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理解

バナナボートが海を走る。

水瀬を先頭に西條、清原が乗っている。

それを引っ張り、海上を疾走するのは……剣斗(けんと)さんであった。


30メートルはある巨大なイカが、綱を咥えてバナナボートを引っ張り、それに乗って青春を謳歌する若者たち。

……シュールだ。怪獣映画か青春映画か訳がわからん。




「楽しそうですね、水瀬たち」


「なんでこんなカオスな事になっているんだ」


「昨日話し合ったんですよ。交流を通じ、相互理解を深めましょうと。あれはその一環です」


つぐみはオペラグラスで海を見ながら言う。


ほんとにあいつら楽しんでやがる。

海を見やると剣斗さんが鋭いターンを始めた。

その勢いでバナナボードは激しく上下に揺れる。

水瀬たちは振り落とされまいと必死に摑まり、楽しそうな歓声をあげる。


剣斗さんがキュルルと低い声を出す。

次いで沖からバチャバチャと跳ねる音が聞こえてきた。何かの群れだ。

群れは水しぶきをあげ、こちらに近づいてくる。


「水瀬、何かが来る!」


俺は大声で警戒を促す。

群れは水瀬たちの横を伴走し始める。無数の背びれが海面に出ている。

あれはもしかして……。

パンと水面を叩き、その来訪者が空に舞った。

イルカだ。バンドウイルカだ。

ハイジャンプ、バックスピン、スピンジャンプ、テールキックを次々と披露する。


「……あれ、なんだ?」


芸をするイルカを指さし、白いスク水でトロピカルドリンクをすするナギに問いかける。


「剣斗の舎弟じゃよ。沿岸パトロールを(にな)っておる」


「どう見てもイルカショーなんだが……」


「ああやって接近すれば警戒心を抱かれないのじゃよ。儂が教えた」


どや顔で小さな胸を張って言う。ろくなことを仕込まないな、こいつ。


10分ほどでショーは閉幕した。

西條と清原がイルカに跨り渚に帰ってくる。

ファンタジーはもういいよ。


「いやー楽しかったな。最高だ!」


清原が白い歯を光らせ笑う。


「水瀬はどこに?」


俺はいやな不安を感じながら清原に問う。


「彼女なら、ほらあそこで剣斗さんとお話してるよ」


「オリャァァー」


水瀬が拳を剣斗さんに突き立てていた。剣斗さんは巨大な触手で受け止める。


「……お話?」


「ああ、拳で語り合っている。わかりやすい」


肉体言語かよ。どこの戦闘民族だよ。


「……野蛮だと思うかい。思考能力のない奴らだと。だけどね、よく見てごらん。彼らの動きを。なにかが、語りかけてくる」


俺は改めて二人を見る。何か見落としているのではないか、と彼らの一挙一動を注視する。


すると聞こえてきた。水瀬が刻む足音(ステップ)が。奏でる拍子(ビート)が。タタン・タン。タタン・タンと乱れず、濁らず、迷いなく刻まれていた。剣斗さんの大木を打ちつけるような触手攻撃に一切怯まず、後ずさることなく、正面の剣斗さんだけを見据え己の拳を突き立てる。


それを受け止める剣斗さんは、二本の触腕(しょくわん)のみで受け止めている。他の8本の腕は微動だにしない。これだけで十分だとも、不粋な真似はしたくないとでも言っているようだった。ぶん、腕を振るう音が、歓喜の叫びに聞こえた。


彼らはまさしく語り合っていた。自分の理念をぶつけていた。


「いいもんだろう。拳で語り合う姿も」


清原は目尻を下げてにこやかに言う。


「魂のこもらぬ百万編の言葉より、己の存在を乗せた拳の一撃が如何に雄弁か、わかるだろう」


晴れやかな顔で俺に問いかける。俺は何も言わない。答えはわかりきっているだろう、こいつ。




「なーに男同士で見つめ合っているのかな。樹くん、そっちもイケル口だっけ」


黒いシンプルなビキニを着た西條が背中の後ろで両手を組み、上目づかいでニヤニヤとしている。そうだ、こいつはあの楢崎の親友(ツレ)だった。BL回路は搭載されているんだった。


「なんじゃ。(ぬし)はそうゆう趣味もあったのか。儂は幼児(おさなご)が好みと聞いておったのじゃが、お稚児(ちご)趣味もあったのか。なんなら儂が男装してやろうか。ダブルで美味しいぞ」


ナギがとんでもない提案をしてくる。やめてくれ、冤罪を重ね着させるのは。最悪のコーディネートが出来上がるじゃないか。


俺はつぐみの方を振り向く。違うからな、俺はそんな性癖を持ってないからな。誤解をしないでくれ。縋る気持ちでつぐみを見る。


つぐみは哀しそうな顔をしていた。

怒りでもない、呆れでもない、手の届かぬ月を見上げるような哀しい顔をしていた。


「……つぐみ?」


俺は彼女がなんでこんな顔をするのか、理解できなかった。

だらしがない俺に愛想を尽かすというのならまだ解る。

だがこれはまるで、つぐみ自身を責めているような顔じゃないか。


「楽しそうですね……」


嫉妬や非難の気持ちが一切感じられない、諦観(ていかん)の念に満ちた声だった。

その声は震え、まるで今にも降りだしそうな曇り空のような緊迫した雰囲気を纏っていた。


「久しぶりに見ました。兄さんの、憂いのない、楽しそうな顔。……最近しかめっ面ばかりでしたもんね。私がそんな顔させていたんですね。……兄さんのそんな顔を見たくなくてこれまで頑張ってきたのに、私なにをやっていたんでしょうね」


俺は背筋がざわざわした。

一体何がつぐみにこんな事を言わせているんだ。

俺は何をしたんだ。


「兄さんを幸せにするのは、私じゃ駄目なんでしょうかね。兄さんの隣りには、もっと相応(ふさわ)しい人がいるべきなんでしょうか。私は……どうすべきなんでしょうか」


つぐみの顔から、涙が舞ってきた。

瞳には、重く、鋭い哀しみが閃いている。

抑えきれない悲しみが、泉のように湧き出ていた。


「……ごめんなさい」


つぐみは(うめ)くように言葉を発し、両手で眼を押え、啜り上げる。

深い悲しみを心に浮かべ、つぐみは背中を向けて走り去った。

俺は唖然とした。なにが起きたのか、理解できなかった。

ただ魂を搾りだすような悲しみだけが、俺の胸に伝わってきた。

俺はなにか……間違えたのか。



パンと音がした。誰かが俺の尻を叩いた。


「しっかりしなさい、男の子。付き合っていたら誤解、すれ違いは当たり前。問題はその後どうフォローするか。男の甲斐性が試されるのはこれからよ。気張りなさい!」


西條は再びパンと背中を叩く。

その後ろで、ナギがにかっと笑い、右手をあげ、サムズアップをする。


傷つき、傷つけられ、立ち竦むかもしれない。

それでも前を向いて進んで行こう。

不安と恐怖の闇に襲われるかもしれない。

それでも心の燈火(ともしび)を照らして行こう。




俺は振り返らず、つぐみを追いかけた。


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