伝説の生き物
『土蜘蛛』
ファンタジーの知識が浅い俺でも聞いたことがある。
源 頼光が名刀・膝丸で退治した妖怪だ。超有名じゃねえか。
確かにつぐみの話では、腐り落ちた手足から蜘蛛の脚のようなものが生えてきたと言っていたが、まさか……。
「その顔、なにか心当たりがあるようじゃな」
俺の心を見透かすように少女は言う。
「どうか儂らに協力して欲しい。……土蜘蛛は怨霊とか妖怪の類ではない。意思がある、望みがある、目的がある、そのような存在ならばいくらでもやりようがある。だが奴にはそのような物は無い。あるのは果てしない混沌の中に漂う破壊衝動。決して人類と相容れぬ冥府の公主。それが土蜘蛛じゃ」
正直、言葉の意味が良く解らない。だがこいつの言う言葉は一つ一つに想いが刻まれている。これまで浴びた辛酸が窺い知れる。それだけで土蜘蛛の恐ろしさを知るには十分だった。
しかし、こいつは何者だ。口振りからすると長年土蜘蛛とやりあってきたように聞こえる。この世のものと思えぬ、移り変わる瞳の色。幼い風貌に似つかわしくない老練な言動。比丘尼と呼ばれていた。比丘尼、びくに、ビクニ……。俺は頭の中を洗い出す。
……まさか、そんなはずは……。
俺は非現実な答えに到達した。
「どうやら儂が何者かも思い至ったようじゃの。……推察の通り、儂はそなたの祖父母より何倍もの時を生きておるよ」
八百比丘尼
人魚の肉を喰らい、800年もの時を生きたという伝説の生き物。こいつがそうだというのか。
「厳密に言えば儂は八百比丘尼ではないぞ。1000年の寿命を持つ先代が、重病の儂を哀れに思い残り全ての寿命を授けてこの世を去った。八百比丘尼の劣化複製版じゃよ、儂は」
吐き捨てるように少女は言う。
信じ難い。だが信じれば全てがしっくりといく。
悪魔の囁きは甘美だった。
「まあ一度にこれだけの事を言われたら整理もつかまい。今日はここまでにして、改めてまた話そう。だがこれだけは覚えておいてくれ。儂は人の世を愛しておる、どうしょうもなくな。だから儂は守りたい、この人の世を……」
最後の言葉は俺にではなく、遠い空に語っているようだった。
社長室を出た俺は、そのまま自宅に帰ることとなった。心身を休め、考えを整理することが最優先業務だそうだ。いいのかよ。
帰りはハイヤーを使うこととなった。もちろん代金は会社持ちで。ゆったり出来るはずの車内で、俺はいたたまれない気持ちになっていた。
「はあ、まったく何でこんな事に」
俺の隣に頭を抱えている西條がいた。
「こっちの台詞だよ。大体お前、どこからこの話に噛んできたんだ」
俺の言葉に、西條は鋭い視線を向ける。
「言ったでしょ、私は巻き込まれただけ、被害者だって。……調査をしているうちに貴方のことが俎上に上がったの、怪異内包者の有力候補として。その接触者名簿に上がったのが私。えらい目に遭ったわ、肉体的接触はどこまであったか、本当に一夜の過ちを犯してないか、根掘り葉掘り聞かれたわ。よかったわね楢崎のおっぱい揉まなくて。もし揉んでたら、とんでもないことになっていた」
「かんっぺきにセクハラじゃないか。なんでそこまでするんだよ」
「……仕方ないのよ、貴方は怪異内包者候補なの。もし貴方から怪異が分散したら取り返しがつかなくなる。追跡調査するのは仕方ないことなの」
西條は力なく零す。
「それで西條がここにいる理由は?」
俺は一番合点がいかない事を聞いた。
「貴方に少しでも話を聞いてもらうため。この事が発覚する前から交流があったのなら、少しでも心の壁を取り除いてくれるんじゃないかという上層部の藁にも縋る気持ちよ。そんな大層なものじゃない」
「それでもよく了承したな。拒否することも出来たんだろう?」
「ま、まあ貴方のことも心配だったし、話を聞いた責任感というか……」
西條はしどろもどろに答える。
ぷっと助手席から笑い声がする。
助手席に座る、体格の良い短髪の男が口を押えて笑っていた。
「いや、失礼。僕は清原 宗信、こいつのお目付け役だ。話に口を挟むつもりは無かったんだが……。いけないな西條、嘘をつくのは」
からかうように清原は言う。
「比丘尼さまの『この任務に成功したら、50代ロマンス・グレーの茶飲み友達を紹介してやる』という言葉に、間髪入れずに頷いたのは誰だったかな。いかんぞ、嘘は。そんな小さなことから信頼は崩れていくんだからな」
納得だ。謎はすべて解けた。
西條はばつが悪いのか、窓の外に顔を向け、俺から見えないようにしている。
トンネルにさしかかる。さあっと闇が降りてきた。
サイドガラスが頼りない光を跳ね返し、おぼろげな姿を映し出す。
夜空に西條の三日月のような細い目が浮かんでいた。
「ねえ」
西條は外を見たまま話しかける。
「貴方の子供が人類の敵になったら、貴方はどっちの味方になるの。人類?それとの自分の子供?……」
西條の問いは、誰に問うているのか判らないようなあやふやなものだった。
誰もがその問いに答えることが出来なかった。
慣れないハイヤー通勤を終え、ようやく自宅へと帰りついた。明日の朝も迎えに来ると西條は言った。真っ平だと断ったが、俺を狙っているのは自分たちだけではない、他の組織も狙っている、安全のためにも送迎すると押し切られてしまった。
ようやく長い一日が終わった。もう何も考えず、ただゆっくり眠りたい。
そう考えて玄関のドアに手をかけた時だった。
「兄さん!」
隣の家からつぐみが飛び出してきた。
「大変です。わたしたちの子供のことで、大変な事実が判明しました!」
俺の長い一日は、まだ終わりそうもない。
ファンタジー要素が少し続きますが、自分が書いていくのはあくまで現実恋愛です。人の想いが主軸ですので、それだけはご理解ください。