表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

59/98

私の声が、きこえますか

昔は、素敵な思い出を作ろう、喜ばせてあげようと、黄金の輝きを求めていた。

だが、今ならわかる。その輝きを求め、寄りそっていた。それこそが真の黄金だったんだと。




「樹、少しは休め。身が……持たんぞ」


後ろでナギの声がする。

ただそれは遠く、こもって、俺の耳には届かない。

俺の目には、つぐみだけしか見えない。




つぐみはあの日から目を覚まさない。

食べる事は(あた)わず、点滴だけで命を保っている状態だ。

身体には無数のチューブが繋がれ、生体情報モニタの音が(かしま)しい。

肉は削げ、瞳は濁り、かっての姿は望むべくもない。

だがどの様な姿になろうと、俺にとっては変わらぬ美の化身だ。

俺は変わらず彼女の手を握り続ける。




春が過ぎ、夏が来て、その夏も去ろうとしていた。

つぐみはまだ帰ってこない。


俺は枕元にそっと林檎をおく。

切る前からフルーティーな良い香りがする。

紅色(べにいろ)に輝き、不揃いな縞模様(しまもよう)や色むらが、侘び寂びのある茶器を思わせる。


「すごいだろ。最高級の『高徳(こうとく)りんご』だ。『まぼろしのりんご』って言われているんだ。蜜がたっぷり入っていて、酸味が無くて、濃い甘みいっぱいで、美味しいぞ。……お前に食べさせようと思って手に入れたんだ。起きないと、俺が全部食べてしまうぞ。後から文句を言っても知らないからな。…………さっさと起きろってば」


俺は何度も呼びかける。

…………どうやら今日も、つぐみはお腹がいっぱいのようだ。

俺はつぐみの頬を撫でる。



「見ていられない……」


何故だか西條がすすり泣きしている。

この林檎が欲しかったのかな。

やらないぞ。これはつぐみのだ。




「儂らになにか、出来ることはないか……」


赤い目でナギが訊ねてくる。


「……行きたいところがある。つぐみと一緒に」


俺は遠い思い出を手繰り寄せた。






数日後、俺たちは空の上にいた。

ドクターヘリに乗り、目的地へと向かう。

絨毯みたいな雲海が、足もとに広がっている。


「悪かったな。こんな使い方、本来は駄目なんだろう」


緊急性の無い目的でのドクターヘリ使用は、厳禁のはずだ。


「構わん!将来の大災害の芽を摘むのも、大切なことじゃ。それにこれは正式な出動では無い。あくまで儂らの系列会社のヘリがメンテナンスを行い、その試運転をしているだけじゃ」


ナギはきっぱりと言い切る。


「それに手配したのは那奈子じゃ。なにかあったら責任を取るのはこいつじゃからの」


「はぁーあ?」とドスの効いた声を西條が出す。


「かっかっかっ」とナギが高笑いする。


ありがとう二人とも、気を使ってくれて。

赤く腫れた目、(くま)どられた目元。無理してくれているのを、ひしひしと感じる。


「水瀬は?」


唯一意識を保ち、日々の鍛錬を欠かさぬ少女のことを訊ねる。


「……あやつは今、島に行っておる。剣斗(けんと)のところじゃ。儂が行かせた。あのままじゃ駄目じゃ。自分を痛めつけるのを目的とした鍛錬、あれは駄目じゃ。……剣斗の奴に活を入れてもらう様、儂が行かせた」


外面上はまともに見えたが、やはり壊れていたか。


「わからんもんだな、人の心って。普通に見えて、その心の傷は推し量れない」


俺は頬杖をつきながら呟く。

ナギと西條が、びっくりした顔をする。


「ん?どうした」


「いや、お前が言うなって典型例を()の当たりにして……」


西條が呆れたように言う。何のことだ?


「心を写す鏡があればいいのにのう」


ナギが何やら哲学的なことを言う。


笑い声を乗せ、ヘリは西へと向かった。




見覚えのある稜線が見えてきた。

人の営みは儚くても、変わらぬものがある。


「ここで……いいんじゃな」


「ああ、間違いない」


俺は強く頷く。

ヘリは地上へと降りてゆく。

俺たちに連れそうように、太陽も地上へと沈んでいった。



地上では医療設備が整った搬送車両が待機していた。

ヘリからつぐみをストレッチャーごと移し、出発の準備をする。


「準備整いました。これより目的地に向かいます。警備車両は前後二台ずつ。所要時間は約30分です」


警備責任者がきびきびと報告をする。


「人混みが予想されます。絶対に私たちから離れないように」


念を押すように言葉を添える。

俺たちは車列を組んで出発した。


幹線道路を滑るように走る。

だがそれはあっという間に終わり、二車線の細い道に入った。

大蛇(おろち)みたいにうねる道を、ふらつくように車は進んでゆく。


「先行部隊を合流地点に配置し、不審な動きが無いか警戒に当たらせています。現時点で異常なし」


田舎道に不似合いな緊迫した声が飛ぶ。


沿道に人が多くなってきた。街灯は無く、篝火(かがりび)がたかれている。その合間を人が持つ提灯(ちょうちん)が埋めている。光の帯が続いていた。


「幻想的ね」


窓の外を眺めながら西條が呟く。


「ああ、昔から変わらん」


俺は素っ気なく答える。


「来たことあるの?」


探るような、か細い声が投げかけられる。


「千年ほど前に……」


「……そう」


西條はすべてを察したようだった。


人波が激しくなってきた。

車は歩くのと同じ位のスピードで、ゆっくりと進む。


「目的地に到着しました」


緊張と安堵が混じった声がする。

車が止まり、先行部隊の警備員たちが周りを取り囲む。

ドアが開き、ナギと西條が下車する。


「行こうか……」


俺はつぐみを横抱きに持ち上げ、足を踏み出す。


「おやめください。私たちがお運びします」


警備責任者の男が、俺を止めようと飛び出してくる。

その前にナギがすっと出て来て、右手を上げ、男を制止する。

哀しそうな顔で(かぶり)を振る。

「はあ」と小さな声をあげ、警備責任者の男は引き下がる。

俺はつぐみを抱きかかえ、夜の闇に溶けてゆく。




おびただしい篝火が焚かれ、炎が風でゆらゆらと揺れている。

人のざわめき、あまたの灯篭(とうろう)、下駄の鳴る音、太鼓の響き。

連綿と続く、夏の夜があった。


「もうじき始まります。席をご用意していますので、こちらに」


誘導に従い、案内された場所に向かう。

高い場所にある舞台がよく見える、一等席だ。



ざわめきが段々と小さくなってゆく。

羯鼓(かっこ)の奏者が(ばち)を手にし、開始の合図を告げた。

龍笛(りゅうてき)の音が、低音から高音へと駆け抜ける。

琵琶(びわ)がリズムを整える。


美しい音色と共に、二人の舞手(まいて)が現れる。

右手に鈴、左手に(さかき)を携え厳かに舞う。

しゃらんと鈴の音が響いてくる。


在りし日の思い出が甦る。

俺とつぐみ、タツキとミクで舞った、あの初めての日を。


俺はつぐみを抱きしめ、語りかける。


「見えているか、聴こえているか、…………覚えているか、あの日のことを」


俺は滔々(とうとう)と呼びかける。想いと希望を込めて。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ