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約束ですよ

いよいよ一章ラストです。お楽しみください。

つぐみの心の中にある天国は歪だ。

彼女の耐えがたい絶望が生み出した、彼女の正気を辛うじて保つ自己防衛だ、希望という奴は。

痛ましい、救いようのない話だ。


あいつは存在しない子供に救われたと言った。だが違う。そんなの本当の救いじゃない。

俺は本当の意味でつぐみを救ってやりたい。

どうすればつぐみにこの想いが伝わるのか。

俺は袋小路に陥ってしまった。




『変な拘りは捨てて、もっとシンプルに生きなさい。自分の望みのままに。相手の気持ちばっかり考えて、自分の気持ちを見失うのがあんたの悪い癖』


美桜都が言った言葉が、頭に浮かぶ。


ああ、そうか。こんな簡単なことだったんだ。


俺はつぐみの正面に立ち、彼女の両肩をしっかりと掴み、大きく開かれた目を見詰め、言った。


「つぐみ、お前は大きな思い違いをしている。お前の夢のなかで、子供ができなかった俺は不幸な人生を送ったと言ったな。そしてお前と子供をもうけた俺は幸せだったと。……お前は馬鹿か。俺が不幸だったのはお前がいなかったからだ。俺が幸せだったのはお前がいたからだ」


つぐみは目をぱちくりとさせた。


「俺の幸せを望むというなら、俺だけを見つめて、俺の傍に居ろ。他のなにものにも目を奪われるな」


これでいいんだろ、美桜都。……自分の気持ちに正直に、エゴイスティックに。


「で、でも、兄さん。これまでずっとわたしを拒絶してきたのに……」


「当たり前だろう、この馬鹿。これまでお前、『愛してます』とか言ったことあったか。子供を作る種馬扱いだったぞ。挙句の果てに『親愛の情はありますが、異性としての好意はまったくありません』だと。あれ、正直キズついたんだからな」


つぐみは、あわあわと狼狽(うろた)える。


「だって、こんなわたしが兄さんの隣を独占するなんて申し訳なくって。せめて兄さんの子供を産む役割だけでもさせてもらえればと……」


「今後そういうの一切禁止、お互いにな。思い合うのは良い事だけど、そこで自分の気持ちをおざなりにしたらお互いに幸せになれない。相手の気持ちだけでなく、自分の内側の声にも耳を傾けよう。約束だ」


つぐみは「信じられない」「これは夢?」としきりに呟いている。


つぐみの頬は桃の花が咲いたように紅を差し、匂い立つばかりであった。

顔に浮かぶ表情は、いま生まれたばかりのような瑞々(みずみず)しさを湛えている。

つぐみに生命の火が灯ったようだった。

俺は、その眩しい灯りに吸い寄せられる虫のように、つぐみに近づいていく。

墨を流したような黒髪を払い、細く白い首を指で撫でる。

つぐみはぴくりと跳ねる。

呆けたような顔をする彼女の頭を優しく包み、俺の顔を近づける。

鮮やかなまでに紅いつぐみの唇が視界を占める。

……俺は優しく口づけした。


「……こども……つくりますか?」


長い口づけのあと、潤んだ声でつぐみは問う。

俺は苦笑した。




「……それは……4年待ってくれ」


「どういうことです?」


「4年したら、お前が大学を卒業したら、俺とお前の子供を作ろう」


「それって……」


「ああ、結婚が前提だ。お前が望むならそれまでに結婚してもいい。だが、子供を作るのは4年待って欲しい」


「なんで……」


「今子供を作ったら、お前そっちしか見ないだろう。俺だけを見つめる時間を、4年くれないか。これから4年間、二人の絆を育てていこう。いっぱいの未来を作っていこう」


「うそ、うそじゃないんですよね。やっぱり止めたとかないですよね」


「ああ、だが覚悟しておけ。負けず嫌いなんだ、俺は。今一番負けたくないのは、まだ見ぬ我が子だ。絶対お前を渡したりしない」


「初めてです。……生きててよかったって思ったの」


つぐみは嬉しそうに顔を伝う涙を拭う。




「あと、遅くなったが大学入学祝いのプレゼントだ」


俺は気恥ずかしそうに、彼女に書類袋を渡す。


「なんですか、これ。  え、『精子凍結保存同意書』、これって」


精子凍結。新しい精子を採取し、処理した後に液体窒素の中で凍結する技術。凍結した精子は半永久的に保存できる。不妊治療の為、病気の治療による精子形成障害に備える為に利用される。日本癌治療学会においても推奨グレードBに定義されている。凍結すると融解する時に一定数が死ぬから、加齢による対策になるとは言えないが、俺に何かがあって生殖機能が失われた時のバックアップとして使える。



「何もなければ必要ないと思うが、俺に何かあった時の備えにはなる。言わばお守りだな。……これはお前の心の平穏を目的としたものだ。お前を蝕む恐怖も、少しは薄らぐだろう。……委任状を書くからお前に管理して欲しい」


「…………ありがとうございます。宝石より何より嬉しいです!」


彼女は大切に、大切に書類を抱きしめ、顔を埋めた。

こんなに喜ぶなんてな。本当に物の価値ってやつはわからん。

肩を震わせ、泣きじゃくった後、にこやかな笑顔で語りかけてきた。



「兄さんは約束を守ってくれたんですから、私も約束を果たさないといけませんね」



約束…………。あの日のつぐみの言葉が甦る。  


『私の処女を差し上げるので、樹さんの子供を下さい』




「まあ、それは、その、おいおいと」


「うふっ、リボンをかけて用意しておきますので、いつでも取りにきてくださいね!」






天上の微笑みが舞い散る春の日だった。


これにて一章終了です。お付き合い頂き、ありがとうございました。

年明けすぐに第二章を開始します。

予想は裏切るが期待は裏切らない作品を目指し頑張ります。


本当にありがとうございました。よいお年を。

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