ムーンライト
幸せな夢だった。
見ていて切なく、やり切れない夢だった。
つぐみと俺が畳の上で寝そべっていた。
涼しい薫風が吹いてくる。
津軽びいどろの風鈴が、ちりんと優しい音を鳴らす。
風がそよそよと、俺たちの間で寝ている子供の前髪をゆらす。
子供は「ううん」と声をあげ、小さな手で顔をこする。
「起きちゃいました?」つぐみは言葉をかける。
子供は見つめ、つぐみのお腹に顔を埋め、その短い腕でぎゅっと抱きしめる。
柔らかな空気が俺たちを覆っていた。
何気ない日常。何物にも代えがたい日常がそこにあった。
幸せな夢は醒めるとつらい。
それが叶わぬものだと思い知らされるから。
砂の城だと突きつけられるから。
俺は「はあっ」と溜息をつく。
「起きちゃいました?」隣でつぐみの声がした。
「なんでお前がここにいる」
『今お主らが間違いを起こせば、とことん面倒なことになる』というロリババアの言葉で、俺たちは別室で寝るようになっていたはずだ。
「私たちのの部屋、続き部屋になっているんですよ。ほら、あのドアから行き来できます。比丘尼との交渉でこの部屋を確保しました。万一何かあっても駆けつけられるようにって」
相変わらずしっかりしてるな、こいつ。
「それはいいとして、何でここにいるんだ。……間違いを犯すなと言われただろう」
俺は口ごもりながら問いただす。
「わかっていますよ、わかっています。けど、私だって18歳の女の子なんです。夢見る年頃なんです。仕方ないでしょう。……南国の青い空、白い砂浜のビーチ、エメラルドグリーンの澄んだ海、愛する人、そりゃ心昂りますよ。おまけに今夜は綺麗な満月。役満じゃないですか、国士無双ですよ」
つぐみは涙ぐみながら力説する。
「何にもしません。変な誘惑もしません。ただ一緒に寝たいだけです。お願いしますぅ――――」
こいつ、何もわかっていない。お前がいる事自体が誘惑なんだ。
「お願いです……」
消え入りそうな声でつぐみは言う。しょうがない、今夜は8時間耐久レースだ。
「わかった、何もするんじゃないぞ」
「はい!」
弾ける笑顔でつぐみは答える。
神は乗り越えられない試練は与えないと云うよな。がんばれ、俺。
「ふふっ。兄さんと一緒に寝るの、何年ぶりでしょうね」
昔の小学生と一緒に寝てたのと、意味がまるで違うわ。
そう心の中で突っ込みを入れながら隣のつぐみを見る。
にこにこと、唯にこにこと邪心のない顔でつぐみは笑っていた。
ああ、忘れていた。こいつは五歳年下の女の子なんだ。
最近色々あって、まるで同年代の女性みたいに感じていたが、こいつは高校を卒業したばかりの女の子なんだ。
俺たちは身体を寄せ合い寝ている。
つぐみは俺に顔を向け、横向きになり、俺の左腕に自分の両腕を絡めてくる。
「おい!」
俺は咎める声をあげる。
「……いつもこうしていましたね。こうしていれば、暗闇も怖くなかった」
つぐみは安らかな、満ち足りた表情を浮かべていた。
俺はそれ以上は何も言わなかった。
「……兄さん、ちょっとはドキドキしてます?私はしています、思いっきり。この鼓動が兄さんに聞こえないか心配なくらい」
ドキドキしてるよ、ドクドクもしてる。痛いくらいに。
「この件が解決して、何の障害も無くなったら、私たちどうなるんでしょうね。ほら、よく云うじゃないですか『障害は恋を燃え上がらす』って。……この件が解決したら、兄さん冷めたりしません?」
つぐみは不安気に問いかける。
「私の想いは変わりませんよ。6年前の事が起きる以前から、私の想いはカンスト状態、これまでもこれからも一ミリたりとも揺らぎません。けど、これって重くないですか?兄さんの負担になっていませんか?それで兄さんが冷めてしまうなら、私はどうしたらいいんでしょう」
つぐみは道を見失った迷子のような顔をしている。
「……見くびるな。俺の気持ちはそんなにチョロくねえ。簡単に燃えたり冷めたりしねえ。もっとどっしりとしている。その俺の気持ちを動かしたんだ、お前は。ちったあそれを自覚しろ」
つぐみは目をぱちくりとし、それから「はい!」と元気よく答え、頭を俺の胸に埋めた。
俺はつぐみの頭に手を当て、優しく撫でる。
「もう、子ども扱いじゃないですか」
つぐみは甘えた拗ねた声をあげる。
「……子どもに、こんなことはしない」
俺はつぐみの顎を持ち上げ、顔を向かせ、そっと口づけた。
苺のように紅くやわらかな唇だった。
つぐみの顔は燃え上がるように真っ赤になった。
「……サービスタイムですか」
つぐみは照れを隠すように言う。
「かもな」
南国の夜、月明かりの下、俺たちは自分の気持ちに素直だった。