甘い責め苦
「兄さん、装備調達に行きます。付き合ってください」
つぐみが血走った目で部屋に飛び込んで来て、俺ににじり寄ってくる。
「不要不急の外出は控えるように言われているだろ。代理購入やオンライン購入じゃ駄目なのか?」
「駄目です!こればかりは自分が実店舗に赴かなければ。それにこれは不要不急とは違います。大切な武装装備獲得なんです。そして装備の効果測定には兄さんの意見が必要なんです」
珍しくつぐみが一歩も譲る気配を見せない。
「いいのか、ナギ。出かけても」
つぐみの後ろからやって来た疲れた顔のナギに問いかける。
「かまわん。護衛に柚月と水瀬をつける。行ってこい」
「護衛、二人だけで大丈夫なのか?ナギや西條や清原は?」
ナギはハアと溜息をつく。
「あいつら二人は五行家最強の矛と盾じゃぞ。その二人を揃えておるのじゃ。過剰戦力、オーバーキルじゃぞ。清原は別件で他所に行っておる。那奈子は……深く聞くな。あ奴に今回の同行をさせる程、儂は鬼ではない。また儂も今回の同行は勘弁してくれ」
おい、一体どこに連れて行こうというんだ。
俺たち四人は例の防弾車に乗り、目的地へと向かった。
「さあ着きましたよ、つぐみお姉さま。わたしから離れないでくださいね」
そう言って水瀬は車から降りる。続くつぐみの左腕をしっかり抱きしめ、嬉しそうに頬ずりする。
そのつぐみはといえば、空いた右腕で俺の左腕を抱きしめ、幸せそうな顔をしている。
俺たち三人は数珠繋ぎとなって歩いていく。
「えらい仲がよろしおすなあ。うらやましおす。こないな人がぎょうさんおるショッピングモールで、うちなら恥ずかしゅうてそんな真似ようしまへん」
柚月は面白そうに言う。
確かに俺たちは注目を浴びていた。
家族連れやカップルで賑わう郊外のショッピングモール。親子や恋人で手を繋ぐ奴は一杯いるが、若い男女三人が手を抱きしめ繋がる姿は流石に異様で、遠巻きにして冷たい視線で見られていた。
つぐみと水瀬はその視線を一顧だにしない。つえーな、こいつら。
「で、何処に行くんだ。武装装備と言ってたが、こんな所に武具店なんかあるのか?」
俺は疑問に思っていたことを口にする。
「私たちの目的地はあそこです」
つぐみは水瀬と繋がる左腕を振りほどき、ある店を指差す。
その先にはあるのは、赤や黒のランジェリーを纏ったトルソーが並ぶランジェリーショップ。
うそだろう。俺は絶望した。
いま浴びている冷たい視線が生温く思える氷地獄がそこにあった。
「武装品を買いにきたんじゃなかったのか」
話が違う。俺は抗議の声をあげた。
「武装ですよ、女の。下着はただ身に着けたり、見せつけるだけの物ではありません。自分の身体に合った正しい下着を身に着けたりフィッティングして貰うことで、バストアップしたり、ワイヤーの食い込みが無くなったりするんです」
「フィッティング?補正下着とかは余った肉を寄せて上げるとかじゃないのか?」
俺は素直な疑問をぶつける。
「まあ、男性の認識ではそんなものでしょうね。あまり詳しすぎるのも、それはまたどうかと思いますし……。ブラを選ぶのって大変なんですよ。メーカーによってサイズも違うし、バージスラインが狭いか広いかで輸入品か国産どっちがいいかも違います。カップの下のアールがバージスラインにフィットしているか、カップの上や脇からお肉がはみ出したり隙間がないか、色々な事を考えないといけないんです。とてもじゃないですがぴったりした物なんか選べませんよ。だからフィッターに選んで貰って、試着して、これだ!というのを選ぶんです」
うわー、たいへんだ。そんな苦労をしているのか、女の人って。
「女性の下着が大変なのは解った。けどそれなら俺の出る幕はないんじゃないか?買い物が終わるまで店の外で待ってるから」
あの氷地獄に入ってたまるか。どんな絶対零度の視線を投げかけられたり、「チッ」という舌打ちを浴びさせられるか分かったもんじゃない。
「いいえ、兄さんには大事な使命があります。どの下着が兄さんの琴線に触れるか、素直な意見を言うという使命が」
おい、俺の性癖をぶちまけろというのか。
「勘弁してくれ。そんなもの、口に出して言うもんじゃないだろう。なんかそう、なんとなく察するというか……」
「いいえこれだけ苦労して、もし兄さんのお気に召さない下着だったら、私は立ち直れません。ただでさえ私は兄さんの言動に傷ついているんですよ」
「え?」
俺はまた何か間違えたのか。
「……兄さん、柚月ちゃんや水瀬がパジャマの時、おっぱいをガン見してましたよね」
思いっきり間違えてました。
「まあ、あの子たちも悪いんですけど。あの子たち夜はブラを外すから動くと揺れますし、柚月ちゃんはEで、水瀬はFで、どうせ私はCですし、あの子たちはJKだし……。兄さんがつい見てしまうのは仕方ないんですけど……」
これ、『そうなんだよ、仕方ないんだよ』とは口が裂けても言っちゃいけないやつだ。
「けれど無意識だからこそ傷つくこともあるんです。胸がすべてだとは思っていませんが、それでも女の子は傷つくんです。西條さんなんか、ズタボロです」
西條になにがあった。
「可哀想に西條さん。連日柚月ちゃんに『絶壁さま、絶壁さま』と呼ばれて……。あの子に『言っちゃダメ』と言い聞かせて、あの子も解ってはいるんですけど、ついポロッと出ちゃうんです。悪意が無いのは解っているから怒れないし。私が慰めても『CにBの気持ちがわかるか!』って拗ねちゃって。今日も『一緒に行っていいブラ選べばバストアップしますよ』って言っても『陽キャの集う場所には行かん!』って布団かぶって出てこないし。……女の子は繊細なんですよ」
気の毒すぎる。なんも言えねえ。
「さあ、行きますよ兄さん。私のランジェリー姿、しっかり目に焼き付けてください」
俺はつぐみに引きずられながら店のドアをくぐった。
「これはどうです。3/4カップブラで、脇を寄せるからボリュームアップして谷間が強調されます。レースの透け感が綺麗でしょう。水色とピンクどっちがいいと思います?」
「どうです、セクシーですか。シェルフカップブラでトップの露出が大きいから、ちょっとエッチでしょう。そそられます?」
「プッシュアップブラ、デコルテが華やかになりますね。これなら飾りもないシンプルデザインでダークネイビーがしっくりきますね」
俺は試着室という名の拷問部屋に軟禁されていた。
いや、最初は楽しかったよ、それなりに。
なんといってもつぐみは美少女だし、スタイルいいし、そんな彼女の下着姿を拝めるのは正直眼福だった。
けれど横にいる水瀬と柚月にジト目で「ケダモノ」「おたくはん、そんなんで興奮するんや」とか言われてみろ。ライフがどんどん削られていく。
おまけにつぐみの奴は俺の反応を見て嬉しそうに煽ってきやがる。で、お手付きは不可。拷問だぞ、これは。飢えた人間の前でカレーや鰻の匂いをパタパタと団扇であおぐような真似は止めやがれ。
俺は頭を抱え、その手で顔を覆って「勘弁してくれ」と呟く。
そんな俺の前につぐみは立ち、優しく俺の手を取り、その手を自分の胸に導く。
「兄さん、わたしの下着姿、どうですか……綺麗ですか?興奮しますか?昂ぶりますか?」
つぐみは黒い刺繍やレースのデミカップブラを身に纏っていた。
ショーツはお揃いの黒で中央部分がシースルーとなっている。透けて見える肌や黒い茂みが淫靡だ。
妖艶な大人の雰囲気を醸し出していた。
つぐみが放つ声は湿り気を含んでいた。
瞳は熱を帯び、潤んでいる。口角は少し細く上がり、薄い唇に舌が流れる。
太ももをもどかしそうに擦り合わせる。
白い照明が、ほんのり色づいたように見えた。
俺はつぐみの唇に引き寄せられるように顔を近づけていく。
つぐみはそっと目を閉じる。
「はい、アウト―」
柚月の声とともに俺の頭に鈍い衝撃が走る。
後ろを見ると、血走った眼で拳を握りしめる水瀬がいた。
「そこまでどす。それ以上をお外ですんのは、やんちゃがすぎますえ」
柚月がフーフーと息を荒げる水瀬を羽交い絞めにしながら言う。
危なかった。ほんとうに危なかった。
つぐみが俺の耳元に口を寄せ、囁くように言う。
「つづきは帰ってから……ね」
その笑顔は、少女のようでも女のようでもあった。