守るもの、奪うもの
やわらかな朝日がシーツを引き剝がすように闇を取り去ってゆく。
陽の光に照らされ、屈強な男たちが姿を現す。
槍を掲げ、剣を佩き、昂る心を抑えている。
生きて栄誉を手にするか。死して躯を晒すか。戦まえの独特の緊張感が漂っていた。
彼らは放たれる瞬間を待っている。王の号令を待っている。反逆者を屠るのを待っている。
だが王の命令は彼らの期待に応えるものではなかった。
「全軍、待機。指示があるまで動くな。命令に従わず突撃する者には、背後より矢を射る」
兵たちは失望する。このたぎる気持ちを何時まで抑えていられるか。心に巣食う猛獣は、ことのほか巨大で獰猛であった。
「つぐみ、これを……。絶対に手放すんじゃないぞ」
俺は『不死の鞘』をつぐみに手渡す。つぐみは頭を下げ、両手で大事そうに鞘を受け取る。
「お借りします。必ずお返ししますからね。私に預けっぱなしなんて、絶対に赦しませんよ」
二人は熱く視線を交わす。
「水瀬、これを預かってくれ。鞘がないと、どうも持ちづらくていかん」
俺はエクスカリバーの柄を水瀬に向ける。
「……いいんですか。わたしに預けて」
「お前が持つべきなんだ。それを持ってつぐみの傍を離れないでくれ」
水瀬の表情が固まる。
「……承知しました。命に代えても!」
言いたい言葉は口にせずとも伝わってゆく。
昇り始めた朝日が、出発を知らせる車掌のように、残された時間が無いことを告げる。
二人は敵陣へと向かった。
「よかったんどすか、行かせて」
「仕方ないだろう。行かせなければ、きっと後悔する。俺もつぐみも」
「……そうどすな」
俺と柚月は、小さくなる二人をずっと見つめていた。
「円卓の騎士、ランスロットが申し上げる。ここにおわすは偉大なるブリテンの国母、グィネヴィア王妃。モードレッド卿、出て参らせ。貴公の母君であられるぞ。申し上げたき儀がある故、単身ここまで参られた。わたしは単なる付き添い、決して戦を仕掛けることはない。自分の行いに対して恥じることがなければ応じられよ。何人護衛を引き連れようと構わん、出て参らせ。それともこのランスロット一人に怖気づくのか」
俺たちは遠見の魔術で、水晶に映る水瀬の姿を見る。
大音量の水瀬の声が敵陣に響く。マーリンの音量増大の魔法具は効果絶大だ。
「あれはランスロット卿か。王妃と駆け落ちしたと聞いたぞ」
「アーサー側に居られなくなって、こっちにやって来たんだ」
「手に持っているのはエクスカリバーだぞ。聖剣を奪ってきたのか」
敵陣からざわめきが起こる。自分勝手な想像を巡らし、都合のいいことをほざく。
「……これでよかったんですか、つぐみお姉さま」
水瀬は意に染まぬことをしたという表情をする。
「ええ、ごめんなさいね、こんな真似させて。でも、これであの子は出てくるでしょう。……あの子は誇り高い子です。そういう子です」
敵陣が二つに割れる。
そこから二騎の馬影が現れる。先頭は見事な白馬だった。
馬上では白銀の鎧が霊山の雪のように輝いていた。
「モードレッド!」
つぐみが叫ぶ。
「母上、何用です。ここは戦場、貴方が立ち入る場所ではありません」
冷たく、あしらうように対応する。
「……やつれましたね。頬はこけ、暗い影が落ちています。悲しみ、恐れ、後悔、そういった感情が滲んでいますよ」
「戦場でふくふくと肥える奴がいたら見てみたいものです。そんな事を言いに、ここまで来たのですか」
モードレッドはつぐみの痛ましいものを見る目を、歯牙にもかけず言い放つ。
「あなたに渡したいものがあります。……これを」
つぐみは傍らに大事そうに持っていた包みを前に出す。
モードレッドは侍従に目配せし、つぐみの許に取りに行かせる。
侍従を介し包みは届けられた。包みを開ける。中から黒光りするチェーンメイル(鎖帷子)がでてきた。モードレッドはつぐみに視線を投げる。
「あらゆる物理攻撃、魔術攻撃を無効化する防具です。それをお使いなさい」
一目でわかる。これは本物だ。チェーンメイルはゆらゆらと揺れる空気を纏っている。魔力で周辺の空間が歪んでいるのだ。
「その言葉に嘘はなさそうですね。しかしこれは何です。この様な宝具の存在、わたしは聞いたことがありません」
その通りだ。どのような文献にも、こんな宝具乗っていない。
「当然です。だってそれ、昨日誕生したばかりなんですから」
俺達も、モードレッド達も絶句する。
昨日誕生しただって。俺は思わずマーリンを見る。
「……儂ではないぞ。作ったのはあそこの二人、水瀬とつぐみじゃ。水瀬が術式を構築し、それをつぐみが媒介としてチェーンメイルに流し込み、強固に融着させる。それを昨日やっておった。非常に手間暇、根気のかかる作業じゃ。儂はご免じゃ、絶対に途中で挫ける。……それをあ奴ら、旅から帰ったばかりの疲れた身でずっと続けておった」
ああ、あいつらはやっぱり馬鹿だった。
「それは昨晩あなたを想い、この母が編んだものです」
手編みのセーターみたいに言うな。
いや、つぐみにとってはどちらも同じなのか。
寒さに震える我が子を想い、作ったものなのだろう。
「わたしの陣営に入る手土産……というのではなさそうですね」
モードレッドは探るように、慎重に言葉を選ぶ。
「私がアーサー王の許を離れることはありません。天地がひっくり返っても。でもそれと同じように、あなたへの愛が消えることもないのです。それはただあなたの身を案じ、無事を願う私の心の表れです」
その言葉には、なんの打算も、思惑も、誇張もなかった。
そして哀しい顔でモードレッドを見る。
「もうやめましょう、こんなこと。一体なにが望みなのです。王位?領土?名誉?あなたならこんな真似をしなくても、いずれ手に入れることでしょう」
涙ながらにつぐみは語りかける。
「あなたの父君も、時がくればすべてを渡すつもりだと仰ってました。あなたは王の後継者です。血塗られた手で奪う必要はありません。国力を削ぎ、荒廃した領土を手にするのは、あなたにとっても得策ではないはずでしょう。兵を収めてください。今ならまだ間に合います。……お願いです、私にあなた方親子の殺し合いを見せないでください」
震える声でつぐみは訴える。
だがモードレッドは答えない。
石のような、冷たく硬い沈黙を続ける。
水瀬はその光景に苛立つ。
「モードレッド、母君のお気持ちをくみ取ることが出来ぬのか。危険を顧みず戦場に赴き、愛する我が子を思いやる。その母の心がわからぬのか!」
モードレッドは真剣な面持ちでつぐみを見る。
しばらくじっと見つめたのち、視線を天に向け、すっと目を細める。
「ははっ。『愛する我が子』、『母の心』か。……哀れだな、滑稽だな、いっそ喜劇だ」
嘲るような冷たい声で、モードレッドはひび割れた笑いをする。
水瀬はモードレッドを睨みつける。
「ふふ、もういいでしょうモードレッド。そろそろ茶番は終わらせましょう」
モードレッドの後ろから、赤い鎧の男が明るい声で語りかける。
戦場には不似合いな、弾むような道化師のような声だった。
男はヘルムを外し、その素顔を晒す。
その姿に、水瀬はみるみると固まり彫像と化していく。
「お久しぶりですね、ランスロット。お元気そうで何より」
「パーシヴァルぅぅ――――――――」
水瀬の怒号が飛ぶ。
「なぜおまえがここにいる。なぜ戦いに身を置いている。俗世を捨て、僧籍に入ったのではないのか」
水瀬は鬼神の表情で問いかける。
「おまえか、おまえが糸を引いていたのか!」
「人聞きの悪い。私は理想の世界のために働いているだけ。たまたまそれがモードレッドの理想と一致し、協力しているだけのこと」
「協力だと。お主、使ったのか。あの忌まわしき聖杯を!」
「ほんのちょっぴりね。我が軍の兵士をご覧なさい、いい顔をしているでしょう。憎悪、憤怒、怨讐。鬱屈した感情が今にも飛び出しそうでしょう。私は虐げられた者の味方なんです。そういった者はね、本当に可哀想なんです。奪われ、踏みつけられ、それでも生きていかなければならない。だからちょっぴり聖杯の力を与えました。痛みを取り除き、欲望のまま進める力を」
パーシヴァルは黄金に輝く杯を掲げる。
その目は狂信者のように爛々と輝やいていた。
「虐げられた者を救うにはどうしたらいいか。その苛烈な環境を改善してあげる。勿論それも大事です。ですがそれだけでは溜まった悲しみはそのままです。いつまで経っても救われません。だからね、吐き出させてあげるんです、憎しみを。心の獣の命じるままに、理性の鎖を解き放って。彼らはただ奪います。相手の命を希望を。歓喜の瞬間です。怨嗟の魂は浄化されます。その魂が聖杯に満ちた時、奇跡は起きます。理想の世界が顕現するのです」
「狂っている。新たに奪われた者はどうなるのだ。負の連鎖だ」
「また新たに奪えばいいじゃないですか。順送りです。聖杯に力も溜まり、いい事づくめではありませんか」
「……それは地獄の道念だ」
咬み合わぬ理想とは、神の皮肉としか思えない。
「止めれるものなら止めてみなさい。だが彼らは簡単には止まりませんよ。己の足が切られても這って進み、腕がもがれれば口に剣を咥えて振るい、命が尽きるまで止まりません。なぜなら彼らは幸せなのです。敵を切り、屠るのにこの上ない幸せを感じるのです。自分の苦痛など物の数ではありません。知っていますか?至上の快楽は復讐なのですよ」
「認めん。そんな世界、わたしは認めん」
「もはや問答は無用。騎士ならば己の剣で、自分の正義を語ろうではないですか」
パーシヴァルはモードレッドに目配せする。
二人は馬首を巡らせ、陣営に戻ってゆく。
二人を飲み込んだ人の群れが閉じてゆく。
お互いの心や、希望が閉じるように。
つぐみと水瀬の前に、厚い兵の壁が立ちふさがった。
「モードレッド!お願い、話を聞いて」
つぐみは慟哭する。兵の姿は目に入らぬかのように、我が子を追う。
「お姉さま、ここまでです。これ以上は貴方の身に危険が及びます。……撤退です」
水瀬は駆け寄ろうとするつぐみを押し止める。
「いや――、いや――――――」
つぐみの絶望が木霊した。
水晶を見つめていた俺たちは、言葉を失う。
「あれは何だ、聖杯とは。……探索の結果、この世には実在しないと結論づけられたのではないのか」
俺は五年前の聖杯探索の報告を思いおこす。
「そう結論づけられたましたな。あれは異なる次元に存在するもの。うちらには手にすることがでけへんもの。うちも探索の旅にでて、その幻影を見ましたが……いま改めて見て、ある印象を受けました」
戸惑った表情で柚月が答える。
「うち自身訳がわからんへのやけど、あの聖杯からは『髭切』と同じ波動を感じるんどす」
「渡辺 綱が使っていた、空間切断の刀か?」
「そうどす。あらゆる望みを叶える『聖杯』、空間の接合を断ち切る『髭切』、その存在はまったく異なるはずやのに、同じに見えたんどす」
意味がわからない。俺と柚月は目を見合わす。
その横でぶつぶつと呟く魔術師がいた。
「……マーリン?」
俺はおそるおそる呼びかける。
魔術師は言おうか言わまいか、迷った顔をしている。
「……儂は常々思っておった。あらゆる望みを叶える『聖杯』、そんな都合のよい物などあるはずがないと。魔術はお伽話の魔法とは違う。理に則り世界に干渉する、それが魔術じゃ。なんでもかんでも実現できる巨大な力、そんなものは非効率極まりない。限られた法則に魔力を注ぎ込むのが魔術の基本じゃ。状況に応じて数多くの魔術を使い、万能の魔術など無い。……だが柚月の話を聞いて、一つの仮説を思いついた」
マーリンの表情は、謎を解明したにしては喜びを感じさせぬものだった。
「『聖杯』とは次元転移装置ではないかという事じゃ。時空に干渉する『髭切』と同じ波動というなら、それが一番しっくりとくる。願いを叶えるのではなく、お主たちが語った無数のモザイクから願いが叶った世界を探し出し、そこに転移させるシステム。これなら少ない術式で、あらゆる望みを叶えることが出来る」
「マーリン、それは……」
「お主の言いたい事はわかる。果たしてそれは願いが叶ったと言えるのか。他の自分が成し遂げた成果の上澄みを掠め取る。そんなものが非願成就なのか、本当に満足できるのか。……結果だけに拘ると、真の望みを見失ってしまうものじゃ」
暗い沈黙が訪れた。
重い沈黙を一人の来訪者が破る。
「王、敵が押し寄せてきます。出撃の合図を。……兵たちも今にも飛び出しかねません。もう抑えはききません。ご決断を!」
俺が決断するのではない。決断が俺に迫るのだ。
現世の地獄、『カムランの戦い』はこうして始まった。