辿り着いた場所
わたしは孤独だった。
家族はわたしを愛してくれていた。
お父様もお母様も羽月姉様も、みんなわたしに愛を注いでくれた。
だがそんなわたしにいつも投げかけられた言葉がある。
「陰中の陽」
一族の者はわたしをそう呼んだ。
この世を陰ながら支える一族。それが我が水瀬家だ。
特に防御に優れ、他の五行家にとって水瀬家は必要不可欠な存在であった。
五行家の集まりでも、水瀬家は下にも置かない扱いであった。
わたしはそんな一族が誇りだった。
だがそんな想いは、わたしの片思いだったようだ。
「芽衣、なぜそんな選択をした。防御を怠り、無謀な攻撃に打って出る。水瀬家の人間のすることではない」
中等部になり、模擬戦をするようになって、わたしは毎日お父様にお叱りを受けるようになった。
「でもお父様、あそこで打って出たからこそ倒すことができたんです」
「それは結果論だ。お前の攻撃が通る確率は二割もなかったろう。もしあそこでお前が脱落していたらどうなる。部隊は護り手を失い瓦解することとなる。水瀬の人間の命は自分一人のものではないのだ。その身に多くの命を背負っていることを忘れるな。まず自分の命を確保すること。これが水瀬の人間の心得だ」
わたしは唇を噛みしめる。
お父様の言う事はわかる。
それはおそらく正しいのだろう。
だが駄目なのだ。
わたしの血が、魂が命じるのだ。「一撃をいれよ」と。
わたしはそれに逆らうことができない。
まるで逆に聞こえるが、恐怖に怯え身動きができない人間のように、いうことがきかないのだ。
どうしようもないのだ。
水瀬の人間には「我らの在り方を軽んずるもの」
他の五行家からは「自らの責を果たさず、他家の領分にしゃしゃり出てくる慮外者」
そう陰口を叩かれた。
そしてこう呼ばれた。
「陰中の陽」と。
家族の愛に浸りながら、わたしは独りだった。
認めて欲しい。
その気持ちは日々積み重なっていった。
鬱屈した気持ちに押しつぶされそうになりながら、高等部に進学した。
そこでわたしは出会った。早川 つぐみに。
つぐみと初めて出会った林間学校、そこで集団ヒステリーが発生した。
生徒たちは嘔吐し泣き叫び、それが全体へと広がっていった。
集団ヒステリーに陥った生徒の中で、唯一人冷静さを失わず対処した者がいた。
それがつぐみだった。
彼女は過呼吸となった者を手当てし、落ち着かせ、隔離して伝播を防いだ。生徒たちを混乱から救い上げた。まさに英雄と呼ぶに相応しい行いだ。称賛されてしかるべきことをした。
だが彼女は称賛の声を歯牙にもかけなかった。そんなものはどうでもいいと、侮蔑するのでもなく有難がるのでもなく、本当に気にも止めなかった。
わたしには信じられなかった。理解できなかった。
他人からの評価こそが自分の価値を表すものではないのか。
それを認めたくないからと侮蔑したり、集団に必要とされていると満足を得るのが人間ではないのか。
その他人からの評価を一顧だにしないというのは、理解出来なかった。
この人は人間社会に絶望した世捨て人かと思った。
だが真っすぐ夜空を見上げる彼女の目は、遠い人を思い続ける切ない目をしていた。
ああ、この人にも求めて止まないものがあるのだ。決して世界から隔絶した人ではない。そう感じた。
「一晩中見ていたかったの。これだけお星さまがあるんなら、その中に一つくらい私の願いを叶えてくれる奴がいるかと思って」……彼女は言った。
たぶん彼女は願うだけではないだろう。
その願いを叶えるため、幾千幾万の努力をするだろう。それこそ、この夜空の星の数だけ。
わたしは自分が情けなくなった。
数か月後の秋の日、わたしは父に挑んだ。
肉親としてではなく、一人の戦士として。
父のチームは一線級だった。五行家各家の第五席までで構成され、これまで共闘したことは何度も有り連携もとれていた。
対するわたしたちは番外の者ばかりで、要するに調整相手として搔き集められた者たちだった。
最初から勝負にならず、ただ技を受けるだけのサンドバッグみたいなものだった。
何分持ちこたえられるか。それがわたしたちの合否ラインだった。
だが、わたしたちは勝った。完膚なきまでに。
周囲は静まりかえった。
「これで三戦三勝。五番勝負なので決着はつきましたね。それともまだやりますか。一矢報いるために」
わたしは冷徹に言い放つ。
「馬鹿な、さっきのお前の動きはなんだ。あんなもの、聞いたこともない!」
父は信じられないものを見る目でわたしを見る。
「……わたしなりに防御と攻撃を追い求めたものです。正直、邪道だとは思います。ですが、これがわたしのやり方なんです。認めて頂けないと仰られるのなら、それは仕方ありません。その時は水瀬の家からわたしを除籍してください。わたしはそれを受け入れますし、恨むことはありません」
「芽衣……」
わたしは本心から父に言えた。席次や五行家での扱いなど、もはやどうでもよい。ただ胸を張ってあの人の隣りに立ちたかった。誇れる自分が欲しかった。
「……迷いのない顔をしているな。己の在り方をしっかりと見据えた、いい顔だ」
父は愛しそうにわたしを見つめる。
「すまなかったな、芽衣。お前の将来が不安で、儂たちの生き方を押しつけていた。苦労のない道、間違えのない道を歩ませようとしていた。お前の望む道は未踏の道で、苦難が待ち構えているのが解っていたからだ。だがお前はその道を踏み出したんだな。……辛かったろう。苦しかったろう。そんな中、よくぞここまで辿り着いた。……儂はお前を誇りに思う」
「……お父……さ……ま」
わたしはお父様にしがみつき、赤子のように泣きじゃくった。
ああ、やっと欲しい言葉がもらえた。
「あら水瀬さん。学祭中お休みだったみたいだけど如何なされましたの?」
数日ぶりに学園に行くと、同級生に呼び止められた。
「ええ。家の所用でちょっと」
「ああ、水瀬さんのお家は昔から続く旧家でしたっけ。大変ですわね、そういうお家ですと」
「ええ、まあ」
わたしは曖昧な返事と笑顔でごまかす。
「けれどよかったわ、後夜祭には出られますのね。……よろしければ、ご一緒しませんか」
もじもじと語りかけてくる。
「ごめんなさい。実は先にお約束している方がいまして」
「そう……ですか。ならば仕方ありませんね。……後夜祭楽しんでくださいね」
彼女は残念そうに、それでも笑顔を投げかけて去っていった。
校庭ではキャンプファイヤーが点火され、フォークダンスの曲が流れ始めた。
さて、行くか。わたしは中庭を突き抜け、校舎裏へと向かう。
「やっぱりここですか。何してるんです、つぐみ先輩。キャンプファイヤー始まっちゃいましたよ」
あの夏の日のように、草むらに寝そべり、夜空を見あげるつぐみがそこにいた。
「人混みは苦手。途中で帰ると教師がうるさいから、ここで時間を潰している」
つぐみはすっと立ちあがると、わたしの顔を見て語りかける。
「この二日、どこにいってたの。あなたのクラスに行ったら、休んでると言ってた。学祭サボってたの?」
「先輩、わたしのクラスに来てくれたんですか。もしかしてわたしと一緒に学祭回ろうとか?」
最近ようやっと顔と名前を覚えてもらったばかりなのに、もしそうなら大進展だ。
「他に一緒に回りたいと思う奴もいなかったし。来年はサボんじゃないわよ」
「はいっ!命にかえても」
校庭から皆の楽しそうな声と音楽が流れてくる。
「つぐみ先輩、行きましょう。一緒に踊りましょう!」
わたしは彼女の手を取る。
「私、人混み苦手って言ったわよね」
彼女は少しむくれてわたしを見る。
「しかたありませんね。じゃあここで」
わずかに届くキャンプファイヤーの火が、わたしたちを照らす。
かすかに響く音楽に乗せ、わたしたちは踊り始める。
世界の物差しから解き放たれたわたしたちには相応しい場所かもしれない。
わたしもようやくこの場所に立てたのだ。
わたしは彼女の手を握る。
誰も見る者はいない。誰にも邪魔させない。
ただ思うがままに踊った。
星空の下で、か細いスポットライトを受け、わたしたちは一つとなった。
あの人の手のぬくもりを、わたしは一生忘れない。
水瀬とつぐみの出会いの話、第13話「天体観測の夜」も併せてご覧ください。
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