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血塗られた手

黒い球体は、どんどんと大きくなっていく。

最初は直径二メートルだったのが、今や30メートルにも膨れ上がった。

そして後方の兵士達の命を吸い上げるにつれ、なおも膨張してゆく。

あの中に、如何ほどの命が集められているのだろう。


「ジョチ、やめろ。もうこれ以上、(あや)めるな」


兄さんが悲痛な声をあげる。

我が子の虐殺を目の当たりにする。これ程心を(えぐ)ることも無いだろう。


『父上、これは命を刈り取っているのではありません。新たな生命体へと変換しているのです。元来、命は一つであったはずです。そこには己の不遇を嘆くことも、他者への羨望も妬みもありませんでした。……ただ生を謳歌し、日々を安寧に過ごす、それだけでした。それがどんなに輝く黄金か、お分かりですか?他者との違いが、成長を、進化を促す。そう仰るかもしれません。けど、進化ってなんですか?あくまでも生き延びる為の手段でしょう。何のために生きるんですか?進化し、より優れた生命体になるためですか?幸せに生きるというのが目的じゃないんですか?……私たちは、神の実験動物ではありません』


ジョチは昂る感情を吐き出すように語る。


『ここには、傷つけるものは存在しません。この中では、皆一つとなり、寄り添い、繋がり、生きる歓びだけを享受しています。個とは、容器(いれもの)なんですよ。それを取っ払い、一つとなった。……ここは、楽園です』


私たちは言葉を失う。

確かにそれは一つの理想郷だ。

……だが、だが、認められない。


「ジョチ、あなたの言うことは正しいのかもしれない。けど、ならば何故神は命を枝分かれさせたの?一つの命が最適解ならば、何故こんなにたくさんの命が生まれたの?そこには理由があるはずよ。命の歴史を軽くみないで!」


私は反論する。

理屈は分からない。けれど千の世界を見てきたこの身には感じる。

神の苦悩を。どうにもならない世界を救おうとする足掻きを。

多分、神自身が正解を見つけられていないのだろうと。


『神の思惑など知りません。私は自分の信じる道を行くのみ。【あなたの信じた道を進みなさい】と言ってくれたのは、母上ではありませんか。正誤が問題なのではありません。成った世界、それが正しいのです』


もうこの子は私の手を離れている。一つの独立した存在だ。私は実感した。



黒い球体は高く空へと翔け上がる。そしてジャムカの兵が陣取る後方へと退却する。

戦いを避けるのか。そう思ったが、それは甘かった。

球体から無数の鞭が伸び、味方であるはずの兵を突き刺し、命を吸い取ってゆく。

超自然の存在が味方し、勝利に酔いしれていた敵軍は、地獄へと突き落とされた。

泣き、喚き、逃げ、それでも無力に黒い球体の一部となってゆく。

砂となり舞い上がったそれは、怨嗟の念に塗れていた。


この広い砂漠に、ジョチと私たち三人しか、生きる者はいなくなった。





「どうします、樹さん。ここまで来ると、もはや生命体の域を超えています。一つの独立世界線ですよ、これは」


水瀬が悲鳴のような声をあげる。


「確かにこんな存在にはどんな干渉も効かないだろう。ジョチの存在を切り離して、核となる物が無くなれば、なんとかなるんだが……」


「あの中からジョチの因子を取り出せと?この砂漠から、一粒の砂を取り分けるようなものですよ。イェスゲンがいれば何とかなったかもしれませんが……」


水瀬の指摘に、兄さんは唇を噛みしめる。

水瀬も自分の掌に爪を突き立てるように強く握っている。

無力感と絶望が支配していた。




「私がやります。イェスゲンの代わり、私がやります!」


私の名乗りに、二人は仰天する。


私は魔力が少ない。術式も上手く構築できない。

そんな私を、「小さい頃から五行家で訓練を重ねたわたし達と同じ事をされたら、わたし達の立つ瀬がありません」「お前の英雄(ヒーロー)になるという、俺のささやかな夢を奪うつもりか。俺の生きがいを奪うんじゃねえ」と、この二人は慰めてくれた。

だが、今は違う。私には、大きな力が有る。



「私の、『白き牝鹿(コアイ・マラル)』の力を使います。ジョチは、まだ純粋な『蒼き狼(ボルテ・チノ)』に成り切れていません。白き牝鹿の因子を残しています。それを辿れば、核となるジョチの因子を突き止められます。……私なら、それが出来ます」


これが、私とあの子の繋がり。今の私の力。

振える力があり、目的があるのなら、使わないという選択はない。



「神の因子を活性化させる。それがどういう意味なのか……わかっているのか」


兄さんは言いにくそうに、口ごもりながら言う。

その事を長い時間をかけ、じっくりと行ってきた兄さんだからこそ、その危うさを熟知している。


「ええ。超常の、始原の、自然界の存在に純化してゆく。人の世界から離反していく行為です。……けどね、兄さん。私は何も恐れていません。だって、兄さんがいるじゃないですか。兄さんがいる限り、私はどこへも行きません。巨大な碇なんですよ、兄さんは。どんな嵐だろうが私をしっかりと繋ぎ止め、決して流されることはありません。兄さんのいる場所が、私の世界なんです。神様ごときに引き剥がされたりしませんよ」


神に近づくというのは、人との繋がりを断ち切ること。一足飛びに行えば、『私』という存在が『世界の(ことわり)』に飲み込まれてゆく。

だが私は信じている。

兄さんへの想いを。この揺るぎない愛情を。



「わかった。だが約束しろ。……必ず俺のもとに帰ってくると」


兄さんの言葉に身体が(ふる)えた。

光のように清らかな愛情が、私を包んだ。


「当たり前です。私が兄さんを一人にする筈がないでしょう。兄さんは私から逃げられないんですよ、知らなかったんですか」


私は感動に震える心を押し隠すように、少し怒ったような声で兄さんに答えた。


「そうだったな。俺はお前のものだ。そしてお前も俺のものだ。……忘れるんじゃねえぞ」


「はい!この命にかけて!」


私たちは、一つに融け合わんとばかりに強く抱きしめ合った。






「姉さま、気休めかもしれませんが、これを」


水瀬が私に『アイアスの7層の盾』をかける。これは今の彼女が出来る、精一杯の支援だ。


「行け。邪魔は俺がさせん!」


兄さんは弓を引く。(はず)(つが)える右手には狼の因子が込められている。


「行ってきます。必ずジョチを連れて……帰ります」


私は『白き牝鹿』の因子を脚に込める。

突風のように、駆けだした。






「廻れ廻れ 水車(みずぐるま) 遅く廻りて (せき)に止まるな 堰に止まるな

風が(かすみ)を吹き払うて 今こそ 牝鹿に 逢うぞうれしや 逢うぞうれしや

国からも 急ぎ戻れと 文が来た おいとま申して いざ帰ろう」


幼い頃に聴いた唄を口ずさむ。

大丈夫だ。私は飲み込まれたりはしない。兄さんとの絆は、やわじゃない。


黒い鞭が迫ってくる。

表面が眩い光を放っている。

荷電粒子が光速で振動し、チェレンコフ放射を起こしているのだ。

あれに触れたらひとたまりもない。

だが心配はいらない。


後方から狼の因子を纏う矢が飛来してきた。

矢は鞭に突き刺さり、薄紙のように引き千切ってゆく。

兄さんは何時も私を守ってくれる。


僅かに残った鞭が襲いかかる。

しかし私に触れることは叶わぬ。

七色に輝く盾がはじき返す。

ありがと、水瀬。あんたは最高の後輩よ。




黒い球体に肉薄(にくはく)した。

瞳に『白き牝鹿』の因子を集め、その中を探る。

ジョチは何処(どこ)なの。私は目から血を流しながら追い求めた。




球体の中は地獄だった。

肉体を焼かれ、引き裂かれ、それでも死ねずに断末魔の悲鳴を延々とあげる。

そこには死という救済は無かった。

無限の苦しみだけが存在した。


だがその苦しみから逃れ得るものが出てきた。

自身の存在を放棄し、意思を投げ出し、中央の眩い光に身をゆだねる。

苦しみからも、喜びからも離れてゆく。

そして光はどんどんと大きくなっていった。


これがあの子が望んだ世界だというの。

嘔吐のような感情が込み上げた。



私は光を見つめる。

そこに懐かしい匂いがした。

手に神の因子を集め、光を払い除け、その源へと進んだ。






「やーい。穢れた子。よそ者(ジョチ)。メルキトの落とし子」


一人の子供を囲み、囃し立てる子供達の光景が映し出されていた。

子供達は、私たちの部族の服装をしていた。

そして囲まれているのは、あの子だった。


「それは違うって言っただろう。クリルタイでも、そんな事は無かったって認められたじゃないか!」


口から血を流しながらあの子が反論する。

顔には痣が出来ている。

おそらく大勢に暴行を受けたのだろう。

だがあの子はそんな事はまるで気にしていない。

ただその名誉が傷つけられた事に憤慨している。


「クリルタイねぇ。あんなもん、強いもんの思うがままだろうが。テムジンさんの力が強いから今はそうなったけど、その力が衰えたら結論は変わるぞ。……俺たちは、お前をカン()とは認めない。その時が来たら、事実は逆転する!」


蔑むように言い放つ。


「その日まで、せいぜい楽しんでおくんだな」


捨て台詞を残し、子供達は去って行った。


残されたジョチは拳を握りしめ、大地に叩きつけ、涙を流し、四つん這いになりながら呻いた。


「僕が、僕がいるから、母さまが侮辱される。メルキトの慰み者と蔑まれる。何とかしなくちゃ。与えられたこの命を使っても、父さまと母さまの名誉を守らなくちゃ」


この子は……優しい。自分への侮蔑は一顧だにせず、私たちのことだけを(おもんばか)っている。


「侮辱する奴らに、分からせなければ。父さまと母さまの素晴らしさを、正しさを分からせなければ。……どんな手を使っても……」


ジョチの目は何かに取り憑かれたように、暗く濁っていった。






次の光景が映し出される。


「よう、ジョチ。いよいよ初陣だな」


ジャムカだ。あの男が親し気に呼びかける。


「ええ、この日を待ち望んでいました。必ず戦果をあげ、父上の子供、『蒼き狼』の息子と証明してみせます」


ジョチは激情を抑えかねるように、荒々しく息巻いた。


「その意気だ。それでこそ『蒼き狼』の息子だ。……だがな、『蒼き狼』に到るにはそれだけでは届かないんだよ」


ジャムカが鼻を掻きながら、思わせぶりな台詞を吐く。

この男は何を言うつもりだ……。


「テムジンがどうやって『蒼き狼』に到ったか、知っているか?メルキトの敗残兵を煮えたぎる油や湯で釜茹でにし、疾走する軍馬に踏み殺させた。……神とはな、敬われるだけじゃ駄目なんだ。怖れられなければいけないんだ。歯向かう敵には、地獄の業火さえ生温く思える罰を与えなければいけない。カン()になるには、それが必要なんだ。……俺はそこまで非情にはなれなかった」


出鱈目を言うな!それをやったのはあんたでしょう。


「……貴方がそれをやった、と聞いていますが」


ジョチが訝し気に尋ねる。


「そう伝わっているみたいだな。確かにそれをテムジンに頼まれた。だが断った。如何に敵部族とはいえ同じ草原の民、そこまでの事はしたくなかった。……だが、あいつはやった。それも俺たちジャダラン氏族の扮装をしてな。お陰で俺たちがやった事になった」


「なんでそんな事を。畏怖を求めるのならば、父上がした事にしなければ意味が無い。辻褄が合わないじゃないですか」


その通りだ。論理が破綻している。


「あいつが求めている怖れとはな、生きている者から向けられる畏怖じゃないんだ。今際(いまわ)(きわ)亡者(もうじゃ)から向けられる怨嗟なんだ。それは暗く、どろどろとしていて、だが濃密で、力強い。まるでアイラグ(馬乳酒)のように。それは『蒼き狼』の血を(たぎ)らせ、血肉となってゆく。狼っていうのは、そういうもんだろう」


地獄の原理だ。怨念が力になるなんて、この世の摂理では無い。


「お前も『蒼き狼』の息子だ。分かるだろ。あいつも何も好きこのんでそんな真似をしたんじゃない。必要に駆られてしたんだ。あいつも不遇な青春を過ごした。父を殺され、部族を追放され、辛い思いをした。だからあいつは手段を選ばない。己の名誉を守るため、愛する家族を守るため、どんな手だって使う。それを侵す者は、容赦しない。……それが『蒼き狼』だ」


ジョチは硬直する。突拍子もない話だ。だが一笑に付すには相手が悪かった。


「俺はテムジンの義兄弟(アンダ)であり、お前の名付け親だ。嘘は言わん。お前のことを思って打ち明けたんだ。お前の父や母から告白させるのは、酷だ。お前の叔父として、辛い役回りを買って出たんだ」


どの口が抜かす。私やジョチの流言(りゅうげん)蜚語(ひご)をたれ流し、ジョチを追い詰めた奴が何を言う。


だが、ジョチは信じた。信じたというよりも、縋った。

明りの見えない未来に差した一筋の光明に。

悪魔は常に獲物が望む餌を眼前に投げ込む。


「どうすれば『蒼き狼』に成れるのですか」


悪魔はニタリと嗤った。


「ナイマンの奴らを皆殺しにしろ。あいつらは敵だ。メルキトの同類だ。愛する家族を害する敵を(ほふ)る。これは正義だ」


ジョチの顔が青ざめる。

あの子が求めているのは、皆に胸を張って誇れる勝利だ。


「勝利だけではいけないのですか。獣でも必要以上の殺しはしません」


悪魔はふっと見下すような息を漏らす。


「言っただろう、怨嗟は力になると。これは『蒼き狼』に到るのに避けて通れぬ道なんだ。お前の父も通った道だ。手段の善悪に囚われるな。それがもたらす結果に目を向けろ。輝く未来を手に入れろ」


甘く、蜂蜜を塗ったような声で悪魔は囁く。

それに抗うには、ジョチはあまりに世界に愛されていなかった。


「あなたに、従います」


ジョチは……堕ちた。

悪魔の高笑いが鳴り響いた。


「それでこそ『蒼き狼』の息子だ。俺がテングリへと導いてやる」


三日月のように、口を吊り上げ悪魔は笑う。


「私は何をすれば……」


ジョチは消え入るような声で問いかける。


「怨嗟を纏え。(カイコ)が繭を纏うように。そしてロプノールへ行け」


「ロプノール、あの『さまよえる湖』ですか?」


「そう。あそこはな、特別な場所なんだ。時の流れが歪んでいる。こちらの世界の一日を、何千年もの時をかけて進む聖地がある。俺たちジャダラン氏族に伝わる秘密の聖地だ。神々の実験場跡と聞いている。……お前はそこで纏った怨嗟――『蒼き狼』の因子――を一体化させ、『蒼き狼』へと到れ。(さなぎ)が羽化するように。そしてテングリへと羽ばたけ!」


力を込め、ジャムカは熱く語る。

その言葉に嘘はない。

ただその上前(うわまえ)()ねてやろうという思惑を隠しているだけだ。


こうして虐殺への道筋は整えられた。



嗚咽が漏れた。

なぜ気が付かなかった。

なぜ防げなかった。

後悔が津波のように押し寄せた。


これは記憶だ。いまさら(くつがえ)せない。

だが、やるせなかった。

私は……どうすればいい。






「……母上……」


私を呼びかける声がする。


「こんなところまで、来たんですか……」


荒涼とした地に吹く風のような、哀しい声だった。


「……見たんですね、全部」


ジョチは燐光を放ち、悲しそうに私を見つめる。

その嘆くような声に、心臓を締めつけられるような息苦しさを覚えた。


「あなたには知られたくなかった、私の気持ちを。きっと自分を責めるから。あなたは何も悪くないのに」


苦しさの中で優しい心を失わない、この子らしい台詞だった。


「笑えるでしょう。新世界の創造がこんな気持ちから始まったなんて。……出来の悪いお伽話です」


ジョチはいまにも泣き出しそうな顔をしている。

私は堪らず駆け寄り、力の限り抱きしめた。


「あなたが悪いんじゃない。この世界がおかしいの。こんな迷宮みたいな不幸の堂々巡り、狂ってる!」


私は心の底からの叫びをあげた。

私たち二人は抱き合い、何時までも涙を流し続けた。




どの位時間が経ったのだろう。永遠にも数舜にも思えた。


ジョチは涙を(すす)り、顔を持ち上げ、私に語りかけた。


「母上、決断して下さい。私はもう後戻り出来ません。あなたは選ばなければいけません。新世界の地母神となるか、この世界の救世主となるか。……選んでください」


予想された、最悪の選択を迫られた。

私の両手は、大切なものすべてを掴み取るには、あまりに小さかった。


私は愛しい兄さんの顔を思い浮かべる。


「ごめんなさい、兄さん。約束……守れませんでした……」


頭の中の兄さんは、まるで全てを失ったかのような深い悲しみを湛えていた。

喉を詰まらせ、有らん限りの涙を流していた。

私は後ろ髪を引かれる思いでジョチの胸に飛び込み、そっとその胸に手を当てた。


「ごめんなさい、ジョチ」


私は両手に『白き牝鹿』の因子を集める。そしてその手をジョチの心臓に突き刺した。


「あなたがこれ以上罪を重ねるのを、見過ごす訳にはいけません。私がこの手で止めます。……けれどね、淋しくはないわよ。私が一緒に行ってあげるから。煉獄まで、付き合ってあげる。どこまでも一緒よ。あなたは私の愛しい子どもなんだから」


私は片手を自分の心臓に突き刺す。

ジョチは慌てて私の心臓に突き刺さった手を握り、引き剥がそうとする。自分の心臓に刺さった手には目もくれない。


「母上……あなたは馬鹿だ。こんな人類の敵に付き合うなんて。父上が可哀想じゃないですか」


「馬鹿はお互いさま。あなた、私の攻撃を避けようともしなかった。……死ぬつもりだったんでしょ」


ジョチは言葉に詰まり、目を逸らす。


「……死ぬ時は、あなたか父上の手にかかって、と思ってました」


「そう。よかったわね、念願叶って。母も嬉しいわ」


私は両手を引き抜き、血塗れの手でジョチを抱きしめる。

突き刺す刃は、もう必要ない。

終わりは、そこまで来ている。



「母上、もし生まれ変われるなら、もう一度あなたの子どもとして生まれても……いいですか」


不安気な表情で、ジョチは問いかける。

私はポカンとジョチの頭を殴る。


「むしろ、他の女から生まれると言うなら、殴り飛ばしてやる!」


ははっとジョチは笑う。


私は自分の手を見つめる。

この手が、我が子を殺した。

後悔はしていない。仕方がない事だったんだ。

だが、辛い。わが身が引き裂かれるより、辛い。

兄さんはこんな思いを、何百回も重ねてきたのか。

その事実は私を押し潰そうとする。

私は兄さんに、苦しみを背負わせすぎていた。


「ごめんなさい、兄さん。帰ることは……出来ませんでした。この子を置いて、帰れませんでした」


私は何度目か分からない謝罪の言葉を発した。


隣でジョチが眠っている。

息も立てずに眠っている。

待っててね、母もすぐいきます。




私は静かな眠りについた。


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