は、絶対の存在なんだ」
俺は嘘偽りのない気持ちを語る。
つぐみは顔を綻ばせ、嬉しそうに言う。
「恋は盲目とはよく云ったものですね。……そうですか、兄さんは私に恋しているんですか」
悪戯っぽい目で俺を見つめる。
「そうだよ、今頃気が付いたのか。……で、お前はどうなんだ?」
俺の問いにつぐみは熱っぽい瞳で答える。
「決まっているでしょ。私の心はずっと昔から兄さんのものです。この身体を兄さんに捧げる日を、ずっとずっと夢見ていました!」
俺はその言葉に震えた。つぐみの背中に手を回し、強く抱きしめる。
「一つになろう。家族を作ろう」
俺の言葉に、つぐみはこくりと頷く。
夏の夜、虫の音が響く中、夜露に濡れる草の匂いに包まれて、……俺たちは、結ばれた。