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やっと言えた

獣は、いや神は咆哮した。

己の力を味わうように。

空は震え、地は砂塵を巻き上げ、神の周りは灰色の膜が渦巻いていた。

圧倒的な熱量(エネルギー)が循環していた。


『解るか、これがテングリだ。……雷鳴、嵐、地震。人の身ではどうしようと抗えぬ存在、それがテングリだ』


狼が誇るのではなく、事もなげに言う。


「これが、神の力……」


イェスゲンが怯えたような声をあげる。

大自然の、人知の及ばぬ超越した力の具現化を目の当たりにしたのだ、無理もない。

だが、他の二人は平然としていた。

その(まなこ)は何かを探るように、しっかりとその奔流を見つめていた。


「解るか、水瀬?」


「はい、大体は。……まったく、わたしも大概ですけど、……あいつ、馬鹿でしょ」


兄さんの問いに、水瀬は吐き捨てるように答える。



『神を愚弄するか。強がりはよせ』


狼は侮蔑するように言う。


『超越した、人の身では理解も及ばぬ力。その結晶ともいえるのが、今の俺だ。貴様たちが足元にも及ばぬものだ』


絶対の自信を持ち、誇らしげに言う。


「……だから、馬鹿だと言うんです。あなた、その力を得意気に振るっているけど、その正体が解っているの?子供が訳も解らずよく切れる剣をぶんぶん振り回し、『すげえだろ、俺強いだろ』って言ってるみたい。……みっともない!」


水瀬は目を細め、とことん馬鹿にした口調で狼に言い切った。

狼のこめかみがぴくりと動いた。


「それ、振動でしょ!」


水瀬は断言した。


『「振動?」』


狼とイェスゲンの言葉が重なった。


「そう、振動。固有振動数を調整し、共振を発生させる。重ね合わせの原理で、強め合う干渉により振幅を増大させる。うーん、ごめん。これ以上難しいことは説明できない。イェスゲン、柚月ちゃんのアーカイブにアクセスしてみて。それで波動方程式が解法出来ると思う」


狼は呆気にとられていた。

イェスゲンは目を瞑り、自分の内なるものに問いかける。

そして数舜の後見開き、目から鱗が落ちたような表情を浮かべ、呟いた。


「カオス理論ってこういう事だったの」


狼だけが一人置いてけぼりだった。


『お前たちは、何を言っているのだ……』


そう言う狼の姿は頼りなく、小さく見えた。


「哀れだな、ジャムカ。その力を振るうお前が、それを一番解っていない」


兄さんは冷たく言い切った。

その言葉は、神の矜持を傷つけた。


『御託はいい。行動で示せ。神の力に抗えるというのなら、やってみろ!』


狼は毛を逆立て、怒りを露わにする。

その昂ぶりは雷光となり、空を震わせた。


だが兄さんたちはどこ吹く風だった。


「イェスゲン、調和振動中の波動関数を解析してくれ」


「了解。波動関数を指数関数に分解した演算結果を念話で送ります。出ました、生成演算子と消滅演算子です」


「……すごいな、お前。いくら柚月の知識を引き出せるとはいえ、そこまで詳しく解析できるのか」


「イェスゲンは自頭がいいんですよ。どこかの誰かさんとは大違いです!」


「……水瀬、そんなに自分を卑下しなくてもいいんだぞ」


「んだと、コラ」



淡々と、まるで居酒屋で注文を復唱する位の気安さで作業を進めていた。

イェスゲンが分析し、水瀬が罠を仕掛け、兄さんが仕留める。

それぞれの役割を着実に準備していた。


『巨大な力の前には、卑小な者の行いなど(ちり)(あくた)。何を企んでいるのか知らんが、所詮巨大な力の奔流にはなす術がない。己の無力さを噛みしめろ!』


その爪からは紫電が発せられていた。

口からは紅蓮の炎が漏れていた。

身体には鋭い突風が渦巻いていた。

具現化した力の結晶体。それが『蒼い狼』だった。


「傲慢だな。確かに神の力は巨大だ。だがな、今から俺たちが使うのは人の力だ。親から子へ、師から弟子へと連綿と受け継がれた力だ。それを俺たちは『科学』と呼ぶ。人類の叡智だ。それは、天にも届く。歩みを止めた兎は、歩み続ける亀にも劣ると知れ!」


『ならば見せてみよ、その叡智とやらを』


狼は一歩一歩、ゆっくりと歩を進める。

真っすぐに、悠然と。

己の進む道を阻むものは無いと示すように、意地を通すように。


兄さんはそんな狼を見据え、弓を引く。

眉間に狙いをつけ、(はず)(つる)(つが)え、右手で強く引く。

張り詰めたその姿は一分の隙もなく、凛と美しかった。


『愚かな。そんな物が俺に通用するとでも思っているのか』


狼はそんな兄さんを見て、吐き捨てるように零す。


「細工は流々仕上げを御覧じろ」


兄さんは唄うように節を付けて言い、矢を放つ。

矢は少しもぶれず、一直線に進んで行く。

狼はそれを詰まらなそうに見つめ、避けようともしない。

矢が狼の額に当たる。

かつんと固い音がして、火花が散る。とてもその身体を貫けるとは思えなかった。


『ぐおっ』


狼が悲鳴をあげる。

矢尻が額に食い込んでいた。


『貴様、何をした!』


額から血を流しながら狼が咆哮する。


「見ての通り、弓を引いただけだ。但し右手に『蒼い狼』の因子を纏い、それを利用して、分子振動の術式を矢に込めた。……それだけの事だ。別に勝ち誇るつもりは無い。注意すれば気が付いたはずだ。それに備えて、二の手三の手を用意していたんだがな。……これはお前の慢心が招いた結果だ」


ぎりりと狼の歯ぎしりする音が聞こえる。


『吠えるな!所詮ネズミの一撃、どうということはない。神に手傷を負わせたことを誇りに冥府へ行くがよい』


確かに傷は浅く、矢は表層に刺さっただけだ。


「誰がこれで終わりだと言った。お前はまた間違いを犯した。怒りをあげるよりも何よりも、まず矢を抜くべきだったんだ」


兄さんの言葉と共に、矢から光の糸が伸びてきた。数百数千の糸は絡み合い、輝く紐へと変化した。

紐は狼の全身を縛りあげ、脚で大地を踏みしめる事が出来なくなり、どすんと地に倒れた。


「どーです。水瀬お手製『グレイプニル』。あのフェンリルだってお手上げだったんです。『蒼い狼』ごときが、どうこう出来る代物じゃありませんよ」


水瀬がえへんと得意気に言う。

まあ、これは褒めてあげてもいい。


『……まだだ。所詮これは拘束するだけの物、俺の命までは奪えない。何時かこの縛めから解き放たれる時が来る。お前たちの魔力が尽きる時か、お前たちの寿命が尽きる時。時は俺の味方だ。俺にはお前たちより遥かに長い時間が残されている』


狼は縋るように、自分に言い聞かせるように吼える。

認められないのだろう、敗北を。

これだけ巨大な力を持つ自分が、卑小な存在に敗れたことを。

自分の無能を受け入れることを。


「確かに『蒼い狼』を滅することは出来ない。だがな、分解することは出来るんだ」


兄さんは痛ましそうにジャムカに語りかける。


『……分解?」


ジャムカは不安そうな震える声でオウム返しに言う。


「そう、分解だ。お前とジョチを切り離す。お前が『蒼い狼』で在りえるのは、ジョチの因子に融合しているからだ。それを切り離す。そして後天的に組み込まれた狼の因子を取り除けば、純粋なジョチを取り戻せる」


『そんなことが……』


「出来るさ!イェスゲンの解析能力を見たか。俺の狼の因子による空間破壊能力を見たか。……俺たちは必ずあの子をすくい上げてみせる!」


拳を握りしめ、輝く右手を突き出し、兄さんは誓った。

私も、水瀬も、イェスゲンも、みんな涙を流していた。




『……お前は、いつもそうだ』


ジャムカから小さな声がした。

語りかけるのでは無く、己の心から漏れる声だった。


『お前は何時もそうだった。俺がもがき、苦しみ、ようやっと手に入れる物を、涼しい顔で手に入れる』


「ジャムカ?」


兄さんが呼びかける。

嫌な空気がする。これまで幾多の世界で味わってきた、嫌な匂いだ。


『俺が7歳で出来た事を、お前は6歳でやってのけた。

俺が9歳で出来た事を、お前は7歳でやってのけた。

俺が11歳で出来た事を、お前は8歳でやってのけた。

俺は段々と追い詰められた。そしてお前が12歳になった時、俺はお前の背中を追わねばならなくなった。決して追いつけない背中を。……わかるか、俺の気持ちが』


これまでの虚飾に満ちた声ではなく、心の底から搾りだされる声だった。


『仲間たちは慰めてくれた。あいつは蒼い狼の子供なんだから特別だ、比べるんじゃない、お前は立派だと。……だがな、それはズルいんじゃないか。生まれた瞬間に決まっているなら、人はなんで生きるんだ。筋書きが決まっているなら、人生を藻掻くのは滑稽じゃないか。……ならば、ならば、奪ってやる、神の座を。この醜悪な筋書きを描いた奴の座を』


ジャムカの狼の目は血走っていた。そこには怨念が宿っていた。


『この醜悪な劇を続けるというのなら、俺が幕を下ろしてやる。神の因子も何もかも、この身と一緒に吹き飛ばしてやる!」


怒りに我を忘れ、憎しみに染まる男がいた。


「イェスゲン、解析を……。ジョチではなく、ジャムカの因子を。そしてそれを消滅させるプログラムを」


兄さんは決断した。ジャムカを滅する決断を。その背は……震えていた。

私も、水瀬も震える兄さんをただ見守っていた。


だが、一人違う反応を示す者がいた。


「イェスゲン?」


私はその者に呼びかけた。

彼女は青褪め、ガタガタと脚を震わせていた。


「何かが、暗い何かが広がってきます、狼の中で。これはジョチ、……ジョチの因子です!」


イェスゲンは悲鳴のような声をあげる。

狼の身体から、黒い(もや)のようなものが噴き出てきた。

それは狼の身体を包み込み、巨大な球体に膨れ上がっていった。


『……貴様、……何を……する……』


途切れ途切れにジャムカの思念が伝わってくる。


『ご苦労様、ジャムカ。あとは私が引き継ぎます。貴方は安心して私に同化して下さい』


『お前、……眠っていたんじゃ……ない……のか……』


『滅相もない。分析していたんですよ、この身体を。現状を正確に、詳細に分析しろというのが、親の教えでしてね。力に溺れる貴方とは違うんですよ。代役、お疲れ様でした』


『ふざ……けん……な』


ジャムカの声が、存在が、段々と小さくなり、そして感じられなくなった。



「ジョチ……なの?」


私はよろよろと近づき、問いかけた。


『ご無沙汰しております、母上。息災そうで何より』


ジョチだ。声ではないが、この思念はジョチだ。


「帰りましょう、ジョチ。あなたの罪も業も、私も一緒に背負います。……あなたは私の愛しい子です。何があろうと、私はあなたの味方です」


私は心の底から叫んだ。

例えこの子が悪魔になろうと、私は憎むことは出来ないだろう。

この子が犯した罪は許されることではない。その責は私が負う。

だが今一番大切なのは、これ以上罪を重ねさせない事だ。

止める、命に替えても。



『ならば母上、見届けてください、私の覇業を。私は築くんです、楽園を。皆が一体となり、共生する世界を』


ジョチはそう言うと身体から靄を伸ばし始めた。

靄は長く、長く伸び、巨大な鞭のようになり、後方に控える軍勢に襲いかかる。


「なんだ、あの化物は。総員、退避!逃げろ――」


兵は悲鳴を上げ、逃げ惑う。

それを嘲笑うかのように、鞭は何百本にも枝分かれし、次々と兵を突き刺さしてゆく。

刺された兵は養分を吸い取られたミイラのようになり、干からび、崩れ、砂となりタクラマカン砂漠の一部となってゆく。ここはまさに、(タッキリ)無限(マカン)に広がる場所だった。


「水瀬、グレイプニル(魔法の紐)を!ジョチを拘束しろ!」


兄さんが叫ぶ。


「駄目です。グレイプニルは消滅しています。あの黒い球体の中、中性子の縮退圧が起き、重力崩壊が加速しています。全てのものが存在を失っています。……このままではいずれ蒸発し、最期はガンマ線バーストを放出して大量絶滅を引き起こします」


絶望的観測を水瀬が上げる。

あの娘の直感が言うのだ。間違い無いのだろう。



『一方的な見方ですね。崩壊や蒸発ではありません。新世界の創造です。現世の存在が融けあい、一つとなり、新たな存在へと変貌するんです。そこには他者への妬みも憎しみも、自分への嫌悪も渇望もありません。平穏な世界です。私は楽園へと皆を導きたいのです』


ああ、この子は優しい子なんだ。

だがその優しさは自分を否定しすぎた余り、命の価値を認識出来なくなってしまった。

遊牧地を季節によって変える。そんな感覚で命を変換しようとしているのだ。



「もう一度グレイプニルを発動してくれ。俺も弓で援護する。頼む、今が最後のチャンスなんだ。これ以上エネルギーを吸収して肥大化したら、もう手に負えない」


兄さんが悲鳴のような声で水瀬に懇願する。


「分かりました、やってみます。……二分時間を稼いでください。術式構築の時間を!」


「二分だな。残りの魔力を振り絞って、やってみせる」


二人が最後の力を振り絞り、世界の崩壊に立ち向かった。



『邪魔をしないで頂きたい』


一本の鞭が、するすると地を這うように水瀬へと向かう。

術式構築に集中している水瀬、魔力を込め球体に弓を射る兄さん、どちらも反応が遅れた。


「やられた!」皆がそう思った。


蒼い空に赤い花が咲いたように、血が舞う。

大輪の赤い花だった。人生の終わりに咲かす、花火のような散り際だった。

デール(伝統衣装)を纏った女性がゆっくりと砂漠に倒れてゆく。

そのデールの色は、蒼ではなく深紅だった。

水瀬ではなく、イェスゲンだった。

水瀬を庇い、飛び出したイェスゲンだった。


「イェスゲン――――っ」


水瀬の慟哭が砂漠に響く。駆け寄った水瀬はイェスゲンを抱きしめる。


「駄目じゃない、芽衣。術式を中断しては」


微笑いながら優しくイェスゲンが言う。


「待っててイェスゲン。いま治癒魔術で傷口を塞ぐから!」


涙塗れのぐちゃぐちゃの顔で水瀬は治癒しようとする。


「だーめ。魔力の無駄遣いはしないで。私の犠牲を無駄にしないで。……世界を……救って」


聖母のように清らかに、慈愛に満ちた声で言う。


「なんでこんなことを……」


水瀬はポロポロと涙を流す。


「知らないわよ。身体が勝手に動いたんだから」


ふふっと力なくイェスゲンは笑う。


「ねえ、少しは柚月さんの真似事、出来たかしら?」


イェスゲンは小さな女の子のように不安気に問いかける。

水瀬はきっと顔を引き締め、イェスゲンの目をじっと見つめ答えた。


「あなたは柚月ちゃんじゃない。わたしの大切な友達、イェスゲンよ。他の誰でもない!」


水瀬は強く抱きしめた。

イェスゲンは幸せそうな顔で水瀬の首に腕を絡める。


「そう。……ようやく、胸を張って言える。……芽衣……だい好きよ、誰よりも」




水瀬は声にならない声をあげた。

地の底から這い出る呪いのようでもあり、愛する者に呼びかける比翼の鳥の叫びのようでもあった。


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