表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

51/98

エンド・オブ・ザ・ワールド

ちょっと長めです。話の流れ上、途中で切ることが出来ませんでした。

比翼の鳥がついばむような口づけだった。

情欲でも官能でもない、ただお互いの存在を確かめ合うような口づけだった。




「兄さん……ですよね」


優しい口づけのあと、そう尋ねる彼女は間違いなく『つぐみ』だった。

思いやりにあふれ、馬鹿みたいに優しく、不器用なまでに真っすぐな『つぐみ』だった。


「兄さん、行きましょう。ちづが、あの子が、苦しんでいます!」


つぐみはそう言うと俺の手を掴み、走り出す。

つぐみの足からは血が流れている。

草履は脱げ、裸足となった足裏から血が滲んでいる。

何度も転び、ずる剥けた脚から血が滴っている。

だがつぐみはそんな事にはお構いなしだ。

恐らく足が千切れたとしても走り続けるだろう。

俺たちは愛する娘の許へと走った。





「ちづちゃん、落ち着いて。もう大丈夫。悪い奴らはやっつけたから」


「安心しなはれ、うちらは味方や。もうなんも恐い事あらしまへん」


ちづの許に辿り着くと、水瀬と柚月が蜘蛛と化したちづに呼びかけていた。

しかしちづは理性を失ったように暴れ狂い、二人はそれを何とか抑えようと光る帯を両手から放ち、ちづをかろうじて押しとどめていた。


「ちづ、おっかあよ。つらかったね。ごめんね、怖い思いをさせて。本当にごめんなさい」


つぐみがちづに近づこうとする。


「あぶない!」


俺は大声をあげ、つぐみを引き寄せる。


ひゅんという音をあげ、ちづの鋭い脚がつぐみを掠めてゆく。脚は勢いよく大地を抉り、石礫(いしつぶて)が舞い散る。


「つぐみ、気をつけろ。ちづは今、自分を見失っている。お前が分からないんだ。あの子に罪を犯させるな。正気に戻った時、その事実はあの子を傷つける。あの子にお前を(あやめ)めさせるな」


ちづに駆け寄りたい気持ちは俺も一緒だ。だが今は冷静になり、あの子を救う最善の手立てを探さなくてはいけない。


「樹はん、つぐみはん、あんたはんらも記憶を取り戻したんやな」


柚月が術をかけながら、こちらを振り向かず言う。その声には余裕はない。


「おかげさんで。で、どういう状況だ」


「……(かんば)しくあらしまへんな。今はかろうじて抑えてますけど、この子成長が半端ないわ。うちらの術を見ただけで解析して自分の物にしよる。で、その術が効かんようになるさかいうちらは更に強力な術を使う。そしてその術も自分の物にしよる」


「いたちごっこか」


俺の言葉に柚月の顔は曇る。


「そんなええ状況ではあらしまへんな。うちらの術にも限りがおます。それが尽きた時、天秤がどう傾くか……。手加減する余裕はあらしまへん。申し訳ありまへんが手足の一本か二本、覚悟してもらうかもしれまへん」


「構わん。みんなの命が大切だ。もちろんお前たちの命も含めてだぞ」


「……おおきに。気張らさせて頂きます」


両腕から放たれる幻想的な光を浴びながら、柚月はふっ切れたように言った。


俺はちづの正面に立つ。八つの黒い瞳が自分を見つめる。だがその瞳には何の感慨も感じられなかった。


「ちづ、おっとうだ。おっかあも、ナミも、ユキも、みんなお前を心配している。うちに帰ろう。……頼む、自分を取り戻してくれ」


俺は声を張り上げ叫ぶ。……届いてくれ。






永遠にも思える時間、俺とちづは向かい合っていた。

突然、均衡は破られた。


ちづの前脚が黒い光を放ち始めた。

脚は拘束していた帯をぶちぶちと切り裂きく。

くびきから放たれた凶器が俺に襲いかかる。


「樹さん!」


悲鳴をあげながら水瀬が飛び込んでくる。

俺を抱きしめ、その場から離脱する。


「大丈夫ですか。死んではダメです。あなたが死んだらつぐみお姉さまが悲しみます」


俺は苦笑する。こいつの価値基準は相変わらずだ。


「……もうダメかもしれません。さっきの攻撃は空間切断。『髭切(ひげきり)』の術式を使っています。それも何段階もレベルをあげた、昇華したものを。……ここまでの事をされたら、私たちに対抗する(すべ)はありません。決断しなければいけないかもしれません。……ちづちゃんを殺すか、私たち全員が死ぬか」


無情な選択を水瀬は迫る。


「そんな。いや……いや――――――――」


つぐみは悲鳴をあげる。


「なんとかならないのか。みんなが助かる方法はないのか!」


俺は一縷(いちる)の望みを水瀬に求める。


「あるとしたら、ちづちゃんが自分を取り戻すこと。それ以外はありません。呼びかけてください。ちづちゃんを引き戻してください。もう、それしかありません」


「……わかった」


俺は決意を固める。


「ですが何時までも待てませんよ。その時が来たら冷酷な判断をします。わたしにとって最上位にあるのは、つぐみお姉さまの命です。たとえお姉さまに(うら)まれようと、これだけは守ります」


水瀬は迷いのない目で言い切った。


伽藍(がらん)鳴響(めいきょう)!」


そう叫ぶと水瀬の体から白い光が立ち昇り、人の形を作ってゆく。

人型は目の前から消え、ちづの頭上に現れた。

そしてその拳が雨あられと降り注いでいった。

その拳には殺意はない。

あいつは命懸けで時間を作ってくれているのだ。


「ちづ!」


俺は万感の想いを込めて呼びかけた。


これまでのちづとの思い出の日々。

「おっかあ」と初めてしゃべり、「なんでおっとうじゃないんだ」と拗ねた日。

三歳の時高熱を出し、おぶって隣村から医者を連れてきた日。

俺が仕留めた猪を見て、「おっとう、すごい」と言ってくれた日。

嵐の夜、怯えるお前を抱いて眠った日。


どんなに幸せだったか、満たされていたか、ちづに語る。

それは幻などではない、確かに俺のなかに存在しているものだ。

そして言う。


「帰ろう、うちに」と。




だが、現実は冷酷だった。


「あかん。もううちらの手の負えん。……限界や」


ちづは、なおも暴れまわる。抑える柚月が弱音を漏らす。

駄目なのか。俺の心は届かないのか。




「もう諦めろ。気が済んだだろう。冥府魔道に堕ちた者は、決して救われはせぬ。それに終わりがあるとすれば、全てのものを殺し尽くすか、己が滅びる時だ」


遠巻きに見ていた軍勢から、一人の男が歩み出てきた。


太宰(だざい)小監(しょうげん) 清原(きよはら) ()致信(むねのぶ)(ことわり)より外れし憐れなるものよ。その存在、この命に代えても滅してみせる!」


名乗りをあげる武士(もののふ)に俺は見覚えがあった。

これまで何度も俺たちを助けてくれたきた、筋肉馬鹿だが心優しい仲間だ。


「清原さん、あんたもこっちに来てたのか。待ってくれ。あんたにとってここは異世界かもしれないが、この子は確かに生きているんだ。頼む、殺さないでくれ!」


清原は蔑むように俺を見る。


「馴れ馴れしい口をきくな。お主とは会ったこともない。(たばか)り、人の情につけ込むような真似はよせ」


どういう事だ。こいつはあの清原じゃないのか。


「儂は己の責務を果たすのみ。……朝廷に対しての責務ではない。ヒトとしての、この世界に生きるモノとしての責務だ」


清原は携えた刀をするりと抜く。よく見ると、柄に何か呪文のような物が書かれた布が巻かれている。


「当代一の(こと)()使い、清原(きよはら) ()少納言(しょうなごん)が作りし霊符。僧侶の真言、陰陽師の呪符にも引けは取らぬ。魔を滅するにこれ程のものはない。……『(ひとり)武者(むしゃ)清原(きよはら) ()致信(むねのぶ)、参る」


そう言うと、巨体を揺らし、ちづに向かって突進して行く。


ちづの身体から白い光が立ち昇る。それはひとつに固まってゆく。現れたのは、巨大な髑髏(どくろ)だった。髑髏はその歯をカチカチと鳴らす。……これは、水瀬の術じゃないのか。


(あやかし)の術か。だが生身の体が無かろうと、現世(うつしよ)の存在ならばこの刀で切れぬモノはない」


清原の刀が一閃する。髑髏は真っ二つに断たれ、ぱりんと砕けて散ってゆく。


「さしもの化物も、この術式は解析できまい。現在、たった今生まれし、どの系統にも属さぬ独立した術式だ。天地(てんち)開闢(かいびゃく)(ことわり)を熟知していようと、それを源泉とせぬならば当惑するは必定(ひつじょう)。……妹よ、感謝する」


清原はにやりと笑う。

清原は舞うように刀を振るう。

一つ、また一つと髑髏が消えてゆく。

花火のように弾け、恨めしそうな声をあげ消えてゆく。


「残すは本体のみ。覚悟!」


刀をぎゅっと強く握り、ふうっと息を整える。


「この行いは非情なのかもしれん。だが天下万民の平穏な暮らしのためには必要なのだ。たとえこの身が煉獄に堕ちようとも、儂はやり遂げる」


そう叫び、雄叫びをあげ、駆け出す。

髑髏はもう飛んでこない。

ちづは既に目睫(もくしょう)(かん)だ。


「もらった!」


勝利を確信し、刀を振り下ろす。

その時である。ちづの口から白い糸が飛び出した。

糸は複雑に絡み合い、四縦五横の格子状の線となってゆく。

蘆屋 道満が使っていた九字護身法だ。

糸は清原に絡みつき、捕らえる。

清原は必死にもがくが、逃れる(すべ)はなかった。


「う、うごけぬ。……無念、儂の命もこれまでか。すまぬな、妹よ。せっかくの神器、儂の力量不足で活かしきれなんだ」


清原は涙を流す。

悔恨(かいこん)慙謝(ざんしゃ)の色づいた涙だった。


「……樹と申したか。儂の最期の頼み、きいてくれぬか」


縋るような目で俺に訴える。

その邪心のない瞳に俺は逆らえず、引き寄せられるように清原へと向かう。


「かたじけない。儂の頼みはただ一つ……」


清原は鋭い目つきで俺を見つめる。


「この刀で、あの蜘蛛を切ってくれ」


それは思ってもみなかった、だが心の奥底では予想していた言葉だった。


「わかっておる。あれはお主の子供なんだろう。いい子だな。あのような身になりながら、お主のことを決して傷つけようとしなかった。攻撃はすべてお主に当たらぬようにしていた。……優しい子だ」


清原の声は、島で聞いた暖かいものに似ていた。


「だからこそ、お主はあの子を葬らねばならん。……あの子はもう止まらぬ。憎しみに囚われ、すべての者を殺し尽くすまで止まらぬであろう。しかし、その末に待っておるのは地獄だぞ。己を取り戻した時、自分の罪に慄然(りつぜん)とし、屍の山で戦慄するだろう。その自責の念はどこまでも深く、たとえ自ら命を絶とうと、決して(ぬぐ)えることはない。よいのか、そんな地獄をあの子に味わわせて」


清原は淡々と語る。ただ事実を述べるかのように。


「あの子はいずれ死ぬ。ここで生き延びたとしても、いずれ罪の重さに堪えかねて、死ぬ。選べるのは多くの罪を重ねて死ぬか、無垢のまま死ぬかだ。……親として、あの子を救ってやれ」


俺が目を背け、認めたくなかった事実を突きつける。


「あの子はお主を攻撃しない。あいつに近づけるのはお主だけだ。頼む、世界を救ってくれ。人として、親としての責務を果たしてくれ」


優しい菩薩のような顔で、悪魔のような言葉を放った。


「兄さん、やめて。きっとなにか、あの子を救う方法があるはず。望みを捨てないで。最後まで諦めないで!」


つぐみは絶叫する。俺はその言葉に縋りたい。だが……。

柚月を見る。首を横に振っている。

水瀬を見る。俯き、涙を零している。

……そうか。



俺は清原から刀を取る。もう誰も言葉を発しない。

ゆっくりとちづへと歩いてゆく。

まるでこの決断を止めて欲しいかのように。

ちづからの攻撃は無い。

……そうか。



一歩一歩、ちづに近づいてゆく。

この歩みが永遠に続けばいいのに。ちづに辿り着けなければいいのに。

歩みの遅さは俺の心の弱さだ。

だが、終わりの時は来る。



ちづはじっとしている。

八つの瞳で俺を見つめている。

俺は右手をのばし、ちづの頭を撫でる。

ざらざらとした感触が体に伝う。

いつもの柔らかなすべすべした肌ではない。

だが、こいつは紛れもなくちづだ。俺の愛しい子どもだ。

ちづは嬉しそうに、切なそうに身をゆだねる。


「ちづ、ごめんな。俺にはこれしかお前にしてやれる事はない。ごめん……。ふがいないおっとうで……ごめん」


俺はちづに顔をつける。ちづに涙が伝わってゆく。


「生まれ変わったら、幸せになろうな。今度はいいおっとうになるからな」


ちづは体を震わせている。




永遠にも思える時がすぎた。

決断の時だ。


「…………ごめん…………」


俺は刀を振り上げ、ちづの頭へと突き刺す。

ちづは抵抗をしなかった。

鮮血がほとばしる。




「……おっとう……」


ちづの声がした。

かすれるような、振り絞るような声だ。


「おっとう、ごめんね。ちづが悪い子だから、おっとうを悲しませて。……ごめんね、おっとう……」


ちづの声は段々と小さくなってゆく。


「ち……づ……」


何か言ってやらねば、最期の言葉をかけてやらねば。

だが名前を呼ぶだけしか、俺にはできなかった。




「ごめんなさい――――――――」


ちづの最期の絶叫が鳴り響いた。

その瞬間である。

空に亀裂が走った。地が割れた。

まるでジグソーパズルが崩れるように、世界が崩れていった。

爆発するような光を放ち、すべてが崩れていった。

俺たちは光にのみ込まれた。






気がつくと、俺たちは見知った場所にいた。

暗闇のなか、巨大な六角形のモザイクが浮かぶ、あの場所だ。

つぐみ、柚月、水瀬、みんな揃っていた。

みんな、心が死んでいた。


つぐみがある六角形を見つめている。

それはひび割れ、光を失い、モザイクのなかで唯一つ異質だった。

つぐみは六角形に駆け寄る。


「うわぁぁ――――――――」


ひび割れた画面を抱きしめ、つぐみは号泣する。

みんな理解した。あれはあの世界だ。ちづだ。


俺たちはなにも言えず、ただ涙した。




どのくらい時間が経ったのだろう。

それは突然起きた。

涙尽きぬ俺たちを嘲笑うように、新たな六角形から光が放たれた。

俺たちは再び意識を失う。




のちに俺たちは知ることとなる。


俺たちの絶望の旅は、始まったばかりだと。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ