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渚にて

夕日が静かに、燃え尽きるように、金色を放ちながら海に沈んでいく。

砂浜に膝を立て坐る俺は、隣の西條を見た。

西條も同じように座り、真っすぐ夕日を見つめ、言う。

「少しはいい男になったじゃない」




俺は夕方の海に一人でいた。

つぐみとナギの攻撃に疲れ、静かな海に包まれたかった。

波のサーと引いていく音が心地よい。

俺は目をつむり、ほうと心を解放する。

しばらくそのままでいると、いきなり頬にキンと冷たい感触が伝わった。


「一人で出歩くなとあれだけ言ったでしょう。この鳥頭!」


西條が目を吊り上げ怒声をあげる。

両手に缶ビールを持ち、そのひとつを俺に押し当てていた。


「ごめん、つい。ただどうしても一人になりたかったんだ」


「まあ、気持ちはわかるわ。メンタルケアが大切というのもね。だからしばらくそのままにして置いてあげたの」


西條は缶ビールをひとつ俺に手渡す。

いつから彼女はここにいたのだろう。やさしさが、しみてくる。


「モテモテね。気の毒なくらいに」


西條は座り、勢いよくビールのプルタブを引き上げ、プシューという音を鳴らし、ゴクゴクと流し込む。一日の疲れを洗い流すように。


「いいのか、任務中じゃないのか」


「いいんですー。5時すぎましたー。アフターファイブですー。もうやってられないわよ。朝日とともにあのバカがやってきて、気が付いたら比丘尼さまはいない。やっと帰ってきたと思ったらバカップルのダブルを見せられて……日が暮れてもうこれ以上働きたくありませんー」


心の叫びだった。なんかすまん。




「比丘尼さまのこと、『ナギ』って呼んでたわね」


西條がぽつりと言う。


「ああ、そう呼んで欲しいと言われた。今では誰もそう呼んでくれないとも。……お前たちはそう呼ばないのか」


「そう、そんなこと言ってたんだ。……別にわざとそう呼ばない訳じゃないのよ。ただしっくりいかないだけ。ほら、四国八十八箇所の遍路道(へんろみち)に住んでる人達は『弘法大師(こうぼうだいし)』とか『お大師様(おだいしさま)』とか呼ぶけど『空海(くうかい)上人(しょうにん)』って呼ばないでしょう。生活に信仰が根付いているとそんなもの。それと一緒。私たちにとって比丘尼さまは比丘尼さまなのよ」


彼女は俺ではなく、夕日を見つめながら言う。


「それに『ナギさま』って呼んでも意味はないでしょう。あの方が望んでいるのはそういうことじゃない。対等な存在として扱って欲しい、そういうことでしょう。私たちには無理よ。小さい時から面倒みてもらって、大人になっては崇拝の対象。無理よ」


西條はどこか申し訳ないような顔をしている。

まるで『この捨て犬、飼ってあげることできないの。ごめんなさい』とでも言っているようだ。


「その対象が望んでいてもか」


「……『なあ空海、今度の休みにナンパに行こうぜ』って言える?」


徳高き聖人に、タメ口で、ナンパを誘う?


「そんな事言える奴、色々な意味で怖いもの知らずだろ。例えがおかしい」


「まあ、でも言わんとすることは解るでしょ。そういう存在なのよ、比丘尼さまは」




「この島の人間にとっての比丘尼の位置づけはわかった。だが、西條にとっての比丘尼とはどんな存在なんだ?」


西條はビールを砂浜に置き、腕を膝に置く。


「私のおばあ様ね、この島の出身で50年前に本土に出たの。私が初めてこの島に来たのは7歳の時。小学校に上がって最初の夏休み。『お前もそろそろ比丘尼さまにお目通りしなければ』っておばあ様に連れてこられたの。そこで初めて比丘尼さまにお会いした」


彼女は目尻を下げ、懐かしむように言う。


吃驚(びっくり)したわ、こんな綺麗な子がいるなんて。巫女装束みたいな白い小袖(こそで)緋袴(ひばかま)を涼やかに着て、とても静謐だった。日常の垢にまみれていないっていうか、世界が違うっていうか、この島の自然を体現したような人だった。あの方の周りには幼い子供たちがたくさんいて、笑顔に溢れていた。私は毎年この島に来るのが楽しみだった」


そこで彼女は言葉を止めた。次の言葉までの沈黙が、何かを語っていた。


「なにかおかしいぞって思ったのは5年たってから。比丘尼さまが世話をしていた子供たちの顔ぶれが変わっていったの。それ自体はおかしいことじゃない。成長によって集団を離れるのはよくあること。おかしいのは、離れていった子供たちの態度。比丘尼さまに対する態度が一様によそよそしくなった。遠巻きに私たちを見て、一切かかわろうとしなかった。それまでとあまりにも違いすぎた」


西條はビールを手に取り、心の渇きを静めるように飲む。


「比丘尼さまに訊ねたわ、『なんで』って。……比丘尼さまは言ったの『あやつらも大人になったのじゃよ』って、哀しそうに。そして中学校に上がり、おばあ様から本当の答えを聞かされた。比丘尼さまの正体、島民との関わり方を。私は間違えた、聞くべきことじゃなかったと思ったわ」


神棚に飾られた神様の孤独は、俺たちには想像もできないのだろう。


「だから私はなるべく比丘尼さまをぞんざいに扱うようにしたの。『うちは比丘尼さまのお姉さまの家系だから』っていう言い訳をしながらね。……けど50歩100歩だったみたい。あなたを見てるとそう思うわ」


西條は俺に顔を向け、言う。


「あなたぐらいのものよ。比丘尼さまをそのまま受け入れられるのは」


その声は、凛としていた。


「あの方を前にして、正体を知って、それでも怯まず、媚びず、反発せず、一人の人間として接するなんて、普通は出来ない。仮に怪異を身に宿していたとしてもね」


西條はふっと笑い、言葉を続ける。


「だからね、私認識を改めたの。あなたは怪異を宿した人間じゃない。怪異やあらゆるものを受け入れる、無辺世界(むへんせかい)(たぐい)だと」


えらい言われようだな。


「けど気をつけなさいよ。それってヤンデレホイホイともいうんだから」


一気に俗っぽくなった。


楢崎(ならさき)が合コンで迫っていたの、あれ半分マジだからね。あいつ私のこと人見知りっていってたけど、あいつの方がよっぽどなんだから。外ヅラがいいからそうは見えないけど、しっかり壁を作って寄せ付けないからね、あいつ。それがあんなノーガードであなたに接してきた。何か感じるものがあったんでしょうね……」


そんなラブコメ世界があったなんて。もしあの場で楢崎さんの胸を揉んでいたら、運命は変わっていたのだろうか。


そんな俺の考えを見透かすように、西條は俺をじっと見る。


「えい!」


西條はシャツを思いきり左右に引っ張る。プチプチとスナップボタンが外れ、彼女の胸が(あら)わになった。水色のブラが眩しい。俺の視線は釘付けとなるが、脳が『いかん』と指令を発し、急いで目を背ける。


「面白いわね、この反応。こんな貧乳に反応するなんて。男ってほんとに単純ね」


「てめえ、なにしやがる」


俺は顔を赤らめ抗議する。


「こんなもんなのよ、人の本能なんて。正直私の裸なんてそんな大したもんじゃない。けど、ドギマギしたでしょ、逆らえなかったでしょ、その気持ちに。理性で押さえつけているから表面には出てはいないけど、心の中では暴走していたでしょ」


西條はゆっくりと胸のボタンを留めながら言う。


「なにが言いたい」


「理性に頼るのは、危なっかしいってことよ。そのブレーキが効いているうちはいいけど、それが外れたら目も当てられない。酒にのまれて一夜の過ちを犯すなんて、よくあることじゃない」


「……お前の言っているのはスケベ心の話じゃないよな」


「うん。人の(さが)(ごう)と言ってもいいかな。(のが)れられない縛られた気持ち。どれだけ正しくあろうとしても、抗えない魂に刻まれたもの。どんなに器が大きくてもそれは関係ない。たとえあなたでも。だから気をつけて欲しいし、後悔しないように押えて欲しい」


真剣な顔で西條は言う。


彼女なりの忠告であり、思いやりなのだろう。

そこには立場や調略というものは感じられなかった。


「わかった。心に刻むよ。けど惜しかったな。さっきのお宝映像も頭にしっかり刻めばよかった」


俺は軽口を叩く。

西條は目をぱちくりとあけ、にこっと口を大きくあける。


「あと10年したらまたいらっしゃい。その時は相手をしてあ・げ・る」


彼女は妖艶に息を漏らしながらいう。


「50歳以上が守備範囲じゃなかったのか」


「あなたに対する年齢制限撤廃が、賛成多数で可決されました」




彼女はいたずらっぽく微笑った。金色の夕日にとけるように微笑った。


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