リスタート
南国での夢のような日々が優しく過ぎていった。
つぐみと、ナギと、西條と、お互いわかり合えたと思う。
この世に、悪意など存在しないように感じられた。
だがそんな日々も、ついに終わりを迎えることとなる。
二週間が経った。今日は本土に帰る日だ。
波止場で船に乗り込もうとする俺たちに、駄々をこねる奴がいた。
水瀬である。
「もう帰るんですか?まだ奥義をモノにしてないのに。あと一週間、いえせめて三日まってください!」
こいつは何をしに来たんだ。
「しらん。そんなに残りたいなら、勝手にここの子供になりなさい!」
「何言ってんですか。流石にそれは裏切り行為で、粛清対象にされちゃいます。見捨てないで、最後まで面倒見てくださいよ~」
勝手に押しかけて何言ってやがる。こいつこの二週間でやった事といえば、昼間は剣斗さんとひたすらバトルし、夜は疲れ果ててぐ~すか寝てやがった。俺たちの監視なぞこれっぽっちもしてやがらねえ。
「うう、ようやっとタコ師匠に有効打を入れれるようになったのにー。もう少し師匠と特訓を続けたかったのにー」
こいつ、バトル漫画の特訓編をしてるつもりになっている。囚われの姫君を助けに来たんじゃなかったのか。なに敵ボスと仲良く修行してるんだ。
「ししょ~」
水瀬は情けない声で剣斗さんに呼びかける。
「キュルルー」
剣斗さんは優しい目で水瀬を見つめ声をかける。
「……『基本的なことは教えた。後はお前がどう昇華させるかだ。研鑽を積め。己を高めよ』……。ししょう――――」
わかるのかよ、あの言葉が。本能で生きている奴は強いわ。
水瀬は肘を曲げた右腕をゆっくりと前に出す。
剣斗さんも触手の先をちょこんと曲げ、水瀬に近づける。
二人の腕ががっしりとクロスする。
「ありがとうございました。師匠、お元気で!」
「クルルル――」
なんぞ、これ。……シュールだ。
俺たちは船に乗り、島を後にする。遠くで剣斗さんがブンブンと触手を振っている。……なんだかなぁ、もう。
長い船旅を終え、上陸する。地面が揺れるような感覚に戸惑ってしまう。
ロビーに目を引く集団がいた。20人ほどのサングラスをかけた黒服の男たちだ。彼らは整然とした動きで俺たちに近づき、ぐるりと取り囲む。
「お疲れ様です、比丘尼さま、清原さん、西條さん。お車のご用意をしています。こちらへどうぞ」
リーダーと思しき男が深々と頭を下げて話しかけてきた。どうやら俺たちの護衛のようだ。
案内されロータリーに行くと、黒塗りで同じ車種の車が6台止まっていた。俺とつぐみとナギが同じ車に乗り、他の3人も違う車に乗り込んだ。前後を護衛の車に挟まれ、出発した。
「てっきりリムジンとかでお出迎えと思っていたけど、流石にそれはないか」
俺は軽口を叩く。
「たわけ。あんな小回りのきかん車、襲撃されたとき逃走するのに役に立たんじゃろう。言っとくがこの車、防弾レベルEN-B7の最高レベルで、『7.62x51mm NATO弾』や『徹甲弾頭』にも耐えられるシロモノじゃぞ。下手なリムジンなんぞより、よっぽど金がかかっておるわ」
えらい車でした。
「これからどこに行くんだ?」
機密保持のためと言って、俺やつぐみにも行き先を教えてくれてなかった。
「儂らの新たな拠点じゃよ。この車同様、万全のセキュリティを施しておる」
車列は静かに、厳かに進んでいった。
一時間ほど経っただろうか、目的地に到着した。途中追跡を警戒し、迂回ルートをとっていたようだった。
重厚な門が開き、車が一台ずつ入っていく。
門をくぐると大きな庭だった。車がゆうに二十台は止めれそうな広さで、その先に三階建てのコンクリートの武骨な建物があった。不自然に感じたのは、建物の大きさに対して入り口が狭い事と、窓が少ない事だった。
「さあ、着いたぞ」
俺たちはナギに先導され、建物の中に入っていく。
入り口は人が二人並んで通るのが精一杯という広さだ。しかし中に入ると玄関は十畳ほどの広さでゆったりとしている。先に進む。廊下はまたも入り口と同じ位の狭さで、おまけにすぐ突き当りになって、曲がりくねっている。まるで敵を阻む、城の虎口のようだ。
これを二週間で作ったのか。俺は驚嘆し、周りを見渡す。するとある物が目に飛び込んできた。
それは何の変哲もない柱であった。だがそれには無数の深い傷がついていた。その傷を俺は見たことがある。テレビの歴史番組で紹介された、戦闘による刀傷である。
「ナギ、聞きたいことがある」
「なんじゃ、恐い顔をして」
「これは何かな?」
俺は怒りに満ちた優しい笑顔で柱を指差す。
「……傷じゃな」
「何か鋭い物で切りつけられたような傷だな。……例えば刀とか」
「……そのようにも見えるな」
「この建物、いつ手に入れた?前の持ち主はどんな奴だ?」
ナギはふぅっと観念したような息を吐き、答える。
「……手に入れたのは主のことが発覚してすぐじゃ。これ程防御に適した建物もそうもなく、二週間で主を迎えるには、この施設が必要だったのじゃよ。前の持ち主には誠心誠意お願いして譲ってもらった。前の持ち主は……聞かんほうがよいと思うぞ」
ああ、言わなくても見当はつくよ。道理でこの家に入る時、通行人が遠巻きにヒソヒソと話をしていたはずだ。あの黒づくめの男たちを見れば、誤解をとくのは無理だろう。まともな近所付き合いは出来そうもないな。
「へえー、綺麗にリノベーションされてますね。新築の匂いがする」
のんきな声が後ろからする。
「水瀬、なんでお前がここにいる」
「なんでって、わたしもここに住むからですよ」
なに当たり前の事を聞いてくるんだ、という顔をする。
「おい、いいのか、こいつ放り出さなくて」
流石に島では海に放り出すという真似はできなかったが、ここなら電車代持たせて放り出してもいいだろう。
「かまわんよ。下手に動き回られるより監視下に置いた方がよっぽど良い。こいつに間諜の真似事が出来ると思うか?……こいつ、アホじゃぞ」
その通りだけどさあ――。
「それに剣斗の奴にもお願いされたからの。『こいつをよろしく頼む』と」
たぶんそちらが大きな理由なんだろうな。
「さあ、部屋割りじゃ。儂は主の隣りの部屋じゃからな」
「もう一つの兄さんの隣りの部屋は譲りませんからね」
「じゃあわたしはお姉さまの隣り――」
まるでサークル合宿のワンシーンのようだった。
平和な日々というのが、如何にかけがいのない物か。この時の俺たちは知る由もなかった。