最強の矛と盾
「さっさと歩きなさい、この外道!」
俺は水瀬に罵倒されながら、両手いっぱいの買い物袋を下げショッピングモールを行く。
いや、女の子に買い物袋を持たす気はないけど、この扱いは無くない。
「なにか言いたいことがあるの?人前でおっぱじめようとした節操なしの淫獣!」
なにもございません。ただ一言、わたくし見られて興奮する性癖はございません。
水瀬は俺の反論を、「はん!」と鼻であしらう。
俺はトボトボと歩いて行く。
「芽衣、気ぃ付いてはりますな」
柚月が低い声で呼びかける。
「方位230、距離15メートル、数10。後詰めとしてさらに後方20メートルに数15。小隊規模」
「流石やな。さぶいぼ出るわ、その索敵能力」
こいつら何を言っているんだ。まさか……。
「敵襲か?」
「襲撃というにはお粗末やな。こんなバレバレでは防御態勢もしっかりでけます。まあ事前に計画されたもんやあらしまへんやろう。うちらが外出したんで慌てて食いついてきたダボハゼや」
柚月は事も無げに言う。なんか安心感が凄い。
「どうする?撒く?ここで潰す?」
水瀬がパンにする?ライスにする?と聞く口調で柚月に尋ねる。
こいつらにとっては、これは日常なのだと実感させられた。
「犬には躾が必要どすなあ。身の程を弁えさせ、やってはあかん事を叩き込むのは強者の務めやわ」
そこにいたのは多感な女子高生ではなく、冷徹な支配者の顔をした少女だった。
「芽衣、第三駐車場へ行きますえ。オペレーション・デストロイ発動や。……警告は前回出しとりおす。どないな結果になろうと、それは警告を甘う見たあっちの責任や。遠慮はいらへん!」
「りょ。手加減なしでいく!」
彼女たちの雰囲気が変わった。まるで真冬の湖のように澄み切って、一切の感情を切り捨てたようだった。
平日の昼ということで、ショッピングモール本館から一番離れた第三駐車場には誰もいなかった。
俺たちは駐車場のど真ん中に陣取っていた。
「こんな障害物が何も無い所で大丈夫なのか?」
俺は不安を感じ問う。
「何言うてはりますの。最高の防御壁がそこにあらしますやおまへんか」
柚月は俺の横を指差す。そこにいた水瀬はこくりと頷く。
「芽衣の傍ほど安全な場所はありまへん。あれは歩く要塞やで。言うとくけど『砦』やおまへんで、『要塞』やで。この意味よー考えて、芽衣の傍から離れんように」
柚月はそう言い放つと、踵を返し一人無人の地を行く。
右腕を天に掲げ、ひゅんと振り下ろす。手にいつか見た大太刀が顕現する。
「これが最後通告どす。大人しくこの場を立ち去れば深追いはしまへん。あくまでちょっかいをかけはる言うんなら、手加減もしまへん。……考える時間はあらしまへんで」
誰もいない場所に向かって呼びかける。そしてゆっくりと歩いて行く。一歩一歩、重くしっかりと歩いて行く。
タン、タン、タンと重い金属音が茂みの中から響く。
柚月はゆらゆらと体を揺らす。気だるげに煩わし気に。
パシッ、パシと足元で何かが跳ねる音がする。
「……お答え確かに承りました。これからお仕置きの時間どす。……キャンセルはききまへんで」
柚月はこれまでと違う前傾姿勢をとる。そして体を低く沈ませたかと思うと、砲弾のように飛び出した。
茂みからパパパパパッと絶え間ない銃声が鳴り響く。
本来恐ろしい音のはずなのに、なぜか悲鳴のように聞こえた。
「あはははは!未熟どすなぁ。剣は手の延長。銃かて同じことや。人の意に添い動きを決める。如何に音速の速さを誇ろうと、射手の心が駄々洩れやしたら、テレフォンパンチもええとこや。明鏡止水、来世はこの言葉を胸に精進おし!」
柚月は銃声とともに身体を動かし銃弾を躱し、剣で軌道を逸らして進んで行く。
銃声がする茂みにあと5メートルまでに来た時だった。
「往生おし!」
大きく横に剣を振る。
すると剣より鮮やかな紅炎が放たれ、大きく広がりながら飛んでゆく。
まるで紅竜が飛翔するようだった。
「ぎゃぁぁぁ」
悲鳴と一緒に紅炎に包まれた茂みから男たちが飛び出してくる。
「覚悟が足らへんな。たかが炎に包まれたくらいで攻撃止めるなんて。根性見せなはれ」
そう言いながら敵を刈り取ってゆく。
「……凄い。人間じゃない」
俺は目の前の出来事が現実とは思えなかった・
「なに呑気な事言っているんです。来ますよ。離れないで!」
水瀬の叱責が飛ぶ。
柚月が戦っている反対方向から物音がした。
小銃を構えた男たちが飛び出してくる。これは水瀬の言っていた後詰めか。
「つぐみお姉さま、わたしが必ず守ります。わたしにしっかりくっついていて下さいね」
そう言うと水瀬はつぐみをひしと抱き寄せる。
「樹さんもついでに守ってあげます。肌を引っ付けないで下さいね。10センチは離れて」
おい、扱いがずいぶんと違うな。
男たちが突撃してくる。迫ってくるのは半数で、もう半分はその場に留まり膝立ちとなり肘を膝に置き、射撃姿勢をとる。やべえ、洗練され統一された動きだ。俺は水瀬を見る。
「捻りも何もない、つまらない攻撃ですね……」
水瀬は平然としている。
指揮官とおぼしき男が、顔の横の握り締めた手を振り下ろす。
それを合図に無数の銃声が轟く。
俺は思わず目を瞑った。
やられた、と思った。だがいつまで経っても痛みはやってこない。
俺は恐る恐る目を開ける。
目の前には信じられない光景が展開していた。
雨のように降り注ぐ銃弾。だがそれが俺たちに届くことがない。
俺たちの周りには、7枚の光の壁がドームが重なるように覆っていた。
赤・橙・黄・緑・青・藍・紫。虹が俺たちを包んでいた。
「『アイアスの7層の盾』。通常兵器なんぞ屁でもありません」
水瀬は右手を前に突き出し、誇らしげに言う。
いける。これならいける。俺は歓喜する。
だが敵指揮官は落ち着いている。
嫌な予感がする。
「投擲!」
指揮官の合図で突撃してきた男たちが何かを投げ込んできた。
金属の瓶のようなもので、光の壁にこつんと当たる。
するととおびただしい濁った白煙を吐き出し始めた。
「毒ガスか!」
しまった。このドームの酸素はどの位もつのだろう。銃撃ならば部分的に解除すれば新鮮な空気を取り込めるが、ガスならそうはいかない。時間との勝負か。
俺は水瀬を見る。
「ふふ。ふふふふふ。心配いりませんよ。これ、CNガスですよ。クロロアセトフェノン成分の催涙弾。主に眼の神経に作用しますが、致死性はありません。アルカリ性水溶液で無力化出来ますので、あいつらを倒した後で浄化しますね。水瀬の人間にとっては何の造作もないことです」
こいつこんなキャラだったっけ。
「それよりもお仕置きしなければいけませんね。こんな愚かな真似をする奴らに。もういいですよね、打って出ても。我慢しなくていいですよね……」
水瀬の内側から何かがにじり出てくるようだった。
「我が名は芽衣!冥府の獄卒。黒き仔羊。いま汝のもとへ参る!」
水瀬は叫ぶ。
左手を天に向け、その真っすぐ伸ばした腕を勢いよく振り下ろす。
空気が裂け、そこから水の粒が飛び散る。粒はあたり一面に広がった。
その中の一部の粒が少しずつ重なり、朧げな形を作ってゆく。
それは50センチ程の大きさで、古い型のドレスを着て帽子を被った西洋人形に見えた。
その小さな手には、人形の身長の半分もある包丁が握られていた。
「おい、あれは何だ。水瀬、お前がやっているのか」
俺は水瀬の手を掴む。
水瀬は何もこたえない。
答えないのではない。応えないのだ。
あれだけ俺が触れるのを拒んでいたのに、俺が腕を抱きしめるのに何の反応も示さない。
その眼は真っすぐ前を見たまま瞬きもしない。
身体は彫像のように動かない。まるで魂が抜けたようだ。
しかし結界は変わらず稼働している。水瀬の肉体が働いているのか。
「わたしメイさん。貴方の黄泉の渡し守」
空中に浮かぶ人形が喋る。低く感情の無い声。だがそれは水瀬の声だった。
その声があたり一面を這いずり廻る。
気が付くと人形の姿は消えていた。
水瀬、あれはお前なのか。
「わたしメイさん。いま貴方の後ろにいるの」
その声と共に男たちの背後の水の粒が人形の形になっていく。
背後に廻った人形は包丁を男の喉元に当て、しゅっと滑らす。
男の喉から鮮血が噴き出す。
「わたしメイさん。いま貴方の後ろにいるの……」
「いま貴方の後ろにいるの……」
「いま貴方の後ろに……」
「いま貴方の……」
人形の声と男たちの絶叫が、あちらこちらで鳴り響く。
「相手が悪うおましたな。……『殺戮人形』、その意味をしっかり噛みしめ往生しなはれ」
柚月がゆっくりと近づいてくる。戦闘をしていた場所は沈黙している。
「……あれは水瀬なのか?」
俺は震える声で問いかける。
「……そうや。芽衣の中での防御と攻撃との折り合いをつけた形、それがあれや」
柚月は哀しそうに人形を見る。
「……気味悪う思はりますか?そらちょっとした都市伝説みたいなもんやしな。けどその源は『人を守りたい』、その純粋な気持ちや。怨念や呪いとかやあらしません。それだけは解ったってな」
血しぶきの中で舞う人形を見ながら柚月は言う。
「……かえったら説教だな。あの姿で包丁は無いだろう。元ネタがあからさま過ぎる。少しはアレンジしろ。一歩間違えたらコメディだぞ」
柚月は目を大きく見開き、少し遅れて口を上げ、嬉しそうに俺を見る。
「そやな、捻りが足らんわ。まあ堪忍したって、あの子アホやから」
俺と柚月は鮮血が舞う空を見上げながら、笑いあった。