思いあがるな
恐怖というのは何から生まれるのだろう。
悪鬼羅刹、怨霊怪異、そんなものを歯牙にもかけない、真の恐怖がこの世にあった。
「……兄さん、八百比丘尼とか土蜘蛛とか……なんのことです?」
地より轟くような声がした。つぐみは憤然とした表情で俺と水瀬を見据えていた。
「……つまり、水瀬たちとは別の組織があり、そいつらは私と兄さんの身体に内在するものを『土蜘蛛』と呼び、消滅させようとしている、……そういうことね」
俺と水瀬はソファーの上で自然と正座をしていた。何故だろう。
「水瀬!なんであんたはその事を私に話さなかった!」
つぐみの怒気をはらんだ声に、水瀬はぴょんと飛び上がり姿勢を正す。
「いや、お姉さまにお伝えする程の事じゃないと思いまして。あんな下賤な連中、取り合う必要はないかと……」
「それを決めるのは私、貴方じゃない。意図的な情報の隠蔽は、謀略と見做す……」
水瀬の顔は蒼ざめる。
「そして私が一番気に入らないのは水瀬、貴方の恰好よ。なんなの、それ」
言われてみて、初めて気がつく。
ツインテールにまとめられた髪型。
てかてかと光る唇。
切れ込みの深い、露出の多い胸元。
屈めば見えてしまいそうな短いスカート。
妙な既視感を覚える。
最近までこんな武装で攻撃を受けていたような気が……。
「アンタ、狙っているわね。……兄さんのこと」
やっぱりか。水瀬はぷるぷると怯えている。
「お許しを!お姉さま。仕方なかったんです。『神代 樹が内包するものを、可能ならば汝の身に移せ』と指令を受けて。その為には肉体的濃厚接触が一番有効だ。それを成就するにはこの武装が最適解だと言われて」
またこのパターンかよ。つぐみ、お前も人のことどうこう言えねえぞ。
「お姉さまがお気に召さないというのなら、B案も用意してます。どうぞ!」
水瀬は書類フォルダーを勢いよく差し出す。なんだ、これ。俺はフォルダーを開く。
『ハイレベルな女の子が在籍してます。JK、JD、OL、人妻、各カテゴリー取り揃えております。コスチュームも制服、スク水、ナース、メイドと充実。ご希望をお申しつけください』
見たことがあるような案内文のあと、女の子の写真と紹介文が続く。
水着やコスプレをした女の子が体をくねらすようなポーズをとっている。
大半の子が、手やスタンプで、目や口を隠している。
紹介文には『可能プレイ』『出勤情報』『スリーサイズ』などが記されている。
……頭が痛くなってきた。隣ではつぐみが怒りに震えている。
「なんなの、これは――――――――」
俺は恐ろしくてつぐみの顔を見れない。
「わたしが受け入れられない場合に備えて作られたB案です。樹さんと接触可能なエージェントをリストアップしました。スタッフ総出で、参考書を元に作成した力作です。原書にたがわぬ仕上がりになったと聞いています。こういう事に造詣の深い樹さんにも、きっとご満足頂けるかと思います」
利用したことねえよ、そんなもん。
真面目なやつらが暴走すると、とんでもない惨事を引き起こしやがる。
「許さん!私の兄さんに何しやがる――――――――」
「わたしはお姉さまの忠実な僕です。お慈悲を!」
俺は心の底から同情した。こえー。
水瀬の涙混じりの懇願は続く。
つぐみの憤りは少しずつ和らいでいった。
「もういい。……水瀬、貴方はもう帰りなさい。これから私は兄さんと、二人きりで話があります」
「……承知しました。今日はこれで帰ります。けれどお姉さま、一つだけ覚えておいてください。五行家としてのわたしとは別に、一人の人間としてわたしはつぐみお姉さまの幸せを何よりも願っています。流星群を一緒に観たあの日から、世界がどう変わろうともその気持ちは変わりません。……ですので、わたしは何があろうとお姉さまの味方です!」
水瀬は一点の曇りのない目でそう言い、去っていった。
つぐみと俺との間に、なんとも言えない空気が漂っていた。
「はあー。あの子も悪い子じゃないんだけど、ちょっと考え足らずのところがあるから」
つぐみは出来の悪い可愛い子供を語るような口調で言った。きっといい関係なんだろうな、こいつら。
「現状を把握しよう。俺たちは二つの異なる組織から、異なる目的への協力を要請されている」
「消滅と解放ですか。私たちはそのどちらかを選ばなければならないと」
つぐみはうんざりとした顔をする。
「子供のことだけを考えれば消滅なんて論外だ。だが世界の行く末がかかっているとなれば話は別となる。辛くとも、望まなくても、正しい決断をしなければならない」
正直、なんで俺たちがこんな目にという気持ちは拭いきれない。
「単純にあいつらの話に乗る訳にはいかない。そもそもあいつらの言う話が真実かも疑わしい。嘘を言っているかもしれないし、あいつら自身が騙されている、間違って認識している可能性だってある。……判断材料が乏しすぎる。でもその中で下さなければいけないんだ、正しい判断を」
俺は苦悩に満ちた声をあげる。
つぐみはそんな俺を柔らかな目で見詰め、言葉を発した。
「兄さんは何か勘違いをしています。判断基準は世界の行く末とか人類の趨勢とかじゃありません。……兄さんの幸せです」
つぐみの声は夜明けの空のように澄んでいた。
「世界の未来への責任なんて、私たちに押しつけるほうが間違っています。そんなもんは、これまで世界を牛耳ってきた人たちがとってください。私たちは、小さな家族の幸せを守るだけです」
俺の中で靄が晴れていく。
「大体、『人類と子供、どっちの味方になるか』なんておかしくないですか。なんでそんな選択をしなければいけないんですか。逆に私は問いたい。人類と子供、どっちが兄さんの味方になってくれるのかと」
先刻の答えの出ない問いにつぐみは答える。
「無条件で自分の味方をしろなんて、厚かましい。私は言いたい、味方をして欲しければそれ相応の代償を用意しろと。天使だろうが悪魔だろうが代金を値切るな。自分は正しいんだから無償奉仕をしろなんて、思いあがりも甚だしい」
こいつにかかっては、伝説の化物も神話の創造主も形なしだ。
「見かたを変えて下さい。私たちはこの世界に奉仕するために生きているのではありません。幸せに生きるために、共同体としてこの世界を守っているんです。世界が私たちを贄とするならば、決別しても構わないと思っています」
強い意思をもってつぐみは語る。
「いいんですよ私、新世界のアダムとイヴになっても。きっと楽しいと思うんです。兄さんと私、そして子供たちだけで暮らすの。綺麗な服も美味しい食べ物もいりません。ただ一緒にいるだけで幸せだと思うんです。……ふふっ、林檎を食べた先人とは逆進化ですね」
つぐみの笑みは迷いなく、ただ眩しかった。
テイストが従来のものに戻ってきました。これからラブコメパートに入ります。
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