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オープン・ユア・ハート

「いいか人は追い詰められると、とにかく足掻く。だがそれは悪手だ。そういう時はまず落ち着け。そして状況を正しく把握しろ。その上で……動け。遠回りのようだが、結局これが一番近道で確実だ」

小さい頃聞いた父の言葉である。



「……現状がどうなっているのか、教えてくれるか」


俺は対面でこめかみをおさえ、ロダンの彫刻のように難題に悩む美桜都に問いかける。


「……そこの世迷言(よまいごと)をのたまうお嬢さまが、間接的ではあるけど、私の会社の大株主さまにおなりあそばした。ある意味、私の社会的生命を人質に取られたようなものよ。幹部登用が可能っていうなら、逆に干すことも可能。この娘は意識してないかもしれないけれど、私の会社での浮沈は彼女の胸先三寸。堪ったもんじゃない。公平な評価で会社での序列をつけられるのならともかく、こんなことで評価されるなんて……仕事への冒涜だわ」


そうだよな、美桜都はやりたい仕事を求めてこの街に来たんだ。俺たちが住んでいた街を離れることとなっても。結果として俺たちは別れてしまったが、美桜都は後悔していない。そこまでして追い求めたものを、ついでのご褒美みたいに扱われたらそりゃあ腹が立つだろう。


「私が会社を辞めて、新しい仕事を探してもいいんだけれど、そうしたらこの娘どうすると思う。取得した株式を不要になったといって、会社を細切れにして、よからぬ組織に売り払いかねない。そんなことにはなって欲しくない。これでも私、自分の会社を潰れてしまえと思うほど愛想をつかしてはいないんでね」


やだ、漢らしい。惚れそう。


「そして、私への口説き文句が気に入らない。会社での成功を餌に釣り上げる様な真似、誠意の欠片もありゃしない。もっと違うやり方があるでしょう。そんなんじゃ私の心は動かせない」


相変わらずだな、こいつも。抜けるような小気味よさだ。


美桜都の口上を聞いていたつぐみはというと項垂れ(うなだれ)、それでもその瞳は強い光を失わず、美桜都を見据えている。そして口を震わすように力を込め、強い口調で言った。


「わたしの言ったことは、人の心への配慮が足りませんでした。お詫びします。そして改めてお願いします。兄さんの子供を産んでください。わたしでは駄目なんです。代れるものなら代りたい。色々努力しました、出来る限りの誘惑もしてみました。でも駄目だったんです。……わたしでは駄目なんです。兄さんは抱いてくれないんです。ですからお願いするしかないんです。兄さんが抱ける人に、美桜都さんにお願いするしかないんです。わたしに出来る限りの援助はします。兄さんは昔高熱を出し、生殖機能に一抹の不安があるんです。なので一日も早く子供を作り、その不安を払拭したいんです。だから……兄さんの子供を産んでください」


つぐみの声は次第に震え、涙が混じるようになった。


「最初からそう言えばよかったのよ。気持ちなんてね、下手な小細工をすると歪んで伝わるものなんだから」


ずっと仏頂面だった美桜都が、今日初めての笑顔を見せた。


「でもその気持ちを伝える相手はわたしじゃない。そいつに今の素直な気持ちを伝えなさい。私はこれで帰るから」


美桜都がやれやれという顔で帰り支度を始める。


「樹、あんたも変な拘りは捨てて、もっとシンプルに生きなさい。自分の望みのままに。相手の気持ちばっかり考えて、自分の気持ちを見失うのがあんたの悪い癖」


後ろ姿で手をひらひらさせながら、美桜都は帰り際に言葉を投げていった。






美桜都が去り、部屋には俺とつぐみだけが残された。

残された二人は言葉を発せれないでいた。

伝えたい想いは止め処(とめど)なく湧いてくる。

だがその想いをどう伝えればよいのか、壊れ物を持つように怯えていた。




沈黙を破ったのはつぐみだった。


「兄さんは、同じ夢を……何度も何度も繰り返し見たことがありますか」


つぐみの表情は穏やかで静かだった。だがその内側に(たた)えられた哀しさは隠しようもなく浮かび上がり、一層の悲壮さを醸し出していた。


「わたしはこの六年間、嫌というほど同じ夢を見ています。兄さんの夢です。兄さんの人生を、まるで映画を観るように眺めていました。その人生で、兄さんはいつも途中で挫折するんです。素敵な女性と結婚し、幸せな人生を歩み始めます。ですが転機が訪れるんです。兄さんに子供が出来ないことが切っ掛けとなります。それを契機に様々な不幸な人生に分岐していくんです」


つぐみは陰鬱な声で言葉を続ける。


「子供が出来ないのを不満に思い、他の人と再婚して子供を作るから離婚してと奥さんに迫られる兄さん。結果の出ない妊活に疲れ、夫婦間に溝ができて家庭内別居をする兄さん。子供を望むあまり精神に不調をきたし闘病する妻を、辛そうに見守る兄さん。……それらの人生の最期で、いつも兄さんは諦めたような淋しい笑顔を浮かべていました。わたしはその物語の内側に入って行けず、いつも外から眺めるだけでした。もう見たくないと思いました。絶望という言葉がふさわしい光景でした。


そんな苦痛に満ちた日々を過ごしていた時、わたしは一つの真理を知りました。絶望は煮詰めると希望を生み出すのだと。


何度も何度も打ちのめされたあと、稀に違う夢を見ることが起き始めたんです。兄さんに子供ができる夢です。信じられませんでした。こんな世界があるなんて。そこは輝ける世界でした」


つぐみは海原を漂う遭難者が、救助の船を見つけたような顔をした。


「わたしは願ってやまない兄さんの人生に入ることが出来たのです。歓喜に震えました。そして奇跡は起きたました。兄さんとわたしの間に子供が出来たのです。その子たちは言葉通り、宝物でした。

幸せそうに安心してわたしたちの腕の中で眠る子供。

成長し、初めて歩いた日。

初めてママと呼んでくれた日。

幼稚園の入園をはしゃいで待ちわびる日。

小学校で友達が出来たと嬉しそうに報告する日。

世界は黄金で出来ていました」


つぐみは至福の表情を浮かべる。


「天国は、人の心がつくり出すのでしょうね。

 わたしは救われました、あの子たちに。

 あの子たちは地獄を打ち消してくれました。そして暖かい未来をくれたのです。


 あの世界を知ったわたしには、もう地獄は耐えれません。

 兄さんの、悲しそうな顔、失意に満ちた顔、もうまっぴらです。

 あの子たちがいない世界は、もう思い出したくもありません」


つぐみは訴えるように言う。

 

「これらは全て、わたしの妄想だとは解っています。

 わたしの罪悪感から生まれたものだとも。

 けれど事実がどうとか関係ないんです。

 錯覚でも思い込みでも、そう思えばそれは真実なんです。

 恋愛だって似たようなものでしょう」




つぐみの哀しい告白であった。

愛する者の幸せを願う、純粋で痛ましい気持ちがそこにあふれていた。 


昨日投稿するつもりが間に合いませんでした。ごめんなさい。

次回第一章ラストです。本日大晦日のうちに投稿します。年末でお忙しいとは思いますが是非みてください。


第二章も準備中です。ブックマーク、星評価でのやる気注入、お願いします。

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