目覚め
巨大な蜘蛛が、武士たちを切り刻んでゆく。
ついさっきまでは村人を一方的に蹂躙していた者が、一変して狩られる者となる。
悲鳴をあげ、逃げ惑う無様な姿を晒す。
だがそこにはカタルシスなどない。
あるのは愛する我が子が修羅と化すおぞましさと恐怖であった。
「やめろ、ちづ。やめてくれ。これ以上人を殺めないでくれ。無間地獄に堕ちないでくれ」
俺はちづに向かって走る。だが逃げる人の流れに押され、なかなか近づけない。
「はっはっはっ。愉悦、満悦、悦楽、謳歌。……素晴らしい。この純然たる力の結晶。ヒトの身を捨て、理のくびきより解き放たれし存在のなんと美しきことか。……もっと見せよ、その淫蕩なる姿を。その力の奥底まで儂にさらけ出せ!」
道満と呼ばれた陰陽師が笑いながらちづに近づいてゆく。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前!」
地が揺れるような声で九字を切る。
四縦五横の格子状の線が空中に現れる。それが無数に増え、繋がり、大きな網となった。
「天網恢恢疎にして漏らさず。破邪の法、その生まれたばかりの身にはちと荷が重かろう。残念だったな。儂に会うのがもう少し遅ければ、もう少し経験を積んでおれば、儂など物の数ではなかったろう。だが、ここで、この時、儂に巡り合ったのがお主の運命。力はあったが、運がなかったな」
道満の巨大な網がちづに向かって飛んでゆく。
網はちづの身体を覆い、捕らえた獲物を締め付けてゆく。
「ギャギャギャギャギャ……」
ちづが苦しそうに悲鳴をあげる。
やめろ、やめてくれ。待ってろ、ちづ。おっとうが今いく。
何の力にもなれっこない。それでも俺は向かわずにいられなかった。
「ちいさい子ぉを甚振んのは感心できまへんなあ」
空から女の子の声がする。
「オン キリキャラ ハラハラ フタラン パソツ ソワカ」
空が震えるような声と共に沢山の五芒星が現れ、光の尾をたなびかせ、彗星のようにちづに向かって飛んでゆく。五芒星は道満の網に触れると、溶かすように消してゆく。
ちづは解放された。
「ちづちゃん、大丈夫どすか。もう印は解除したさかい、心配いらへんで」
空に浮かんでいるのはユキだった。だがいつものユキと違う。こいつは誰だ。
「何者だ。その五芒星、晴明の手の者か。だが何故儂の邪魔をする。これは勅命だぞ。それにどうして儂の術を解除できた。晴明にもかような真似は出来ぬはずだ」
「勅命とかなんとか、うちにとっては紙くず同然、なんの意味もあらしまへん。それにあんたはん、『蘆屋 道満』はんどすなぁ。あんたはんの事はよー知っとります。その強さも、弱点も、攻略法も。残念どしたなぁ。ここで、この時、うちに巡り合うたのがあんたはんの運命。力はおましたけど、運があらしまへんどしたなぁ。あんたはんの不運は、ここでその術を使うた事。それ、うちがランドセルを背負っていたころから馴染んだもんどすえ。ええ目覚まし時計になりましたわ。おおきに。……五行家筆頭、火野家次期当主、火野 柚月、参る!」
そう言い放ち右腕を振り下ろす。すると三尺もの大太刀が現れる。
大太刀を両手に持ち、空に浮かびながら地を駆けるように道満のもとに走ってゆく。
「千年の研鑽を味わいなはれ!」
大太刀は焔を纏い、道満に振り下ろされる。
「急急如律令!」
道満の叫びと共に、懐から無数の人型の紙が飛び出す。紙は重なり合い、大きな壁になる。
それを見て、道満はほっと一息つく。
「やっぱり、そう来ますわなぁ」
少女はにこっと笑う。瞬間大太刀の焔が変化する。赤から黄へ、そして青へと。青い焔は壁を飲み込み、燃やし尽くす。道満は堪らず後ろに逃げる。
「なんだ、その禍々しい焔は。この世のものではないぞ!」
道満は目を血走らせ叫ぶ。
「予混合燃焼って知ってはりますか。可燃ガスと酸素を混合して燃やすんどす。そうすると赤よりも高温の青い炎がでけますえ」
「おまえは……なにを言っているのだ……」
「わからしまへんか。千年ばかり早うおましたな」
「なにをしておる、道満。そのような小娘にあしらわれて、何が日の本一の陰陽師か」
茫然とする道満のもとに、渡辺 綱が叱責を浴びせる。
「ええい、頼りにならぬ。かくなる上は儂がやる。この天照大神より賜りし髭切、数多の鬼を葬りし天下の守り刀。いかなる魔であろうと滅せぬ物のあるべきか」
綱は太刀を抜く。のたれ乱れの刃文は妖しく光り、只ならぬ雰囲気を放っている。
その刃がちづに向かって振り下ろされた。
俺はいまだにちづに辿り着けない。
「ノウマク・サンマンダバザラダン・カン!」
聞き覚えのある、高い少女の声が響く。
ナミだ。ナミがちづの前に立ち、両手を突き出している。
そしてその手からは七色の光の壁が生まれていた。
「もう大丈夫よ、ちづちゃん。もうあいつらに指一本触れさせやしない」
いつものナミと違う、自信に満ちた声で呼びかける。
「愚かな。この岩をも断ち切る刀を正面から受け止めようというのか。痴れ者が」
綱は上段から迷わず打ち込む。
「……馬鹿じゃないの」
ナミは冷たい目で、切りつける綱を見つめる。
刀が光の壁に当たる。すると壁はぐにゃりと曲がり、刀を優しく包み込む。
「ぬ、抜けぬ!」
刀は壁に包まれたまま空中に固定し、綱はそれを抜こうと必死に引っ張る。
「それ、『髭切』ですよね。空間切断特化の魔剣。波動を逆移送したから無力化していますよ。この刀のお相手、模擬戦で何十回してきたと思っているんです。もういい加減飽き飽きですよ」
綱は信じられないものを見る顔をする。
「貴様は、何者だ」
「五行家がひとつ、水瀬家 第三席 水瀬 芽衣。覚えなくていいですよ。さようなら」
そう言うと光の壁が唸り、雷撃が走った。雷撃は刀を通して綱に伝わる。
綱は「があぁ」と声をあげ、倒れた。
こいつらは何者だ。俺の知っているユキやナミじゃない。
俺の頭は混乱の渦と化していた。
「あなた、ちづ!」
ミクが足から血を流しながら走ってくる。
「つぐみっ!」
思わず声が出た。声を出した後、背筋が凍った。なんだ、つぐみって。俺は自分に問いかけた。
ぱりん。頭の上で何かが割れる音がする。空が砕け、暗闇が覗く。そこから沢山の紙が降ってきた。
紙には、鏡で写し取ったような精密な絵が描かれていた。
鉄の大きな船を埠頭から見送る俺とミク。
見たこともないからくりを使い、俺の為に料理をするミク。
暖かい陽だまりの中、奇妙な服を着て抱き合い眠る俺たち。
暗闇の中、動く絵を見ながら寄り添う二人。
懐かしく、切ない気持ちがこみ上げてきた。
「つぐみ!」
「兄さん!」
俺たちは抱き合った。
なにがあろうと俺たちは一緒だ。
俺たちは、どちらからともなく……口づけをした。